三線の日(3月4日)の辺野古

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三線の日とは、
三月四日のサン・シーにひっかけて
沖縄古典芸能の演奏楽器・三線(サンシン)の日と定め
沖縄はもとより全国、世界各地で「三線を奏でよう!」という日である。

地元ラジオ局の呼びかけで始まったこのイベント、今年で23年目を迎える。
今日一日、さまざまな三線イベントを行いながら
正午の時報を合図に、三線発祥の地と言われる読谷村をはじめ
首里城など、沖縄の各所、各グループ(三線教室など)、各家庭、三線愛好家のいるところならどこでも、一斉に「かじぁで風節」という曲を奏でる、という趣向である。

そこで、辺野古ゲート前でも演奏を!と呼びかけが行われた。

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わずか一週間の取り組みでこれだけの演奏者(18名)が集まった。

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基地のフェンスをも超え、青い空と海、みどりの山々に、厳かな古典音楽の調べが漂う。

「今日の誇らしゃや  なをにぎやなたてる
蕾で居る花ぬ  露ちゃたぐと」

(今日のこの誇らしい喜びを 何に例えようか
蕾が 朝露をうけて ぱっと花開いたかのようだ)

演奏に合わせて、道路を挟んで向かい側では、歩道を舞台に古典舞踊「かじぁで風」が11人の女性たちによって舞われた。

毎日ゲート前に座り込む地元の島袋文子さん(85歳)は、メディアのインタビューに応えて、「沖縄の人は武器はないけど、心で闘うのです」と語った。

権力にあらがう民衆のしなやかな闘いの姿が清々しい。

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宴の締めくくりは、全員参加でカチャーシーを踊るのが定番である。

 

この場を共にした誰もが、「新基地建設が撤回され、喜びに歓喜しながら、大勢の仲間と共にこの歌を唄い踊る姿」を思い描いたにちがいない。

DVC00270.JPG<2015年3月4日、不屈の座り込み241日目の辺野古ゲート前より>

 

 

2015年3月4日リンクURL

今日の辺野古(2/27)~座り込みテント健在!

キャンプ・シュワブゲート前の座り込みテントは健在だった。

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言い渡された撤去期限の昨日・26日は、朝から多くの支援者がゲート前に詰めかけた。そこへ改めて国道事務所の職員がやってきて、警告文を読み上げて行ったという。

夜中の強制撤去を警戒して50人が徹夜で監視していたので無事朝を迎えたが、北部国道事務所側は、数人で10分おきにテントの前を往復する「巡回」を、朝まで繰り返していたという。

その裏には、国道管理事務所の所長が、総理官邸に呼び出され、官房長官から直々に「対応が生ぬるい。もっとしっかりやれ」と厳しいお叱りを受けたということがあるらしいと、ニュースが伝わる。

 

この文章を読み上げたのだろうか!

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北部国道事務所がたてた看板

北部国道事務所がたてた看板

 

今日、「島ぐるみ会議」の辺野古支援バスがゲート前に到着したのは午前11:30、釈放された山城さんが元気に抗議行動の指揮をしていた。

フクシマ、浪江町で未だ仮設住宅くらすという。「フクシマとオキナワは同じ構図。原発に反対しなかった私たち、ずっと抵抗してきた沖縄に学びに来た」とかたる。

福島・浪江町から3人が参加。未だ仮設住宅に暮らすという。「フクシマとオキナワは同じ構図。でも事故が起こるまで原発に反対しなかった私たち、ずっと抵抗してきた沖縄の人たちに学びに来た」と語る。

 

山城さんの説明によると、「宿泊用のテントは撤去するので、せめて全国からの支援物資などを保管するテントだけは置かせてくれと交渉したが聞き入れないので、宿泊テントも撤去することなく、一部をゲート向かいの歩道に移し、すぺーすが広くなった分ますますテントが増えた。強制撤去するならすればいい。我々は何度でもテントを張り直すだけだ」と力強く語り、拍手喝さいを浴びた。

増えたテント

増えたテント

 

 

 

 

 

 

 

 

今日も市民の抗議を無視するように「内閣府 沖縄総合事務所」の文字が入った制服姿の国道事務所職員が、数人ひと組で10分おきにテントの前をぞろぞろと往復する「巡回」を繰り返した。

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彼らは威圧しているつもりかもしれないが、その姿はむしろ憐れだ。いちばん情けない思いをしているのは彼ら自身ではないだろうか!私も一人の労働者として、職員にこんな働かせ方をする国に対し憤りを感じる。

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2015年2月27日リンクURL

山城さん釈放!

22日、シュワブゲート前で抗議行動中、米軍に拘束・逮捕され、名護署を経て那覇地方検察庁に送致された山城博治さんらは、昨夜8時過ぎ、釈放された。

根拠のない逮捕から35時間、山城さんと谷本さんは、この日も名護署前で抗議を続けていた100人余の市民に拍手と歓声で迎えられた。

釈放

 

 

 

 

 

 

<琉球新報より>

釈放後、拘束当時の状況を、山城さんは報道陣に次のように語った。

山城さん一問一答

 

境界線

 

 

 

<琉球新報>

米軍が拘束の根拠とした道路と提供施設との境界線は、数日前に米軍が一方的に引き直したもので、山城さんは基地を背にしてその線上に立っていた。米軍の警備員は、背後から山城さんを羽交い絞めにして引き倒し、三人がかりで足首を捕まえ、逆さづりの状態で基地の中に引きづり込んだという。その山城さんを取り戻そうとした谷本さんも「基地内に侵入した」として拘束されたもの。相撲の土俵際ではあるまいし、境界線から足が出た!出ない!で「刑特法違反」などとは、まったくの言いがかりでしかない。

そもそも「刑特法」自体が安保条約のもと、米軍を守るためにつくられた法律で、かつて憲法違反の判決が下ったこともあるとんでもない法律なのだ。

 

2015年2月24日リンクURL