友を訪ねて早春の山形へ

 もろさわようこさんを介して知り合った40年来の友人を訪ねて、まだ雪の残る山形へ行ってきました。

 東京では、早咲きのさくらが満開で春を感じさせてくれましたが、山形に向かう新幹線の窓から見える景色は銀世界。実に二十数年ぶりの雪景色に感激しました。白黒しか色はないですが、決してモノクロフィルムで写したわけではありません。

 雲間には、しっかり青い空が広がっていました。

 今回の山形の旅は、もろさわようこさんを研究対象に、大学院でジェンダーを学ぶ友人が、長くもろさわさんと親交のあった方々を訪ねる旅に、橋渡し役で、私も同行させてもらったものです。

 1881年(明14年)創立、1933年(昭8)に建設されたという小学校が廃校になり、旧校舎が、いまは地域の人たちの交流と学びの場になっているそうで、90年余も経っているとは思えないしゃれた洋館で、二日間にわたり、7時間お話を伺いました。

 インタビューを側で聞かせていただいただけですが、私にとっても、人が生きるという意味と、人と人とのご縁・つながりの深さ、不思議さをしみじみと味わう二日間でもありました。

 地域の祭りで使われる獅子頭をつくる家が、郷土料理のお店になっており、お昼に美味しいお蕎麦とずんだ餅を頂きました。

 迫力のあるお顔が印象的な黒獅子。獅子面の横にある左巴の紋が気になりました。琉球王府の紋と同じだからです。どんなご縁があったのでしょうか?

 2日目の朝、ホテルの窓から朝日に輝く「朝日連峰」。東北のアルプスと呼ばれているそうです。

 息苦しい政治状況で窒息しそうな沖縄を脱出して、しばし命の洗濯をした二日間。少しだけ寿命が延びたような気がしています。

 

 

2024年3月19日リンクURL

師を悼む ~ もろさわようこさん ありがとう!

 またまたブログの更新が滞っているのは、決して怪我(右肩骨折)のためではありませんので、ご心配なさいませんように。でも、怒涛のような3週間近くの日々であったことは確かです。

 閏2月29日未明、沖縄との関りも深く、私にとっては人生の恩師ともいえるもろさわようこさん(99歳)が亡くなり、50年近く沖縄でのもろさわさんと身近に接して来た者として、メディアの取材攻勢やお別れ会の対応、気持ちの整理に追われてのことでした。

 まだまだ振り返る気持ちの余裕はありませんが、新聞等で取り上げられた関連の記事を紹介して、遅ればせながら、とりあえずの報告とさせていただきます。

<3月1日 琉球新報>

 また、今年の3・8国際女性デーでも、もろさわさんのこれまでの活動が話題として全国的に取り上げられたのも、彼女が、市井の女性たちに与えた影響の大きさが認知されていることを確認することが出来、嬉しいことでした。

 ご本人の意志により、いわゆる告別式は行われなかったのですが、ごく身近な人たちだけで、お別れの会が、もろさわさんが最後をお過ごしになった神奈川県川崎市で、3月6,7日ささやかに執り行われました。

 後日、関りの深かった沖縄、高知、長野の地で、それぞれ関係者による「しのぶ会」が行われることになっています。

 

 

 

 

2024年3月18日リンクURL

まるで戦場のよう ! ~ 「オスプレイ飛行再開」 「うるま自衛隊基地にミサイル搬入」「石垣民間港に米軍艦」「辺野古工事用ゲート変更」

 沖縄中が、まるで戦場のようだ。

 原因究明もすすまぬままにオスプレイ飛行を再開し、うるまの自衛隊基地に、本格的なミサイル配備が始まった。石垣では、米海軍の艦船が県や住民の反対を押し切って入稿、兵員の休息のために上陸させるという。


 

 辺野古では、県民が抗議で座り込んでいる工事用ゲートが、今朝から700㍍北にある第4ゲートに新しくつくられた工事用ゲートに移動し、抗議行動が思うようにできない状況になっているという。

 こんなときに、明日から16日まで所用で沖縄を離れなければならない。あまりのタイミングの悪さに、不安が募る。

 

2024年3月11日リンクURL