ジュウルクニチー(十六日祭)の渡嘉敷島

 25日(日)はジュウルクニチー(十六日祭)で渡嘉敷島へ帰りました。
 十六日祭はあの世のお正月。旧暦の1月16日に行われます。渡嘉敷島には清明祭はなく、お葬式など法事以外にお墓参りができるのは、この十六日祭だけになります。

 親族が集まり、お墓の前でごちそうを拡げ、ご先祖様と一緒にお正月を祝います。

 我が家では、まず一族の始祖が埋葬されているのではないかと言い伝えられている集落北側の山沿いにある「うる墓」と呼ばれる風葬地を拝みます。そこには直径一メートルほどのテーブル珊瑚があるだけで、お墓らしいものは何もありません。 

 お花やごちそうを備え、お線香をたいてお祈りをしていると、面白いことが起こりました。

 お供えの水とお酒にノソリノソリとやってきたのは、一匹のアーマン(オカヤドカリ・国の天然記念物)。私の握りこぶしくらいはあり、結構な大きさです。

 なにかご先祖様からの伝言でも持ってきてくれたのでしょうか?彼(か彼女かはわかりません)が、立ち去るまで、じっと見守るしかありませんでした。

 つづいて、分家である我が家の初代・祖祖父母以下祖父母、両親の眠るお墓にお参り、さらにいくつか親戚のお墓にお花を供えてお参りするのが通例です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 無事すべてのお参りを済ませ、帰路に立ち寄った親戚の庭で、白いデイゴの花が開き始めていました。 
 いつもタイミングが合わず、白いデイゴの花を見たのは、これがはじめてです。是非満開のときに見たいものです。

 

2024年2月27日リンクURL

2週間のご無沙汰 ~ 満開のさくらでご挨拶

 2週間以上ブログの更新が出来ず、方々から安否を気遣うご連絡を頂きました。ご心配おかけしましたが、元気?です。

 ご無沙汰の言い訳の前にまずは見事なさくらの花でご機嫌を伺います。 

 場所は与儀公園、バックに見える建物は旧那覇市民会館です。

 今年、沖縄のさくらはあまり咲がよくなかった印象です。写真は2月21日、那覇でもすでに満開を過ぎ、那覇でのさくらの名所・与儀公園もほとんどが葉桜になりつつあります。その中で一本だけ、”今が満開”と.とばかり自己主張している桜の木がありました。スマホでの撮影です。

 

 ところで、2週間以上もブログの更新が出来なかった理由(わけ)ですが、実は去る2月7日、辺野古へ向かう途中、うっかりして路上で転倒してしまい、右腕の肩の付け根2か所骨折、全治6か月と診断されました。

 利き手である右腕が使えない状況です。この2週間、痛みとの闘いでした。何とか、昨日から痛み止めを飲まずに過ごせるようになりました。幸い神経と靭帯に損傷はなく、指先は動きますが、肩に響くような動きはできないため、パソコンのボード打つのも、一苦労、左手での作業は時間がかかります。

なのでまだしばらくは、思うような文章は書けないと思いますが、何とか少しづつでも、沖縄の様子を伝えて行けたらと思っています。来週から辺野古へも行くつもりです。また、応援よろしくお願いいたします。近況報告でした。ありがとうございます。

 

 

2024年2月23日リンクURL

誇りあるなら海兵隊よ! ~ 2月7日の辺野古

 このところ冬だというのに急に暖かくなって夏日の気温になったかと思えば、次の日は10度も下がって真冬に舞い戻ったりと、気温の変化が激しい。それで体調を崩す人も続出している。皆々様、どうぞ風邪など召しませんよう、お気をつけください。

昨日までの暑さはどこへやら、寒さに身を縮めながら、小雨のチラつく中を、今日もゲート前に座り込む。

 そんな私たちの前を、修学旅行の子どもたちを乗せた観光バスが、列をつくって何台も通り過ぎて行った。バスガイドさんがどんな説明をしているだろうかと、気になるのは私だけだろうか。無邪気に手を振る姿も見える。

 

 

 

 今日も、捨て石や生コンを積んだダンプやミキサー車が列を成して基地の中へ日って行った。

 新しい横断幕が目についた。「完成不可能で利権目的の工事を止めて、海兵隊よろしく”汚れ無き名誉を守ろう”ね!」

 正午前、2回目の座り込み。人々に襲い掛かるように迫ってくるダンプの列。



 午後3時前、3回目の座り込みは小雨のチラつく中で行われた。

 テント横の花壇で沖縄在来種の野生のバラ「庚申バラ」が、桜に負けじと満開だ。

 園芸種のような豪華さはないが、その素朴さがいい。このバラの香りを生かした化粧水を、私の友人がつくっている。

 

 

2024年2月8日リンクURL