屈辱の日、4・28 

 4・28が何の日か知らない世代が大多数だ。1952年4月28日、敗戦国日本は、サンフランシスコ講和条約の発効で、沖縄を人質にして独立を果たした。1972年5月15日、日本に復帰したものの、それは名ばかり、実質人質状態はいまも続く。人質というより、いまや「生贄」といったほうがいい。

          < 2026年4月29日 琉球新報>

 

 

 

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10年前の4月28日ジョギング中の一人の女性が消えた! ~ 元海兵隊員による二十歳の女性 拉致・強かん・殺人・死体遺棄事件

 2016年4月28日、結婚を間近に控えた二十歳の女性が、家族に「ジョギング行く」と言って出かけたまま、行方不明になった。3週間後、恩納村の米軍訓練場近くの山林から、半分白骨化した姿で発見された。逮捕されたのは、元海兵隊員の軍属だった。

 あれから10年。遺体遺棄現場には、今日も多くの人が花束を手に線香を手向け、冥福を祈った。 

 この10年間、現場周辺の草刈りや供え物の清掃管理などを担う元金武町長の吉田勝廣さん。今年も前日から献花台を備え、訪れる人たちに対応してくださっていた。

 今日は11時ごろご両親が訪れ、現場で祈りをささげたという。ご両親は、前日メディアを通して次のようなコメントを発表した。

娘を亡くして10年、今でも悲しみ、悔しさ、いろいろな思いがあります。毎年献花台を設置していただいている吉田勝廣さん、県警、結センター関係者の方々、支援している皆様に感謝申し上げます。私たちはこれからも娘を想い供養してまいります。」

 
 献花台に備えられたぬいぐるみや人形などは、被害者の友人や親族はじめ、ここを訪れるひとたちがが備えたもの。吉田さんが預かり、この10年間命日のたびに献花台に供えているという。
 
 私も今日は自宅の庭から、白とピンクのグラデーションが清々しいブーゲンビレアの花を持参し、供えた。

 事件後の県民大会で、「二度と同じような事件を起こさせない」と被害者に誓ったが、私たちは約束を守れていない。この10年間に、わかっているだけでも10本の指では間に合わないほどの、軍隊による性暴力事件が起こっている。

 そもそも軍隊の性暴力は構造的なものだ。基地・軍隊がある限り起こり続ける。根絶するには軍隊そのものをなくすしかない。武力で平和はつくれない。力(軍事力)に依らない平和を求めて、今後も活動を続けていくことを、改めて誓った。

 奇しくも4月28日は、サンフランシスコ平和条約の発効により、沖縄が本土化切り離された日。沖縄では「屈辱の日」としている。沖縄の女性たちにとっては、もう一つの屈辱の日だ。決して忘れない。

 

         

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日本は、とうとうここまで落ちぶれたか!~ 今日4月22日の辺野古

 「いよいよここまで来たか!」と、背筋が冷たくなり、ため息が出た。「武器輸出解禁!」 今朝の琉球新報一面トップ記事である。かの宮沢喜一が財務大臣時代に、「武器を輸出するのか?」と問われて、「我が国は武器を売るほど落ちぶれてはいません」と、答弁したという。それからすると、「日本は武器を売らなければならないほど落ちぶれてしまった」ということになる

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 やっと高速道路の工事が終了し、8時25分には辺野古へ到着。座り込み現場に向かう前にテント下で10分ほどの余裕ができる。早朝から1時間半もバスに揺られて来るので、ちょっと息抜きができて、気持ちが楽になる。

 一回目の座り込み。こちらも少なかったが、それを見越してか、機動隊も少なかった。機動隊に椅子を外されたので、今度は地べたに座り込んで頑張る。その方が排除する機動隊にはシンドイようだ。持ち上げるのに時間がかかっていた。それぞれに工夫して時間を稼ぐ。

 

 

 

 

 

 

この季節、沖縄では「うりずん」または「若夏」と呼ばれる。晴れて少し暑いが日差しは穏やかで優しい。テント横の花壇で季節の花々が迎えてくれた。

ピンクのアマリリスと、ヒロハシャゼンオモダカ(オオバコの仲間)

 

 

 

 

 

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