4・28が何の日か知らない世代が大多数だ。1952年4月28日、敗戦国日本は、サンフランシスコ講和条約の発効で、沖縄を人質にして独立を果たした。1972年5月15日、日本に復帰したものの、それは名ばかり、実質人質状態はいまも続く。人質というより、いまや「生贄」といったほうがいい。

< 2026年4月29日 琉球新報>
4・28が何の日か知らない世代が大多数だ。1952年4月28日、敗戦国日本は、サンフランシスコ講和条約の発効で、沖縄を人質にして独立を果たした。1972年5月15日、日本に復帰したものの、それは名ばかり、実質人質状態はいまも続く。人質というより、いまや「生贄」といったほうがいい。

< 2026年4月29日 琉球新報>
痛恨の極み! 言葉も出ない!


辺野古埋め立ての土砂搬出港に使われている阿波桟橋で、私たちの抗議行動仲間がダンプに巻き込まれ、瀕死の重傷を負った事故で、被害女性が賠償を求めて起こした裁判の第2回公判が、去る2日、那覇地裁で行われた。


公判後、
近くの公園で報告集会が行われ、弁護団を代表して三宅弁護士は「今回の公判で、警備会社と運転手との間でダンプ走行の『指示』を巡って食い違いが浮き彫りになった。今後は防犯カメラの情報開示などによって、証言の裏づけが大事になってくる」と語った。
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