沖縄で もろさわようこさんを偲ぶ会

 沖縄を「もう一つのふるさと」と呼び、「ものごとを考える原点」とした女性史家・故もろさわようこさんを偲ぶ会が、去る1日と2日、南城市にある志縁の苑うちなぁで開かれた。

         <3月11日 沖縄タイムス>

 翌2日は、海が大好きだったもろさわさんが愛し、足しげく通った新原ビーチや百名の地を、みんなで散策し、在りし日のもろさわさんを偲ぶとともに 

 遠く久高島を臨む百名の海岸から、波間に浮かべた花々をお共に、魂のふるさと・ニライカナイへ!へとお帰りになるのをみんなで見送った。

 2日間の偲ぶ会で、参加者一同、もろさわさんが結んでくださった「志の縁」を、改めて確認し合い、その「志縁」の絆を、今後どう広げていくか、語り合った。生誕100年の今年、新たな一歩を踏み出したいと願いつつ…。

 

2025年3月12日リンクURL

16日祭の渡嘉敷島➁ 

 今朝(16日)の琉球新報、渡嘉敷島の16日祭の記事が、通信員のレポートとして掲載されている。偶然にも記事の写真が我が家のお墓であった。家族一同ビックリ。

 

 記事にもあるように、渡嘉敷村のお墓はこれまで「模合墓」が一般的。沖縄では門中墓がよく知られているが、門中墓が男系の親族(一門)を祀るのに対し、模合墓は、そのときどきにお墓の必要な家族が何軒か集まり、一つの墓を共用するすくみになっている。(呼びかけ発起人を墓主とする)

 我が家の墓も祖祖父の時代(明治の終わりごろと思われる)に、分家した祖祖父がこの模合墓に加わってる。

 門中墓は、墓前で門中が勢ぞろいして清明祭を盛大に行うが、渡嘉敷島には中国由来の清明祭はない。そして、お墓参りも一年のうち16日祭だけである。それ以外の先祖供養は、全て仏壇を通して行う。

 残念ながら、こうした日常の祭祀にあまり関心をむけてこなかったので、両親や祖母に話を聞く機会を逸してしまい、詳しいことはわからない。代々命を繋いできたご先祖がいたからこそ、今の自分がいることを思えば、先祖供養を大事にしてきた沖縄の先人たちの「想い」は受け継いでいかねばと、自らが終活の年齢になり、遅まきながら気づき反省しているこの頃である。

 

 

2025年2月16日リンクURL

16日祭の渡嘉敷島

 昨日2月13日は、旧暦の1月16日で、グソー(後生・あの世)のお正月。先祖代々のお墓のある渡嘉敷島へ行ってきました。 

  渡嘉敷島の港に着くと、桟橋のすぐそばの波打ち際でシラサギに遭遇。

 かつては、波打ち際は海鳥たちのエサになるエビや貝、カニなどがいくらでも生息していた。いまはセメントで塗り固められてしまい、エサになりそうな生き物は全く見当たらない。せめて、一時の羽休めにはなっただろうか?

 カメラをむけると優雅に翼を広げ、舞うように飛び立っていった。

2025年2月14日リンクURL