うるま 陸自訓練場NO!~ 市民集会に1200人結集                          ・・・・・・・・・・・・

 石川市民会館を埋め尽くした1200人余の「がんばろう!」の声が、会場に響き渡った「住宅地への自衛隊訓練場設置計画を断念を求める市民集会」

 昨年末、住宅地のすぐそばに、戦闘訓練をする自衛隊施設ができることを、新聞報道で知った住民は、住民には全く知らせることなく進めてきた国に不信感を持った。地域住民が思想信条を越え一体となって声をあげ、自治会を動かし、市議会を動かし、ついに保守市長を動かし、自民党県連をも動かして、県議会が全会一致で「訓練場計画撤退」の決議、そしてこの日の市民集会へと結集した。

子どもたちのブレイクダンスで始まった市民集会   

 開会のあいさつは、自民党として市議4期、県議2期を務めてきた伊波常洋・断念を求める市民の会共同代表

「翁長雄志元知事は、保革を越えて(国)と闘った。私たちも保革を越えて立っている。訓練場計画は新聞報道で知った。住民にとっては音耳に水。翁長知事が言ったように『うちなあー、うしぇらってぇ ならんどー』。完全断念まで、油断せず、力を結集して頑張ろう!」

 真っ先に声をあげたのは地元旭区の住民だった。区民代表・冨着志穂さん。

「自然豊か、住民が協力しあって地域文化が生き生きと息づく素晴らしい地域。なぜ閑静な住宅街に戦争の訓練場をつくるのか。私たちは宮森小学校の米軍ジェット機墜落の悲劇を忘れてはいけない。地域を守るために、未来の子どもたちの安全を守るために、子育て世代の私たちが声を大にして訴えていく。

 若者代表・新垣宜道さん。

「この地域が大好き。この地で生まれ育ち、結婚してこの地で子育てをしている。うるま市にはすでホワイトビーチやキャンプ・コートニー、マクトリアス、ハンセンの米軍基地に自衛隊駐屯地もある。その上新たに訓練場ができると、もうこの街には住めなくなるかもしれないと不安になる。完全に断念させるまで、みんなと力を合わせて頑張りたい」

うるま市老連石川支部代表・河野修さん。

「訓練場計画は、辛く苦しかった戦中、戦後の記憶に、土足で踏み込まれるような苦痛を覚えた。年をとって衰えていく体に、ストレスが悪化を招く。

 老人クラブは政治的なことには関わらないというの原則であるが、今回は政治的な立場はおいて、みんなで一致して反対していく。

 高校生代表・小橋川二仁菜乃さん。

 社会科で学んだであろう憲法を引き合いに「地方自治は住民の権利、国のあり方を決めるのは国民が決める。権力の暴走によって国民の自由と権利が侵されている。今回の計画が断念されても、また新たな候補地を生むのであれば、問題の本質は何も解決されない」と厳しく批判。会場から大きな拍手が湧いた。締めくくりは「この発言の原稿を書きながら、正直に言うと、休日だから遊びに行きたかった。会場の皆さんもそうではないですか?」と茶目っ気たっぷりに会場の笑いと大喝采を呼んだ。

 集会の冒頭で中村正人・うるま市長も登壇「住民の合意形成や理解を得ることは大変厳しい状況で、市長として政治判断し、沖縄防衛局長に計画の白紙撤回を申し入れた」と述べた。

 玉城デニー知事も「国に計画断念・撤回を強く求めていく」とメッセージを寄せた。

 

 

同じうるま市の一方では、今日(21日)、勝連分屯地でミサイル部隊が発足、南西諸島のミサイル部隊の「連帯本部」が置かれた。

 今朝9時から勝連分屯地前で抗議集会が行われた。また発足セレモニーが行われる3月30日にも、同じく勝連分屯地前で、午前9時から抗議集会が行われる。

 

2024年3月21日リンクURL

友を訪ねて早春の山形へ

 もろさわようこさんを介して知り合った40年来の友人を訪ねて、まだ雪の残る山形へ行ってきました。

 東京では、早咲きのさくらが満開で春を感じさせてくれましたが、山形に向かう新幹線の窓から見える景色は銀世界。実に二十数年ぶりの雪景色に感激しました。白黒しか色はないですが、決してモノクロフィルムで写したわけではありません。

 雲間には、しっかり青い空が広がっていました。

 今回の山形の旅は、もろさわようこさんを研究対象に、大学院でジェンダーを学ぶ友人が、長くもろさわさんと親交のあった方々を訪ねる旅に、橋渡し役で、私も同行させてもらったものです。

 1881年(明14年)創立、1933年(昭8)に建設されたという小学校が廃校になり、旧校舎が、いまは地域の人たちの交流と学びの場になっているそうで、90年余も経っているとは思えないしゃれた洋館で、二日間にわたり、7時間お話を伺いました。

 インタビューを側で聞かせていただいただけですが、私にとっても、人が生きるという意味と、人と人とのご縁・つながりの深さ、不思議さをしみじみと味わう二日間でもありました。

 地域の祭りで使われる獅子頭をつくる家が、郷土料理のお店になっており、お昼に美味しいお蕎麦とずんだ餅を頂きました。

 迫力のあるお顔が印象的な黒獅子。獅子面の横にある左巴の紋が気になりました。琉球王府の紋と同じだからです。どんなご縁があったのでしょうか?

 2日目の朝、ホテルの窓から朝日に輝く「朝日連峰」。東北のアルプスと呼ばれているそうです。

 息苦しい政治状況で窒息しそうな沖縄を脱出して、しばし命の洗濯をした二日間。少しだけ寿命が延びたような気がしています。

 

 

2024年3月19日リンクURL

師を悼む ~ もろさわようこさん ありがとう!

 またまたブログの更新が滞っているのは、決して怪我(右肩骨折)のためではありませんので、ご心配なさいませんように。でも、怒涛のような3週間近くの日々であったことは確かです。

 閏2月29日未明、沖縄との関りも深く、私にとっては人生の恩師ともいえるもろさわようこさん(99歳)が亡くなり、50年近く沖縄でのもろさわさんと身近に接して来た者として、メディアの取材攻勢やお別れ会の対応、気持ちの整理に追われてのことでした。

 まだまだ振り返る気持ちの余裕はありませんが、新聞等で取り上げられた関連の記事を紹介して、遅ればせながら、とりあえずの報告とさせていただきます。

<3月1日 琉球新報>

 また、今年の3・8国際女性デーでも、もろさわさんのこれまでの活動が話題として全国的に取り上げられたのも、彼女が、市井の女性たちに与えた影響の大きさが認知されていることを確認することが出来、嬉しいことでした。

 ご本人の意志により、いわゆる告別式は行われなかったのですが、ごく身近な人たちだけで、お別れの会が、もろさわさんが最後をお過ごしになった神奈川県川崎市で、3月6,7日ささやかに執り行われました。

 後日、関りの深かった沖縄、高知、長野の地で、それぞれ関係者による「しのぶ会」が行われることになっています。

 

 

 

 

2024年3月18日リンクURL