米兵による性暴力の根絶は、根源的原因である基地・軍隊を無くす以外にない

 1995年の少女強姦事件をきっかけに発足した「基地・軍隊を許さない行動する女たちの会」が、1996年から記録し続ける「沖縄・米兵による女性への性暴力」第13版(2023年5月発行)は、1945年の米軍上陸と同時に始まった1000件以上の米兵による性犯罪を、年表形式で記載している。 

 そこには、とき、ところ、年齢もかまわず女性を襲う米兵の姿がある。農作業中の畑で。赤ん坊を背負ったままの母親を。夕餉を囲む民家に押し入り家族の面前で。襲われた妻を助けようとした夫が銃殺。9カ月の赤ちゃんも犠牲になった。1955年に5歳の少女が強かん殺害され、遺体が海岸に打ち捨てられていた由美子ちゃん事件は、沖縄の戦後史に残る。

 一番ひどかったのはベトナム戦争の頃、戦場で荒んだ米兵のストレスのはけ口が沖縄の女性たちに向けられた。口に下着やチリ紙を押し込まれた女性の全裸死体が、道路の側溝に打ち捨てられていたというような事件が何件も続いた年もある。

 

 近年の例では、2017年、結婚を間近に控えたうるま市の二十歳の女性が、家族にウォーキングに行くと言って出かけたまま行方不明になり、20日後米軍訓練場近くの山中で白骨死体となって見つかった事件。

 犯人の元米兵(軍属)は、女性を後ろからこん棒で殴りつけ、首を絞めたうえに刃物で刺してレイプしたと自供している。2019年には北谷町で、元交際相手の米兵に付きまとわれ、子どもの面前で殺害された事件が記憶に新しい。

      <うるま市の強かん・殺人事件の遺体遺棄現場(恩納村山中)>

 それにしてもなぜこれほどまでに米兵(軍隊)によるおびただしく無残な性暴力が起きるのか。それは日本に駐留する米軍の7割が、小さな島・沖縄に集中している構造的差別や、不平等な日米地位協定、植民地意識、性差別など要因はいくつもあるが、そもそも軍隊とは、最大の暴力である戦争、つまり人を殺すことが仕事の、構造的暴力であるからだ。歴史的に性暴力のない戦争があっただろうか? 軍隊にとって「性暴力」は「戦術」であり「武器」でもあるのだ。米兵による性暴力の根絶は、根源的原因である基地・軍隊を無くす以外にない。

 

2025年1月10日リンクURL

もう発することばも見つからない! ~ またしても米兵強かん事件

 怒りを通り越して涙がでる。

 事件が起こったのは、県民の怒りが結集した12月22日の県民大会の少し前(11月)、米軍にはあれほど巻き起こった県民の怒りの声は全く届かず、反省もないということだ。これ以上沖縄の私たちは何をすればよい!叫びたい思いだ。

県民の訴え軽視に失望

                <1月9日 琉球新報 ↑>

              <1月9日 沖縄タイムス ↑>

 

 

2025年1月9日リンクURL

当たり前の安心・安全のくらしを求て県民大会 ~ 米兵の性暴力に抗議


 「米兵による少女暴行事件に対する抗議と再発防止を求める沖縄県民大会」が、今日(12月22日)開催された。主会場の沖縄市民会館を埋め尽くす2500人の思いが一つになり、熱気あふれる大会となった。宮古、石垣、東京の会場へもネット中継され同時開催された・

 今回は、出来るだけこれからの時代を生きる若い人たちに闘いのバトンを繋いでいく大会にしようと、実行委員会の共同代表や意見発表も次世代(30代、40代)、大学生・高校生の若者たちを表に立てて運営された。それが見事に実を結び、新鮮で前向き、かつ力強く、自らの言葉で堂々と発言する若者たちに、賛同の拍手が何度も沸き上がった。

(1)主催者あいさつは大会を主導して呼びかけた県女性団体連絡協議会の伊良波純子共同代表。「戦後80年、復帰から50年が経った今も、沖縄に住む私たちの周りでは(米軍・米兵による)悲惨な事件が繰り返し起きている。中でも女性や子どもの尊厳を踏みにじる性暴力は絶対にあってはならない。

 7月10日に沖縄県議会も全会一致で抗議声明を決議したが、日米両政府から謝罪は未だない。私たちが求めているのは当たり前の安心安全の暮らしだ。決して過大な要求ではない」

(2)玉城デニー知事も参加してあいさつ。「沖縄に基地が集中してあるために、これまでも、今も、これからも、女性や子どもたちが平和な日常を脅かされている。(事件を起こした米兵)一個人の責任にせず、軍隊そのものの構造的な責任も合わせて求めていく。

(3)今年10月にスイスのジュネーブで行われた国連女性差別撤廃委員会で沖縄問題を訴えた親川裕子共同代表が報告。

「10月に日本国に対して出された国連勧告で、沖縄における米軍駐留、ジェンダーに基づく暴力に懸念が示されたのははじめてで、画期的こと」。今後は関係機関に対し、国連の勧告を実現させるための要請行動を続けていく」

(4)有識者からとして高良沙哉共同代表(沖縄大学教授)は「日米地位協定の不平等による不利益は沖縄に多く生じる。改定を強く強く求める。今回の事件の被害者やご家族の勇気ある訴えに応えて、”あなたは悪くない。私たちはあなたの味方、あなたを一人にしない”というメッセージを伝え続けていく」

 (5)若者代表:中塚静樹さん(大学生)「私たち沖縄県民を危険から守らず、被害者の人権より日米関係を重視するような政府に、大変な怒りを感じ強く抗議する。沖縄を犠牲にして成り立っている日本の安全保障は、本当の安全保障とは言えない。次代を担うのは私たち。若者の行動が世界を変える。このような事件が二度と起こることのない平和な未来をつくるために若者みんなで協力し、声を上げていこう。

 若者代表:崎浜空音さん(大学生)「基地の街・北谷町で生まれ育った。大学生になって上京したとき、騒音も聞こえず、夜遅く出かけても米兵におびえることもなく楽しめた。これまで自分がいた環境が、どれほど人権が侵害され続けていたか痛感した。今回の被害者は未成年、どうして沖縄に生まれたという理由だけで青春を奪われなければならないのか!”平和に暮らしたい”ただそれだけなのに…。                                95年の事件が起きたとき中学生だった。”もう二度とこんな事件は起こさせない”とみんなが言った。しかし、また起こってしまった。数年後、また事件が起きて、ここに今の中高生を立たせてしまうのか!絶対に立たせてはいけない。これが最後の県民大会になるよう、私はこの言葉を、その重みを、未来の子どもたちに希望を持たせるために使う。”もう絶対に繰り返さない”」

(6)メッセージ:沖縄高校生平和ゼミナール

   平和を希求して活動する高校生たちからもメッセージが届けられた。

(7)(8)大会決議の発表と採択

 (9)心を合わせて歌おう

 (10)私たちの誓い(群読)

 

 大会決議採択のあと、辺野古ゲート前でもよく歌われるシャンソン「ケ・サラ」辺野古バージョンを、25000人で大合唱。辺野古バージョンは、闘う民衆の人間賛歌である。そして誓の言葉を高らかに読み上げ、終わりのことばで県民大会の幕を下ろした。

 大会終了後、実行委員のひとりで、今年の選挙で当選したばかりの新人女性県議が、涙を拭きながら握手を求めてきた、「素晴らしい大会だったね」と労をねぎらうと、「たくさんの先輩たちが長年闘い続けてきたお陰です」と、握った手に力を込めて握り返してきた。

 従来のこの種の集会や県民大会の定番であった政党代表、運動体代表のあいさつや、最後のお決まりガンバロウ!もなかったが、胸に明日への希望の光を灯す大会になったのではないだろうか。

 

2024年12月22日リンクURL