10日(日)は、海勢頭豊さんの「喜瀬武原コンサート」を堪能した。
喜瀬武原闘争は、復帰直後の1973年から77年、米軍が、集落唯一の生活道路・県道104号線を封鎖、恩納村の聖なる山を着弾地にして実弾演習を行っていることに、喜瀬武原区民が立ち上がり演習の中止を求め、抗議行動展開、住民の闘いに呼応して、全軍労など県内労働組合の青年部が実行部隊を組み、着弾地の山に立て籠もって実弾演習を阻止した闘いである。
日本政府は姑息にも、米軍を守るためだけにつくられた法律・特措法(~日本国における合衆国軍隊の地位に関する協定の実施に伴う刑事特別法)を発動させ、青年らを拘束・逮捕した。その裁判闘争の中で生まれたのが海勢頭豊さんの名曲「喜瀬武原」である。
コンサートは、
第一部、記録映像で、喜瀬武原闘争の生々しい実像を観たあと、
第二部のトークセッション「キセンバル闘争を語る」では
逮捕され裁判にかけられた糸数隆氏と中村善幸氏、共に裁判を闘った弁護士の池宮城紀夫氏、地域住民で後の金武町長・吉田勝廣氏が当時の体験を語った。
第三部で海勢頭さんは10曲を熱唱。「昨年は病に倒れたが幸い健康をとりもどし、今年81歳を迎えることが出来た。これらの歌に込められた思いを、さらに後世に伝えていきたい」と衰えぬ絶対平和主義への熱い心を語った。
最後に聴衆も舞台に上がりスクラムを組み、会場が一体となって「喜瀬武原」を歌った。
「喜瀬武原」作詞・作曲 海勢頭豊
1.喜瀬武原 陽は落ちて 月がのぼる頃
君はどこにいるのか 姿も見せず
風が泣いている 山が泣いている
皆が泣いている 母が泣いている
2.喜瀬武原 水清き 花の故郷に
嵐がやってくる 夜明けにやってくる
風が呼んでいる 山が呼んでいる
皆が呼んでいる 母が呼んでいる
*闘い疲れて ふるさとの山に
君はどこにいるのか 姿も見せず
3.喜瀬武原 空高く のろしよ燃え上れ
平和の祈り込めて のろしよ燃え上れ
歌が聞こえるよ はるかな喜瀬武原
皆の歌声は はるかな喜瀬武原
*闘い疲れて 家路を辿るりゃ
友の歌声が 心に残る