不要不急の新基地建設は即刻中止せよ! ~ 今日(4月8日)の辺野古

 コロナ非常事態宣言が出されるという重苦しいスタートとなった朝、それでも辺野古の工事が止まらない限り県民は抗議を休むわけにはいかない。

 全員がマスクをし、座る間隔をいつもの3倍に広げて工事用ゲートに坐りこむ。

 帝国警備の皆さんが、やっとマスクをつけるようになった。とは言っても透明なプラスチック様のフェイスガード。これでウィルスの防御、拡散防止ができるのだろうか? ここまで頑固に通常のマスクをさせない理由がわからない。

 機動隊にも濃厚接触を避けるよう要請。一旦いつものように私たちの面前に壁となって立ちはだかった機動隊だったが、「総理の三密自粛の呼びかけに背くのか!(笑)」と皮肉られ、苦笑いしながらの隊長の指示で、半分を横に退かせ、残り半分が間隔をあけて立った。

 排除の際にも「濃厚接触するな!」と抗議、機動隊もできるだけ顔を近づけないよう配慮の様子。全員排除するのにいつもの倍近い時間がかかった。

 今日の美味しい差し入れは、沖縄風揚げ菓子。食べ物に手を触れないよう、お箸で一人ひとりに配られた。

 この日はキャンプ・シュワブ(辺野古基地)内で訓練があるらしく、一機のオスプレイが騒音をまき散らしながら、私たちの頭上を低空飛行で何度も何度も旋回していた。また、戦車や兵士を満載した迷彩色の軍用車両の出入りも激しかった。

 

 

 平和市民連絡会の北上田毅さんが、6日の新聞報道で明らかになった辺野古工事の打ち切りについて解説。

 「国は辺野古の工事に関して、大手ゼネコンに対して6年前前払いで300億円超を支払いながら、軟弱地盤の問題などで着工できないまま、この3月で工事を断念、6つの契約を打ち切った。300億円のうち224億円が、何の工事もしないまま業者に支払われたことになる。国のいい加減な契約が大きな税金の無駄遣いになった。このような公共工事の在り方は本来ありえない。設計変更をしたうえでの契約のやり直しで、さらに莫大な税金が使われる」と強く批判した。

 コロナ騒動で高齢の方々には自粛をしていただき(島袋文子さんも3月半ばからお休み中)、県外からの参加者も激減する中、ゲート前の座り込みの参加者は変わらない。「こんなときだからこそ、私が行かなければ…」という県民性がここでも発揮されている。

7日、オール沖縄会議が「不要不急の辺野古新基地建設は直ちに中止せよ!県民をコロナ感染の危険にさらすな」との声明を発表した。

 

2020年4月9日リンクURL

コロナも撃退してね! ~ 集落を守る 喜友名の石獅子(シーサー)№ 17

 宜野湾市喜友名集落に古くから伝わる石獅子です。集落や人々を、災害や疫病、悪霊から守ってくれると信じられ、集落の東西南北のはずれ4か所に置かれているそうです。その一つがこの「イリーグァ前のシーサー」です。

 たまたま私の友人の家のすぐそば(塀の上)にあり、友人宅を訪問するたびにご挨拶させてもらっています。

 琉球石灰岩を削って造られたシーサーの表情はとても穏やかで、どこかユーモラスでもあり、とても悪霊と闘う姿は想像できないのですが、きっと闘う前にそこにある(居る)だけで力を発揮しているのではないでしょうか。

 宜野湾市喜友名の集落は、普天間基地のすぐそばにあります。近隣の多くの集落は戦後米軍に強制接収され、ブルドーザーに敷きならされて普天間基地の中に消えてしまいました。それらの集落にも、それぞれのムラ(集落)の守り神としてシーサーがあったそうです。

米軍基地という超大魔物は撃退できなかったのは残念!です。でもコロナウィルスは是非撃退してほしいなぁシーサーさん!(私は、コロナより緊急事態宣言の方が怖いですが…)

 友人宅は旧家で、屋敷の周囲をふくぎの大木が茂っています。ふくぎにはかつてたくさんのコウモリが棲んでいました。が、2012年に普天間基地にオスプレイが配備されたことで、オスプレイが発する低周波の影響でコウモリたちがすべていなくなってしまったそうです。

 ふくぎの実は熟して落ちると匂いがきついので嫌われものなのですが、コウモリたちが食べてくれるので、あまり気にすることもなかったそうです。自然の循環が生きていたからです。しかし、コウモリたちがいなくなって、いまは熟して落ちるふくぎの実の片づけに追われて困っているということです。

 オスプレイとコウモリ、人間の身勝手が自然の生態系を壊す典型的な例です。コウモリに有害な低周波(電磁波)が、人間に無害なはずはありません。自然を壊したツケは、いずれ私たち人間に戻ってきます。心しなければなりません。

 

2020年4月6日リンクURL

左折はダメです! ~ 4月3日の安和桟橋

 コロナ騒動で予定されていた日程が中止になり、思いがけず時間が空いたので、急遽安和に行くことにした。金曜日は平和市民連絡会は安和桟橋抗議行動の担当日。私にとっては久しぶりの安和行動だった。 

 途中、沖縄自動車道で事故による渋滞に巻き込まれ、いつもより20分ほど遅れて9時過ぎ安和に到着。すでにダンプによる赤土の搬入は始まっており、本部島ぐるみの皆さんが、出口でダンプの台数チェックと抗議行動、砂浜ではカヌーチームが海上行動の準備を進めていた。

 私たちも早速、琉球セメント安和桟橋のゲート前で、抗議行動を開始した。

 辺野古ゲート前のように土砂を積んだダンプはまとまってくるのではなく、一日中(昼食時間を除いて)途切れることなくやってくるので、抗議する私たちも休むことなくゲート前を歩き続ける。午前中3時間、午後2時間半のぶっ通しはさすがにきつい。ときおり自己判断で水分補給のため4~5分休息をするだけである。

安和桟橋ゲート前を走る国道は、いつもなら「海洋博記念公園へ向かう観光バスが何台も列をなして通る幹線道路だが、この日はコロナ自粛で一台の観光バスも通過しなかった。ただ、信号待ちや通過する車の中から手を振ってくれる人たちも意外に多く、励まされた。中には車の窓から身を乗り出して激励の手を振ってくれる人もいた。

 荷台の枠から大きくはみ出した過積載のダンプが目立つ。

 昨年末まではゲートに入るダンプは北側から右折で入ってくるだけだったが、最近は南からも左折でダンプが入ってくるようになった。ここは道路の設計上左折は想定されていないため、ゲート前を順法闘争で抗議行動をしている人たちに、危険な状況が生じている。

 右折と左折の車が桟橋入り口の歩道上で鉢合わせ、交通も混乱し、抗議行動の人たちに今にも接触しそうな危険な場面が何度も起こった。

 それを先導しているのが沖縄防衛局、道路に出てきてハンドマイクで抗議行動に警告を発する防衛局員に市民らが強い抗議を行なったので、彼らはゲートの中に引っ込んだ。

午後からは山城博治さん(「オール沖縄会議」現場部会部長)もやってきた。山城さんは、強引に左折で入ってくるダンプを一台一台ゲート前で止め、抗議を行った。

 金曜日はカヌーチームの行動日でもあり、午前中の海上行動を終えて、2時過ぎ、ゲート前の抗議にも参加。カヌーの皆さんは、この日4時間も土砂運搬船の離岸を遅らせたと報告があり、大きな拍手でお互いに労をねぎらい合った。

 早朝那覇からのメンバーは、帰りのバス出発時間ギリギリの午後3:30まで抗議行動を行い引き上げたが、ダンプの赤土搬入はまだ続いており、山城さんが引き続き、一人だけゲート前で頑張って抗議行動を続けていた。(本部島ぐるみの皆さんによる台数チェックもダンプの作業が終了するまで毎日行われている。夜8時くらいになることもしばしばあるという。そうそうできることではない。頭が下がる)

 ここ数日間の雨で海水は赤土で濁り、空も霞がかかっていたが、それでも十分に美しい沖縄のサンゴの海。

 安和ゲート前の路肩ではシャリンバイの花が、清楚な匂を漂わせていた。

2020年4月4日リンクURL