戦争の愚かしさを教えてくれる ケラマブルーに輝く渡嘉敷島

 20日(木)は、関西で「慰安婦」問題に取り組む友人らを案内して渡嘉敷島へ行ってきた。

 雲が多く決して完ぺきとはいえなかったが、ここ数年渡嘉敷へ行くたび悪天候に見舞われ、紺碧の海を見ることが出来なかったので、久々にある程度うなずける慶良間ブルーに出合えた。

 野山はシャリンバイ、テリハボク、ケラマツツジ、野アザミの花々が咲き乱れ、ムラサキシキブ、ヤマモモが鈴なり、今まさに春爛漫。ここが戦争の爪痕深き島であることを、しばし忘れさせてくれた。

 が、我にかえって見れば、自然の美しさと戦の悲惨のコントラストが、逆に戦争の残忍さ、愚かしさを浮き彫りにする。

 「慰安婦」問題に取り組む友人たちが、この島にやって来たのは、「慰安所」跡や、アリランのモニュメントがあるからだ。

 沖縄戦当時、沖縄には145ヵ所もの「慰安所」があったとされるが、その中の様子がわかっているのは、唯一渡嘉敷島の「慰安所」だけである。

 しかし、そこだけを見ても、問題の本質は見えてこない。なぜ戦争が起こるのか?なぜ「慰安婦」という存在を生み出したのか?ことの本質を問わねば、戦争も止められないし「慰安婦」問題の解明にもつながらない。案内をしながら、どう説明すれば伝わるのかと、いつも苦悩する。

 

2025年3月22日リンクURL

1日361万円のサンドコンパクション工事船 ~ 3月19日の辺野古

 アップが遅れてしまったが、19日水曜日の辺野古報告である。

 この日は関西からの友人ら3人を案内して、レンタカーで辺野古へ向かった。工事用ゲート周辺の山々は日々削られ無残に赤土を晒す。抗するすべのない身が悲しい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 座り込む間もなく機動隊の排除が始まる。友人らも機動隊に担がれたが、長年憲法9条や「慰安婦」問題に実践的に取り組む百戦錬磨の人たちなので、怯むことなく座り込んでいた。

 一回目の座り込みを終えてテントに戻るバスの中から見える風景。さっきまで座り込んでいた工事用ゲートのすぐ後ろの海からニョキッと頭を覗かせるサンドコンパクション工事船。異様さに寒気がする。

 この日はあさイチから人が多かったが、正午前の2回目はさらに増え、多彩な参加者が場を盛り上げた。博治さんも「辺野古が頑張って闘い続けていることが、同じ状況にある全国の人々を勇気づける!」と、激を飛ばした。

 昼食後ゲート前を離れ、大浦湾側から海の様子を見た。

 このサンドコンパクション工事船は、民間の船だが辺野古の工事に合わせて国が一隻当たり2億~5憶の負担をして改装したうえ、稼働していようがいまいが1日一隻361万円が支払われるという。この日は5隻が大浦湾に浮かんでいた。

ああ!なんという税金の垂れ流し!

 野菜やお米の50円、100円の価格変動に一喜一憂する庶民の感覚からは想像もつかない。

 

 

 

2025年3月21日リンクURL

 不屈の座り込み3902日 ~ 3月12日の辺野古から

 今年は戦後80年、新聞もテレビもメディアは毎日のように沖縄戦の記事や特集があふれる。見るのも読むのも苦しい。体験者にとってはなおさらのことだろう。そんな日々が続いている。

 拍車をかけるようにトランプ劇(激)場は日本に軍事費の増強を迫る。増やさないなら米軍は日本を守らないんだって?望むところだ。米軍が日本にいる理由もなくなる。早々にすべての米軍基地をアメリカに持って帰ってくれ! 

 米軍基地が無ければ、このような無駄でバカげた難儀もしなくて済む。

                      

 辺野古へ向かう途中通る開南バス停のイペーの花。いま各地で満開。寝ぼけまなこも覚めるような鮮やかな黄色。イッぺー(とても)美しい。↑→                   

 

                            

 

辺野古テントのテーブルに活けられたこでまりの花。出来ることなら、米軍基地などと闘うのではなく、このような花々を愛でながら、穏やかに暮らす日々がいい。

 

 

 

2025年3月13日リンクURL