文子さん頑張る! ~ 今日(2月12日)の辺野古

 朝は少し寒かったが、午後からは夏日になるとの天気予報。気持ちも軽くなる。

 早朝はいつも少なめ、ほとんどが曜日によって同じ顔ぶれの常連さん。自画自賛も込めて、「精鋭部隊」と呼んでいる。今日も20数名で座り込んだ。

 ヘリ基地反対協の安次富浩さんが、挨拶。改めて露見した安倍政権・沖縄防衛局の軟弱地盤に関する隠ぺい・欺瞞を批判した。

 「国は、水面下70㍍以上については硬い岩盤があり地盤改良の必要はないと国会でも答弁してきたが、今回の裁判で70㍍以上90㍍まで軟弱地盤があると、調査を行った業者から具体的な資料とともに報告がなされていたことが、明らかになった。国会で、この問題を追及された河野防衛大臣は、”70㍍以上については、業者が勝手に調査を行ったもので、こちらが求めたものではないので、設計に反映されるものではない”と、詭弁を弄した。あきれ果てる」

 全く!である。桜を見る会について「募ったが募集はしていない」の類だ。それでも安倍政権の支持率は上がっている。こんなことが通用する日本の国会、政治、国民を他の国々ではどう見ているのだろうか?恥ずかしくなる。

 そのうちにパトカーに先導されたコンクリートミキサー車の行列がやってきて機動隊による強制排除が始まる。今日も、島袋文子さんが最前列に陣取った。 

 みんなが排除された後、なぜかいつも最後に車いすの文子さんが残される。

 

 機動隊の隊長と、何やら親し気に話してるようにも見える。後で文子さんに聞いた。「機動隊の隊長と何を話していたんですか?」

「”どうか移動してください。お願いします”というから、”私はお願いされたくない。嫌だ!”と言った」それでも何度もお願いしますと繰り返すので

「嫌だ!こんなにお願いするくらいなら、あなたたちはなんでこんなことをするんだ!」と言い返すと

「私たちも、本当はこんなことはしたくないです。でもやらなければならないから、お願いします」と言っていた、という。

 いったん排除され、ミキサー車やダンプの行列が入った後も、ひとり車いすで頑張る文子さん。牛歩戦術をしていた20数名は、ものの15分くらいで排除されてしまったが、その後文子さんは一人で10分以上も粘っていた。

 正午前の2度目の搬入には50名近くが座り込んだ。この後、私は沖縄市で別の日程が入っており、正午過ぎ辺野古を後にしたが、第3回目の15:00の搬入時にはキリスト教女性フォーラムの皆さんが40人が、座り込みに参加。多くは韓国の方々で、にぎやかで華やかな国際交流の場となったという。

2020年2月13日リンクURL

花言葉は小さな愛 ~ リュウキュウコスミレ

 私の大好きな野の花です。
渡嘉敷の実家の庭で咲いていました。

 フクギの木陰になっていてあまり増えませんが、それでも季節になるとしっかり芽吹き可憐な紫の花をつけてくれます。花一つひとつも眺めて飽きませんが、群生もまたいいです。

 リュウキュウコスミレは、屋久島以南の奄美を含む南西諸島の固有種だそうです。

 花言葉は、「小さな愛」「謙虚」。シロバナリュウキュウコスミレもあります。那覇の自宅の庭にも咲きますが、今年はまだ花をつけていません。

 

 

2020年2月11日リンクURL

ジュウルクニチー(十六日祭)で里帰り

 8日、9日はジュウルクニチーのため、ふるさと渡嘉敷島に里帰りしていました。

 「正月には帰らなくても、十六日(ジュウルクニチー)には故郷に帰る」と言われているのが沖縄の先祖供養の一つ十六日祭です。あの世のお正月ともいわれています。

 あの世のこととはいえ、お正月ですからごちそうをつくり、お供えします。今どきはスーパーやデパートなどで16日祭用のお重詰めを手軽に買えますが、我が家ではすべて自前で作ります。(と、言っても料理上手な妹たちがいるので、私はお手伝い程度ですが…)

 2種類のお餅と、9品の料理を詰め合わせたお重が定番です。沖縄の先祖供養は仏教ではないので、精進料理ではありません。お魚もお肉料理もあります。

 我が家ではまず、一族の始祖が眠っていると言われている「ウル墓」にお参りします。お墓とは言っても、それらしい建造物はなく、大きなテーブル珊瑚が2枚、重ねるように置かれているだけです(ウルとはサンゴ礁のこと)。香炉が3個あるのは、私たち以外にもここへお参りする一族があるということを示しています。

 かなり見事なテーブル珊瑚です。「もしかしたら、当時は風葬だったのかもしれない」と、想像してみたりしましたが、本当のところはわかりません。

 続いて、父や母、祖母の眠るお墓にお料理をもってお参りします。

 沖縄のお墓は、とても大きいことでつとに有名ですが、他府県のように家族単位ではなく、一族単位の門中墓、あるいは寄り合いで何軒かの家が合同で作るお模合墓だからなのです。近年は家族単位のお墓が多くなってきているようです。

 渡嘉敷島では、同じ時期にお墓をつくる必要がある人たちが合同で作る模合墓ほとんどのようです。我が家のお墓も当初は5~6軒が合同で作った模合墓だったそうですが、いまこのお墓を利用しているのは2軒だけになりました。

 かなり古く、石材のアワ石が風化したり木の根が石のつなぎ目に入り込んで、石積みが崩れかかっていたりして、改修が必要になってきています。

 アワ石はサンゴ礁を切り出した石材で、昔は城壁や石垣などに使われています。よく見ると珊瑚だった名残を見つけることができます。

 

 

 

 

 

 お墓の前には、紅葉し始めた大きなクワディサー(コバデイシ、モモタマナ)の木があります。沖縄では珍しく紅葉する植物の一つです。ただし秋ではなく、早春に紅葉します。

2020年2月10日リンクURL