野山に春の実り ~ 渡嘉敷島

 陽光に照らされて、渡嘉敷島の野山はいま豊かな実りの季節を迎えています。写真を見るだけでもワクワクし、豊かな気分になる春の便りです。

 <3月15日 琉球新報 ↑>

 渡嘉敷島で過ごした子どもの頃、大人たちが野良仕事から帰ってくるのを、今か今かと待ちかねていたものです。お目当ては「やまむむ、野イチゴ、くーび、なんでんしー、ぎーま…」など、季節によって木の実は違っていたけれど、母や祖母が家で待っている子どもたちへのお土産にと、野山に実る自然の恵みを手折ってくるからです。(ケーキやアイスクリーム、果物などいくらでも美味しいおやつが食べられる今の子どもたちは見向きもしませんが…)

 それはいつも、頭に乗せたバーキ(ざる)いっぱいに収穫した作物(芋や大根、人参など)の間に一枝か二枝、まるでかんざしでも飾るかのように挿して、帰ってくるのです。その姿を見つけたときの、うきうきした気持ちと幸せ感と共に、子どもの頃の自分が、鮮やかな映像となって蘇ります。

バライチゴ

バライチゴの花

野いちご狩り2013年

これは大人になってから教えてもらったことですが、ある日、畑からの帰り道、まだ青い実がつき始めたばかりのヤマモモの木を見つけた祖母が、その一枝に目立つ色の紐(何色だったかは忘れてしまいましたが)をリボン状に括り付けたのです。「それ何?」と聞くと「この枝は私が予約しましたよ」という意味なのだそうです。そうすれば、この枝には誰も手をつけない、村人の間の暗黙の了解だったようです。

 こういうのって、いいなぁ~!しかも、一本の木全部ではなく、”一枝”というのがまたいいですよね。古き良き時代のお話です。

 

2020年3月16日リンクURL

桜並木に大感激! ~ 2月14日の渡嘉敷島

 昨日(14日)は、東京から平和学習でおいでになった7名の方々を案内して渡嘉敷島へ。

 トマリンの切符売り場は、いつもだと長い行列ができ、切符を買うのに15分~20分待たされるのが当たり前になっていましたが、昨日は船が欠航になったのかと、一瞬思ったほどガラガラ。並んでいる人は一人もいませんでした。

 もちろん、船の中もガラガラ。10人ほどが横になれる優先室に私一人だけという状態でした。コロナウィルスによる中国からの観光客の減少だけでなく、韓国、台湾など他の外国や、国内旅行者も激減しているようです。観光業への影響は計り知れないものがあります。

 昨日はあいにくのお天気で、自慢のケラマブルーの海を、皆さんにお見せすることはできず、とても残念だったのですが、でも、神様は私たちを見捨ててはませんでした。この季節ならではの、別の感動を用意して待っていて下さったのです。

 この島に生まれ育って70年余、私も渡嘉敷島にこんな見事なさくら並木があることは知りませんでした。

 国立青少年交流の家から島の裏側を回るように一修道路があり、その途中に数十本の桜の木が植栽されていました。例年ならもう葉桜になっている時期なのだそうですが、今年は一斉に咲くのではなく、時間差で開花し、十数本がいままさに満開を迎えていました。(待っててくれて、ありがと!!」)

 桜の他に、ヤマモモや野イチゴ(バライチゴ)など野生の実りが色づき始めていました。あと2~3週間後に食べごろを迎えるとのことでです。

 一行は、「集団自決」などの戦争遺跡や歴史遺産などいくつか回り、渡嘉志久の浜で休息。

 サンゴの砂浜で大の大人が童心に返り、波と戯れ我を忘れて砂遊びに夢中になっていました。豊かな自然には、人の心を芯から癒す力があります。

 最後に訪れた「アリランのモニュメント」では、真っ赤なケラマツツジが満開。

 去る大戦時、この島の「慰安所」に繋がれ、耐えがたい性暴力を強いられた朝鮮の女性たちの姿と重ね合わせ、胸が締め付けられるような美しさに、心を奪われました。

 

 

 

2020年2月15日リンクURL

ジュウルクニチー(十六日祭)で里帰り

 8日、9日はジュウルクニチーのため、ふるさと渡嘉敷島に里帰りしていました。

 「正月には帰らなくても、十六日(ジュウルクニチー)には故郷に帰る」と言われているのが沖縄の先祖供養の一つ十六日祭です。あの世のお正月ともいわれています。

 あの世のこととはいえ、お正月ですからごちそうをつくり、お供えします。今どきはスーパーやデパートなどで16日祭用のお重詰めを手軽に買えますが、我が家ではすべて自前で作ります。(と、言っても料理上手な妹たちがいるので、私はお手伝い程度ですが…)

 2種類のお餅と、9品の料理を詰め合わせたお重が定番です。沖縄の先祖供養は仏教ではないので、精進料理ではありません。お魚もお肉料理もあります。

 我が家ではまず、一族の始祖が眠っていると言われている「ウル墓」にお参りします。お墓とは言っても、それらしい建造物はなく、大きなテーブル珊瑚が2枚、重ねるように置かれているだけです(ウルとはサンゴ礁のこと)。香炉が3個あるのは、私たち以外にもここへお参りする一族があるということを示しています。

 かなり見事なテーブル珊瑚です。「もしかしたら、当時は風葬だったのかもしれない」と、想像してみたりしましたが、本当のところはわかりません。

 続いて、父や母、祖母の眠るお墓にお料理をもってお参りします。

 沖縄のお墓は、とても大きいことでつとに有名ですが、他府県のように家族単位ではなく、一族単位の門中墓、あるいは寄り合いで何軒かの家が合同で作るお模合墓だからなのです。近年は家族単位のお墓が多くなってきているようです。

 渡嘉敷島では、同じ時期にお墓をつくる必要がある人たちが合同で作る模合墓ほとんどのようです。我が家のお墓も当初は5~6軒が合同で作った模合墓だったそうですが、いまこのお墓を利用しているのは2軒だけになりました。

 かなり古く、石材のアワ石が風化したり木の根が石のつなぎ目に入り込んで、石積みが崩れかかっていたりして、改修が必要になってきています。

 アワ石はサンゴ礁を切り出した石材で、昔は城壁や石垣などに使われています。よく見ると珊瑚だった名残を見つけることができます。

 

 

 

 

 

 お墓の前には、紅葉し始めた大きなクワディサー(コバデイシ、モモタマナ)の木があります。沖縄では珍しく紅葉する植物の一つです。ただし秋ではなく、早春に紅葉します。

2020年2月10日リンクURL