いまこそ憲法9条を! ~ うちなぁぐち憲法9条

  毎朝新聞を開くのが億劫だ。きな臭い話ばかり。今朝も一面を開くなり背筋に冷たいものが走った。憲法記念日を前に共同通信が行った世論調査で、73%が「改定、加憲の必要あり」と答えたという。9条改定も50%、必要なしは48%と拮抗。高市首相がほくそ笑んでいることだろう。 

 トランプ大統領からホルムズ海峡への自衛隊派遣の要請を受けた高市首相が「法律の範囲でできることを…」と、それとなく断ったことを、「憲法9条のおかげで参戦を免れた」とされた。そうかもしれないが、「だから9条を変えなくちゃ!」と高市首相は決意を新たにしたのでは!と、私は思う。9条さえなければ、トランプ大統領を喜ばせることができたとのに、と地団太踏んだに違いない。平和を望む私たちも、決意を新たにしなければならない。 いまこそ、憲法9条を活かして、平和を守ろう!

 

 私がその存在を知ったのは、女性史家で思想家のもろさわようこさんが、長野県の佐久市望月に、志をもって活動する人々が出会う場所として開いた「志縁の苑」の報告集(2020年)である。志縁の苑はじめめの家のギャラリーに、「不戦コーナー」と名付けられた一角があり、そこに置かれた陶板の写真に、私は心を揺さぶられた。地元の言葉で綴られた憲法9条の文言が、直球で飛び込んできて体中が共鳴したのだ。

 『おらほ(わたしたち)の憲法9条「たとい国と国とのもめごとだらずが、お国のためだなんてせって、よその国へ攻めていったりしねだしど。(もし国と国とのもめごとがあっても、自国防衛のためだと言って、他国を責めるようなことはしないんだ)この国はなにがあらずが、これっきし戦争はやめらっず。(この国は何があっても、以後、戦争はしない!)」と、9条の真髄が短い言葉で的確に表現されている。

 作陶は、もろさわようこさんと親交の深い陶工・岡本一道さん、文章は、板画家の森獏朗さんが生まれ育ったあんずの里で有名な森地区というローカルな方言「もりっこことば」だと、後で教えていただいた。 「うちなぁぐち憲法9条」が、胸の内にむくむくと湧いてくるのを禁じえなかった。

 しかし、遠い長野、実際に対面できたのは、それから4年後2024年10月、その年2月亡くなられたもろさわようこさんの「しのぶ会」が、志縁の苑で2日間にわたって行われた。(私は実に10年ぶりの信州だった)全国から80名余方々がつどい、99歳の天寿を全うしたもろさわさんを泣き笑いしながらしのんだ。滞りなくしのぶ会が終わり、皆さんが帰られたあと、ぎやらりーに向かった。

 「武器を花器に」をテーマに、花が生けられた陶器の砲弾、手榴弾と共に、「おらほの憲法9条」の陶板はあった。半端ない存在感にくぎ付けになった。「沖縄にもほしい!」思いは募ったが、40年来の志縁仲間とはいえ、軽々と口にできることではなかった。 

 さらに一年後、はじめの家でもろさわようこの思想を受け継ぐ学習会があった。「沖縄ともろさわようこ」の書籍をテーマに、それぞれがもろさわさんから学んだことを語り合った。地元長野を中心に40名ほどが集った。その中に、いつものように黙々と裏方を務める岡本一道さんの姿があった。終了後、勇気を振り絞って思いを打ち明けた。「うちなぁぐちの憲法9条陶板をつくっていただけないか」と…。少し戸惑った様子だったが、柔らかな笑顔で「少しお時間いただければ」と快諾いただいた。天にも昇る気持ちだった。

 

 「おらほの憲法9条」を参考に、うちなぁぐちを沖縄9条連の海勢頭豊さんに依頼、今年2月末、もろさわさんの3周忌に間に合わせるかのように「わったー憲法9条」の陶板が届いた。

「わったー憲法九条」

「憲法九条や倭及奴人(うちなーんちゅ)ぬ肝(ちむ)ぐくる

たとぅい国とぅ国とぅぬ むみぐとぅがあてぃん

国ぬたみんでぃ言ち  ゆすぬ国攻みてーならん

くぬ国や ぬーがあてぃん 

戦(いくさ)や 絶対に さん」

 一枚は、南城市にある志縁の苑 うちなぁに。

      

もう一枚は海勢頭豊さんが共同代表を務める「沖縄9条連」の事務所に。

慣れ親しんだうちなぁぐち(シマくとぅば)で憲法9条を謳えば、心にしみ、親しみやすい。陶板づくりは大変だが、書であったり、プラカードであったり、バナー、Tシャツ、はがき、いろいろ工夫はできる。それぞれのお国ことばで憲法9条を全国に広めよう。

<追記> 陶板にはこのようなカードが添えられていた。陶板製作は、普段の器づくりとは違い、破損のリスクが高いとのこと。(作陶のことなどまったく無知で、大変なことをお願いしてしまったと恥じた)「案の定、慎重に進めてきたにも関わらず、傷が入ってしまった。(陶板の右肩から斜め下に、一本の光る線が入っているのがわかるだろうか?)金づぎ(金箔でつなぎ合わせる)という技法で修正した」と。「踏まれても 立ち上がり ヒビが入って 箔がつく」。この言葉に、私はさらに感動で鳥肌が立った。

といういうのも、陶板が届いたのが、ちょうど衆議院選でオール沖縄の結束にヒビが入り、大敗して落ち込んでいるときで、この後に控える知事選が心配された。オール沖縄に入ったヒビが、再びつなぎ合わされて箔がつく(さらに強くなる)、と受けとめたのだ。重ね重ねの心遣いに感謝するばかりだ。

 

2026年5月3日リンクURL

屈辱の日、4・28 

 4・28が何の日か知らない世代が大多数だ。1952年4月28日、敗戦国日本は、サンフランシスコ講和条約の発効で、沖縄を人質にして独立を果たした。1972年5月15日、日本に復帰したものの、それは名ばかり、実質人質状態はいまも続く。人質というより、いまや「生贄」といったほうがいい。

          < 2026年4月29日 琉球新報>

 

 

 

2026年4月29日リンクURL

10年前の4月28日ジョギング中の一人の女性が消えた! ~ 元海兵隊員による二十歳の女性 拉致・強かん・殺人・死体遺棄事件

 2016年4月28日、結婚を間近に控えた二十歳の女性が、家族に「ジョギング行く」と言って出かけたまま、行方不明になった。3週間後、恩納村の米軍訓練場近くの山林から、半分白骨化した姿で発見された。逮捕されたのは、元海兵隊員の軍属だった。

 あれから10年。遺体遺棄現場には、今日も多くの人が花束を手に線香を手向け、冥福を祈った。 

 この10年間、現場周辺の草刈りや供え物の清掃管理などを担う元金武町長の吉田勝廣さん。今年も前日から献花台を備え、訪れる人たちに対応してくださっていた。

 今日は11時ごろご両親が訪れ、現場で祈りをささげたという。ご両親は、前日メディアを通して次のようなコメントを発表した。

娘を亡くして10年、今でも悲しみ、悔しさ、いろいろな思いがあります。毎年献花台を設置していただいている吉田勝廣さん、県警、結センター関係者の方々、支援している皆様に感謝申し上げます。私たちはこれからも娘を想い供養してまいります。」

 
 献花台に備えられたぬいぐるみや人形などは、被害者の友人や親族はじめ、ここを訪れるひとたちがが備えたもの。吉田さんが預かり、この10年間命日のたびに献花台に供えているという。
 
 私も今日は自宅の庭から、白とピンクのグラデーションが清々しいブーゲンビレアの花を持参し、供えた。

 事件後の県民大会で、「二度と同じような事件を起こさせない」と被害者に誓ったが、私たちは約束を守れていない。この10年間に、わかっているだけでも10本の指では間に合わないほどの、軍隊による性暴力事件が起こっている。

 そもそも軍隊の性暴力は構造的なものだ。基地・軍隊がある限り起こり続ける。根絶するには軍隊そのものをなくすしかない。武力で平和はつくれない。力(軍事力)に依らない平和を求めて、今後も活動を続けていくことを、改めて誓った。

 奇しくも4月28日は、サンフランシスコ平和条約の発効により、沖縄が本土化切り離された日。沖縄では「屈辱の日」としている。沖縄の女性たちにとっては、もう一つの屈辱の日だ。決して忘れない。

 

         

2026年4月28日リンクURL