普天間返還から30年 ~ 基地のない沖縄をあきらめない

 4月12日は、「普天間基地を5年から7年で返還する」とした、いわゆるSACO合意から30年の節目となる。いまだかえらない、いや、「条件が整うまで返さない」といわれた普天間基地の問題を考える集会と学習会が、宜野湾市で行われた。   

 まずは午前10時から、普天間基地を見下ろす嘉数高台展望台で、当時宜野湾市長だった伊波洋一参議院議員から、普天間間基地の危険性、違法性などについて話を聞いた。

 「市街地のど真ん中にあり、アメリカの法律にも、日本の法律にも触れるあってはならない普天間飛行場。辺野古が唯一といいつつ、老朽化した滑走路をはじめ、基地内施設がの日々更新され、ピカピカに。

 沖縄の負担軽減のために、海兵隊をグアムに移すといい、グアムにそのための新たな基地や施設が、日本のお金でつくられたのに、いまだ移転の様子はない。日米政府の不条理が、ここ沖縄に集約されている」。

 また、普天間基地がもたらす危険性について、FPAS問題や、騒音、空からの落下物など、これまでの様々な被害についても訴えがあった。

 

 11時からは、嘉数公民館に場所を移して学習会がもたれ、返還合意から今日までの経緯や問題点について学び、返還を求める市民側の今後の闘いのあり方について、討論が行われた。

 

2026年4月13日リンクURL

雨にぬれても…  ~ 4月8日の辺野古

 この季節は出かける前に着ていく服の選定に迷う。晴れれば、カンカン照りで汗をかき、天気が悪ければ肌寒い。那覇は23度でも、海が近く風があり緑の多いやんばるは2度ほど気温が下がる。突然にスコールのようなカタブイ(局地的な雨)に見舞われることもある。まさに辺野古は、そんな場所である。

 なので、特に県外からいらっしゃる方には、着脱可能な薄手の長袖の上着やジャンパー類をお勧めしている。 

 昨夜、辺野古は大雨だったようだ。ゲート前では、座り込みをする前に、まずはずぶぬれになった椅子やメッセージボードを、日に当て乾かすことから一日の行動は始まった。なんだか、いい感じ!

 「(公道で)許可なく展示物をするのはやめてください」と、機動隊に言われたが、「展示しているのではなく、濡れて持てないから乾かしているのです。乾いたら取ります」と、いなした。

 いや、嘘ではない、ほんとうに乾かしているのだ。それにしても、抗議行動の現場らしく、いい雰囲気だ。

 この日も、座り込みは黙祷から始まった。事故で亡くなったお二人の七七忌が済むまではサイレント座り込みが続く。今日もマイクなしの静かな抗議行動である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 10時過ぎには那覇からの2台目のバスも到着。テント下はにぎやかになった。 

 スイスから来たという若者。「スイスにも米軍基地があり、米軍の行動に反対する活動をしてる。

 沖縄には初めて来たが、皆さんの長年に渡る抗議行動を知り感動している。とても大事なことだ。尊敬する。スイスに戻って、仲間にも沖縄のことを伝え、自分たちに何ができるか考え、行動したい」と語った。 

 辺野古の行き帰りに立ち寄る伊芸のサービスエリアのトイレは、とても清潔で気持ちいいい。手洗い所には、いつも花の名前など説明付き(左下)の素敵な花が飾ってある。今日は白いコチョウランに蝶ではなく、一匹のカナブンがとまっていた。なにかいいことあるかな?

 

 

2026年4月9日リンクURL

あの事故は嘘であってほしい ~ 4月1日エイプリルフールの辺野古

 午後から警報級の大雨との予報に、最大級の雨対策をして辺野古に向かう。しかし、空はまだ雲間から時折朝日ものぞくような穏やかな天気だ。

 大雨の予報で、北部へのドライブを断念したした人が多かったのか、渋滞も大したことなく、久しぶりに従来通りの時間に辺野古へ到着。ここ一月ほど続いていた現場直行ではなく、メインゲート前のテントで一息つくことができた。

 辺野古の朝は、テント前の清掃(落ち葉掃き)から始まる。いつもの光景に気持ちがほころんだ。

途中から雨になってもいいように雨具を装着、改めて現場行きのバスに乗り込んだ。

 抗議船の転覆事故で、3月いっぱい抗議行動は自粛すると決めたオール沖縄会議から、改めて49日の法要まで自粛を延長すると連絡があったとのこと。現場では、ひきつづきマイクなしの静かな抗議行動をとることになり、一回目の座り込みは、哀悼の意を込めて黙祷から始まった。 

 

自然界は春。メインゲート前のテントの周辺でも、名もしれぬ愛らしい草花や見慣れたリュウキュウコスミレに気持ちを癒される。

 正午前、2回目の座り込み。時折頬に雨粒がパラつくものの、まだ大降りにはならない。

 事故について、同じ海上行動の仲間である目取真俊さんが、亡くなった船長について語った。「ネット上で、ここぞとばかり誹謗中傷が浴びせられているが、船長は海上行動のベテランで、仲間からとても信頼されていた。彼がいると安心して海に出ることができた。無謀なことをする人ではない。その日は、確かに波浪警報が出ていたが、海は穏やかで0.5㍍ 海水浴もできるほどだった。事故の一週間前にも同じコースで航行している。突然、思いもよらない大波に襲われたとしか考えられない」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「沖縄の米軍基地は日本人の問題である」「日本は米国から独立せよ!」「沖縄を解放せよ!」= 反戦弁護士の会 

 15:00前 3回目の座り込みは、予報通りどしゃぶりの雨。座ることができず、激しい雨に打たれながらスタンディング。 

 少し雨が収まったところで、機動隊の排除が始まった。

 ほとんどの人が立ったままだったことから、ものの5分もせず、全員が排除されてしまった。

 

 

 

 

 今日も気の重い一日だった。

 亡くなった生徒さんのご両親の無念、悲しみを思うと言葉を失う。この高校の生徒たちは、海外留学の経験者が多く、将来世界を舞台に活躍することを目指しているという。ご両親にとっても、さぞ将来に期待をかけた娘さんだったことだろう。

 亡くなった船長も、教会の信徒や海上行動の仲間たちからとても信頼される穏やか人柄と操船技術を持ち合わせたベテランの船長だった。

 だからこそ、私たちは二人の遺志を未来に生かし、活かすために、平和を脅かすものへの抗議鼓動を続ける。

 

 

2026年4月2日リンクURL