
辺野古沖の抗議船転覆事故で死亡した船長が、過去に知り合いの女性に性暴力を行っていたとの17日新報の記事は、抗議船の船長として仲間に信頼されていた人だっただけに、ゲート前にも大きな衝撃が広がった。 
隠されがちな性暴力が明らかになったことは、もちろん大切なことで、証言した被害者も、取材する側も、さぞかし勇気がいったであろう。今後、被害者がネットなどの誹謗中傷にさらされるような、いわゆる二次被害にあうことがないよう周りがどう守っていくかが大切になってくる。
一方で、この記事には少し違和感も感じる。加害者が亡くなっていることで、反論の機会が保証できない点や、ずいぶん以前に起こった出来事であり、周りにはかなりの範囲で知られていたようだが、なぜこのタイミングでの表面化なのかがすっきりしない。
そして大きいのは被害者が、これは一人この加害者だけの問題ではなく「構造的な問題」だとしっかり指摘し批判しているが、記事は「構造的」の意味を説明しきれていない。果たして、どれくらいの読者が「構造的」ということばを、真に理解できているだろうか?と懸念する。
沖縄差別に抗議する人間が、自らは女性差別の極みである性暴力を平然と働いている。沖縄の女性は、「沖縄差別」と「女性差別」という二重三重の差別を受けているのだ。問題の根底に女性差別があることを見逃しては、また同じ過ちを繰り返す。現に繰り返している。






















この日の琉球新報の記事「船長が過去に性暴力」は、ゲート前にも大きな衝撃を与えた。長くなるので、項を改める。.jpeg)
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