渡嘉敷島「集団自決」 80年目の慰霊祭

 80年前の3月25日、米軍が慶良間諸島座間味島に上陸した日から、沖縄の地上戦は始まる。

 26日には座間味の島々で、28日には渡嘉敷島で「ありったけの地獄が出現した」と、世界の戦場を取材して来た米紙の従軍記者を絶句させた「集団自決」が起る。

 

 28日12時30分から、犠牲者を祀る「白玉の塔」で村主催による慰霊祭が行われた。

 この日は式典を前に、朝から参拝者が次々と白玉の塔を訪れ花を供え祈りをささげた。慰霊碑に刻まれた名前を指でなぞりながら、涙とともに語り掛ける姿に、80年経ってもなお癒えることのない悲しみが伝わってくる。

 式辞を述べる新里武広村長。自然豊かなこの島での平和な暮らしは、戦争でなくなった方々の尊い犠牲の上に築かれたことを忘れてはならないと前置きし、「同じ過ちを繰り返さないために、戦争という悲惨な歴史の教訓を深く胸に刻み、次世代へと語り継ぐことが、今を生きる私たちの責務。いま自分ができることを積み重ね、戦争のない未来へとつなげていこう」と、途中こみあげる思いに何度が声を詰まらせながら、そう呼びかけた。

 

 阿波連小学校、渡嘉敷小中学校の生徒たちが折り鶴と寄せ書きを供え、代表が朗読詩を読み上げた。

 

<朗読詩>

青く澄みきった空 
アカショウビンの歌声が聞こえる山々
風に揺れる波の音に目を閉じ 風のにおいを感じる
今日もこの島は 
いつもと変わらず 私たちを包んでくれる

学校では 友達と勉強したり 遊んだり 笑ったり
いろんなことができる
いろんなことを 自由にできる
それは この島が平和だから

でも・・・ 世界のどこかでは
見えない国境や宗教のために争いごとが起き
たくさんの人々が 食べるものに困り
貧困な生活にあえぎ苦しんでいる
家族と会いたくても 会うことが許されない
辛くて 苦しくて 悲しい日々を送っている人たちがいる

あの日 この島で命を失った人たちだって・・・
本当は穏やかで
希望に満ちあふれた日々を送るはずだったのに・・・

だからこそ 私たちで考えよう
いのちをつないできた いま生きている 私たちで
争いごとを無くすために 
悲しむ人々を一人でも救うために
世界を知り 国内を知り 自分にできることを考えよう

自分と違った人と関わってみよう
自分と違った人を理解する努力をしてみよう
自分と違った人を受け入れてみよう
その第一歩として隣のことを考えよう

今日の幸福のために
希望に満ちあふれた明日のために
二度と あの悲しみを繰り返さないために・・・

 今年は戦後80年の節目ということもあり、例年の3倍近くの参拝者が訪れた。家族5名を失ったという女性(90代)は、「毎年、今年が最後かねぇと思いつつ、体調が許す限り参列して来た。今年も来れてよかった。戦争をしてはいけないよ、絶対に!」と、こちらの質問に涙声で応えて下さった。

              <白玉の塔 全景>

 

2025年3月29日リンクURL

米軍上陸80年目の日(3月26日)の辺野古

 予報は晴れなのになぜか朝から雨模様。天も泣いているのか!3月26日は、80年前沖縄の地上戦が始まった日。

 米軍の初上陸地となった慶良間諸島では、日本軍の足手まといにならないようにと、住民が「集団自決(強制集団死)」に追い込まれた。26日に座間味村の島々、28日渡嘉敷島。軍隊がいなければ起こらなかった惨劇である。いま戦争する国へとまっしぐらの日本。またあの愚を繰り返そうというのか!

 辺野古ゲート前でも第一の話題となった米軍上陸の日、80年経ってもいまだ居座り続ける米軍と、戦争したい国・日本の最前線からの報告。

 この日も白ナンバーの違法ダンプが横行した。これまで沖縄でしか通用しない数々の違法を重ね、果たして完成できるのか、いつまでかかるのかもわからない工事を、ただ既成事実を重ねるためだけに強行する日本政府。日本が勝手にやっているのだと我関せずの米国・米軍、痛めつけられ被害を被るのは沖縄だけだ。と、もし沖縄以外の国民がのほほんと思っているとしたら大間違い。沖縄で起きていることは、間違いなくすぐに全国に波及する。

 先日長野県松本空港に、米軍普天間基地所属のオスプレイが不時着、空港が閉鎖になった。「民間の空港をわが物我で使うのか!」と友人が驚愕していたが、在日米軍の70%集中する沖縄では80年間続く日常茶飯事だ。曲がりなりにも沖縄も日本なのだから。

 一回目の座り込みを終えテントに戻ったら、暖かい沖縄ぜんざいの差し入れが届いていた。  

感謝!

 

 

 

 

 

2025年3月27日リンクURL

戦争の愚かしさを教えてくれる ケラマブルーに輝く渡嘉敷島

 20日(木)は、関西で「慰安婦」問題に取り組む友人らを案内して渡嘉敷島へ行ってきた。

 雲が多く決して完ぺきとはいえなかったが、ここ数年渡嘉敷へ行くたび悪天候に見舞われ、紺碧の海を見ることが出来なかったので、久々にある程度うなずける慶良間ブルーに出合えた。

 野山はシャリンバイ、テリハボク、ケラマツツジ、野アザミの花々が咲き乱れ、ムラサキシキブ、ヤマモモが鈴なり、今まさに春爛漫。ここが戦争の爪痕深き島であることを、しばし忘れさせてくれた。

 が、我にかえって見れば、自然の美しさと戦の悲惨のコントラストが、逆に戦争の残忍さ、愚かしさを浮き彫りにする。

 「慰安婦」問題に取り組む友人たちが、この島にやって来たのは、「慰安所」跡や、アリランのモニュメントがあるからだ。

 沖縄戦当時、沖縄には145ヵ所もの「慰安所」があったとされるが、その中の様子がわかっているのは、唯一渡嘉敷島の「慰安所」だけである。

 しかし、そこだけを見ても、問題の本質は見えてこない。なぜ戦争が起こるのか?なぜ「慰安婦」という存在を生み出したのか?ことの本質を問わねば、戦争も止められないし「慰安婦」問題の解明にもつながらない。案内をしながら、どう説明すれば伝わるのかと、いつも苦悩する。

 

2025年3月22日リンクURL