2週間のご無沙汰です!

 2週間ぶりのブログ更新です。

 去る6日パソコンのデータ入れ替えに失敗し、修復に4日ほどかかった。何とかメールは復旧できたものの、ブログはIDやパスワードがリセットされて、ログインできず、昨夜やっと修復、更新が可能になった。 しかし、この間パソコンの故障に始まり、以後怒涛の日々が続いた。

 10日水曜日は、弟の1周忌で辺野古は休んだものの、その朝、妹の連れ合いが倒れ、救急搬送、脳幹出血と診断され、重度の右半身不随の後遺症が残る状況に見舞われた。

 翌11日、50年来の友人の訃報が届いた。認知症で施設に入所、以来コロナ禍も重なり、会うことができず、電話だけの交信が続いていたが、ここ一年は電話さえも通じなくなっていた。

 彼女は、国認定の環境カウンセラーの資格を持つ環境の専門家で、県内はもちろん、県外では屋久島、国外ではタイ、スエーデン・デンマーク・ドイツ、中国四川省など一緒に環境調査に行き、番組を作った活動仲間である。

 お通夜で会った彼女の姿は、あまりにも変わり果てて、ショックでしばらく立ち上がれなかった。認知症は重度になると食べ物も認識できなくなり、食事もとれなくなることを知った。89歳だった。(合掌) 

 13日は、四国から平和ツアーで来沖した友人たちの南部戦跡めぐりに誘っていただいた。20数年ぶりにアブチラガマに入り、ガマフヤー・具志堅隆松さんの遺骨収集現場に同行させてもらい、「いたるところに戦争の跡がある」という具志堅さんの言葉を実感、遺骨収集についての認識を新たにし、多くの学びを得た。その様子は後日お伝えする。

 <写真は友人宅のクラリンドウの花> →

2025年12月18日リンクURL

「戦争体験者として絶対に許せない!」~ 辺野古にて島袋文子さん

 辺野古へ向かうやんばる路(沖縄自動車道)は、梅雨の花・いじゅが真っ盛り。

 いじゅの花も咲き、しばらく雨の日が続いて梅雨入りかと思ったら、今日から夏日の晴天が続くとの予報。座り込みには厳しい夏がやってくる。

 1回目の座り込みは、 5・15平和行進の週でもあり、韓国・済州島や 北海道、千葉など県外からの参加者も多く、あさイチから40名近くが座り込んだ。

 島袋文子さんの元気な姿も見える。

 この日一番の話題は、やはり沖縄戦の歴史認識をめぐる「自民党・西田発言」「参政党・神谷発言」。言葉に尽くせないほどの苛烈な沖縄戦を生き抜いてきた島袋文子さんにマイクが向けられた。

「私は戦争体験者として絶対に許せない。戦争のことを全くわかっていない。日本軍は、ウチナーンチュを”スパイだ!”と言って殺した。私は目の前で殺される人を何人も見た。避難していた壕から追い出され、死んだ人もたくさんいる。日本軍が沖縄を守る?絶対にありえない」と憤った。

 怒りの中にあっても座り込み抗議行動は、歌や踊りにあふれ、しなやかにしたたかに行われた。機動隊に囲まれながら笑顔で踊る女性。

 

 

 私は、午後から次の日程があり、午前中で辺野古を離れ、いじゅの花を眺めながら怒りの気持ちを癒しつつ、またやんばる路を沖縄市まで戻った。明日(15日)以降、5・15関連の日程が続く。

 

5月15日(木)18:00 ~ 5・15特別講演会「なぜ?、沖縄、日本、米国はこうなったか?」 講師:内田雅敏弁護士 場所:教育福祉会館 主催:沖縄9条連

5月16日(金)14時集合、15時開始~ 平和行進結団式(那覇市民会館なはーと) 韓国から参加団

5月17日(土)8時30分~ 平和行進出発式(嘉数高台公園) 9時~行進開始 11時に宜野湾市民会館で昼食・休憩

13時30分~行進再開 15時に北谷スタジアム、同所で15時30分~県民集会  韓国から行進参加団

5月18日(日)午後 金城実アトリエで交流会など

 

2025年5月15日リンクURL

戦争の愚かしさを教えてくれる ケラマブルーに輝く渡嘉敷島

 20日(木)は、関西で「慰安婦」問題に取り組む友人らを案内して渡嘉敷島へ行ってきた。

 雲が多く決して完ぺきとはいえなかったが、ここ数年渡嘉敷へ行くたび悪天候に見舞われ、紺碧の海を見ることが出来なかったので、久々にある程度うなずける慶良間ブルーに出合えた。

 野山はシャリンバイ、テリハボク、ケラマツツジ、野アザミの花々が咲き乱れ、ムラサキシキブ、ヤマモモが鈴なり、今まさに春爛漫。ここが戦争の爪痕深き島であることを、しばし忘れさせてくれた。

 が、我にかえって見れば、自然の美しさと戦の悲惨のコントラストが、逆に戦争の残忍さ、愚かしさを浮き彫りにする。

 「慰安婦」問題に取り組む友人たちが、この島にやって来たのは、「慰安所」跡や、アリランのモニュメントがあるからだ。

 沖縄戦当時、沖縄には145ヵ所もの「慰安所」があったとされるが、その中の様子がわかっているのは、唯一渡嘉敷島の「慰安所」だけである。

 しかし、そこだけを見ても、問題の本質は見えてこない。なぜ戦争が起こるのか?なぜ「慰安婦」という存在を生み出したのか?ことの本質を問わねば、戦争も止められないし「慰安婦」問題の解明にもつながらない。案内をしながら、どう説明すれば伝わるのかと、いつも苦悩する。

 

2025年3月22日リンクURL