高垣さんに最後のお別れ ~ 今日(12月4日)の辺野古

 平和市民連絡会は、毎週金曜日安和桟橋前での抗議行動担当ですが、今日は、11時から先日(1日)急逝された高垣喜三さんの友人葬(お別れ会)に参列するため、抗議行動を一時中断して、本部に向かう予定です。

 朝から小雨が降り続く中、いつもの通り7:00に那覇を出ました。出発間もなく天候不良のため安和や本部・塩川港での作業はないということがわかり、辺野古ゲート前へ合流することになりました。

 


 この冬初めての寒さとの天気予報。雨のせいだけでなく、かけがえのない闘いの仲間を失った悲しみと、日本の政治の貧しさが寒さを増幅させ、一層身に染みる辺野古ゲート前。 
 

 

 一回目の搬入が終わった後、またバスに乗り合わせ、葬儀場のある本部町へ向かいました。親しい友人であっても、「ゲート前に残って抗議行動を続ける、それが供養」という人、どうしてももう一度高垣さんに会いたいと葬儀に参列する人、思いはそれぞれです。

 

 ご本人の生前からのご希望で、「告別式はしない」と伝えられていましたが、たくさんの友人仲間がお別れに駆け付けていました。

 それでも、葬儀本来の儀式的なことは一切なく、沖縄の慣習として告別式には火葬後のご遺骨と遺影にお別れをしますが、火葬前のご遺体を前にして焼香、直接お顔を拝ませていただき、最後のお別れをすることができました。

 「高垣さん、本当にお疲れ様でした。残された私たちは、まだしばらく頑張りますので、どうぞ、天国から見守ってください」。こころからご冥福をお祈りします。

 

 辺野古ゲート前で 自ら作詞した「心さわぐやんばるのうた」を歌う高垣さん。その優しく朗々とした歌声は、人柄がにじみ出ていて多くの人たちから愛されました。

 お別れの後、一緒にバスに乗ってきた皆さんは、また辺野古へ戻り、座り込みを続けますが、私は、午後から別の日程が入って居るため、友人の車で那覇へ戻りました。

 

 

2020年12月4日リンクURL

違法なボーリング調査開始に抗議 ~ 今日(12月2日)の辺野古 ②

  名護市民の命の水ガメ「辺野古ダム」。ダムから流れ出て、辺野古新基地埋め立て予定地の海に注ぐ美謝川の切り替えをしなければ、埋め立て工事を始めることはできない。

 その方法をめぐって、防衛局は計画を二転三転させてきた。今回の設計変更による工事を始めるには、名護市との協議を経なければならないが、協議をしないまま工事のためのボーリング調査を開始した。 

 

 名護市管理の辺野古ダムに、勝手に汚濁防止膜を張り巡らし(調査によってダムの水が濁ることを認識していることになる)、周辺の伐採を始めたという。

 2日は、一回目の座り込みの後、みんなで歩いて10分ほどの現場(第二ゲート前)に移動して、抗議を行うことになった。

 抗議行動を見越して、すでに立ち入りに対する警告と縄が張り巡らされている。

 

 平和市民連絡会の北上田さんが、違法工事の状況を説明。市民らの抗議に防衛局は「本格的な工事ではなく調査なので、名護市との協議の必要はない」と詭弁を弄し、

 名護市長にも、美謝川の河口変更を認めないよう、辺野古有志の会などが抗議と要請しているが、新基地容認派の現市長は「国からの協議の要請があれば応じるが、なければ、対応できない」と、防衛局と口裏を合わせ、黙認を決め込んでいるという。

 第二ゲート前で集会を開き、抗議の声を上げた。

2020年12月4日リンクURL

仲間の命を返せ! 高垣さんの急逝を悼む ~ 今日(12月2日)の辺野古

 今日の天気予報は午後から雨のはずが、早朝から小雨が降るなかを那覇出発、辺野古へ向かう。

 途中のバスの中、本部島ぐるみの代表として塩川の抗議鼓動を頑張っていた高垣さんの訃報が伝えられた。あまりに急なことですぐには信じられず、バスの中のみんなが言葉を失った。

 ほとんど毎日、早朝からときには夜まで、辺野古土砂の積出港・本部塩川港で監視と抗議行動を続けてこられた高垣さん。元々心臓に持病を抱えていらしたそうだが、国の新基地工事の強行に命を削られたと言っても過言ではない。

 今日の座り込みは、まず亡くなった高垣さんへの黙祷から始まった。そして、高垣さんが作詞した辺野古替え歌の一つ「心さわ ぐ山原の歌」をみんなで合唱した。高垣さんがこの歌を唄うときの、あの朗々とした歌声が聞こえてくるような気がして、こらえきれず、みんな涙を流しながら、何度も歌った。

 ♪ 我らの思いは それはただ一つ 麗しき沖縄(うちなぁ)非武の島よ

   *海や森 空も澄めば 我が心は山原の地に

 ♪ いかなる弾圧が 度重なるとも 我らが友情は 永遠に変わらず

  *(繰り返し)

 ♪ 誰でも一度は 恋をするものさ 嵐の中でも 恋は貫く

  *(繰り返し)

 

 

 山城博治さんもこの歌が大好きだ。文子さんと手を握りしめ合って涙をこらえ、高垣さんの歌を唄った。

 人々の悲しみにも容赦なく、機動隊の排除に助けられて、今日も工事車両の搬入が続く。無神経に「警告!移動せよ」と基地の中からハンドマイクでがなり立てる防衛局員に対して、悲しみが、何倍もの怒りになって噴き上げ、「人が亡くなった話をしているんだ。静かにしろ!」と、怒号が飛んだ。

 

 「海を返せ!」「ジュゴンを返せ!」「仲間の命を返せ!」

この辺野古の抗議行動の中で、いったい何人の方々が、無念の思いで亡くなられただろうか。

 辺野古ダムから新基地埋め立て予定地に流れ出ている美謝川の、河口切り替え工事のためのボーリング調査が、名護市との協議をしないまま、違法に開始されたとのことで、一回目の座り込みの後、第二ゲート近くの現場まで、みんなで抗議に行くことになった。

 このことは、長くなるので改めて別項目として報告する。

 テントに戻ると、いつもの差し入れ(紅芋のマッシュ、サーターアンダギー、沖縄風チジミ)と、温かいぜんざいが待っていた。

 今日は、風が強く海が荒れたため、塩川と安和桟橋の積出はなく、安和、塩川に行く予定の糸満島ぐるみなどのメンバーが辺野古へ合流したこともあって、2回目、3回目の座り込みは、70名近くに膨れ上がった。

 今日の抗議行動の締めくくりに山城博治さんは 防衛局の職員を睨みつけながら「高垣さんはこういう連中(国)に命を削られた。悔しい!悲しい!怒りを感じる!残された私たちは、高垣さんの思いを引き継ぎ、頑張りたい」。そして、空に向かって叫んだ。「高垣さん!なんでこんなに早く逝ってしまう。いくな!戻って来い!」

 

 高垣さんの葬儀は、コロナに関係なく「告別式はしない」という、生前からのご本人の希望で、ごく身近な人たちだけの友人葬で執り行われるとのことです。

<今後の日程>

12月3日(木)瀬底のご自宅に安置されています。

12月4日(金)午前9時半:ご自宅でお別れの儀式

       午前10時半:出棺

       午前11時 :本部葬祭場で友人葬

※ 金曜日、安和担当の平和市民連絡会のバスは、午前10時半の出棺に間に合わせて、お見送りをすることになっています。

2020年12月2日リンクURL