沖縄は防波堤ではない! ~ 今日8月7日の辺野古

 焼けるような暑さの中今日も辺野古へ向かう。

 今日の琉球新報の社説、日本世論調査会が実施した最近の全国調査で、憲法が規定する「平和主義」に則っとり「専守防衛」を厳守するべきと答えた人が7割を超えた一方で、自衛隊の「南西シフト」に賛成する人が76%に上ったという。「日本の防衛のためなら、沖縄を再び戦場にするのもやむを得ないと是認する意識が国民に広がっているとしたら、沖縄にとって耐えがたい」と嘆く社説のタイトルは「沖縄は防波堤ではない」

 それでも、めげずに今日も工事用ゲートに座り込んだ。

 神奈川県から参加した男性。労働組合で活動しながら、市民団体でマイナンバーカードに反対する活動を20年以上続けているという。「国は、今年12月で健康保険証を廃止し、マイナンバーカードに組み込むといつている。しかし、それは法律的に何の根拠もない。マイナンバーカードは任意だ。新しい健康保険証が無くても、一年は現在の保険証が使えるし、いずれ保険証の代わりになるなる書類が送られてくる。何の心配もいらない。

 この辺野古の基地の押し付けとマイナンバーカードの押し付けは同じもの。多くの人が反対、要らないと言っているのに強制している。私は一生マイナンバーカードは持たない。共に頑張りましょう!」

 15分ほどで、全員排除されて、ダンプやコンクリートミキサーが、延々と列を成して入って行った。

 座り込みからメインゲート前のテントに戻ってくると、基地の金網の中が騒々しい。芝生の上に戦闘車両が3台並び、周囲を動き回っている人が多い。なんか変!と思っていたら、しばらくして子どもたち十数人と引率らしい若い女性が戦闘車両の周辺にやってきた。

 何ということか!小学生と思われる子どもたちが、米軍基地の中で戦闘車両に乗せてもらって喜んでいる。日米親善を理由に、夏休みの子どもたちの体験学習と称して、このようなことが行われているのだという。

 金網の外から「こんなところで遊んではいけない!」と、みんなで声をかけたが、米兵たちに取り囲まれるようにして、他の場所へと移動していった。

 昨年、京都から修学旅行で沖縄に来た高校生たちがが、米軍基地の中で迷彩服を着用、実弾射撃訓練を受けたという報道に驚愕したが、もうこんなことが日常茶飯事になっているのだろうか?恐ろしいことだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ピンクと赤のサルスベリとホテイアオイの花。街中ではホウオウボクも咲き出した。

 昨日(6日)は、長崎原爆の慰霊式典の様子をテレビで観ていた。今年から式典会場の周辺への立ち入りが厳しくなり、会場に入るのに厳しいセキュリティチエックは勿論、会場周辺でのプラカード禁止、抗議の声さえ上げられなくなったという。一般市民を締め出して、いったい誰のための「原爆の日」だ。沖縄慰霊の日を思い出してしまった。まさにかつての戦前の出現だ。

 

2024年8月7日リンクURL

「骨は折れても、心は折れない 」 ~ 安和事故の被害者からのメッセージ

 先週水曜日の辺野古は、他に伝えるべきこともあつたが、別項でと思っているうち、多忙に紛れて報告が遅れててしまった。

 辺野古土砂の搬出港・安和桟橋の抗議現場で起ったダンプ事故の巻き添えで、瀕死の重傷を負ったOさんは、毎週水曜日に辺野古へも通う私たちの大切な抗議活動仲間である。先週の水曜日、Oさんと電話で話すことが出来た。

 事故からまだ一月余、骨盤・大腿骨骨折の大怪我を負いながら、もう歩く練習(リハビリ)ができるほど回復に向かっているという。驚異の回復力である。いつものOさんらしく、どこまでも前向きで明るい声だった。

 7月の辺野古大行動で、Oさんのお姉さんが経過報告してくださったお話の内容を、文字にしてくれた方がいたので、掲載する。

裏写りして読みづらいですが、ご容赦を!

2024年8月4日リンクURL

辺野古は沖縄だけの闘いではない! 世界の平和と繋がっている ~ 今日(7月31日)の辺野古

 今日の辺野古ゲート前は多彩な人々で話題豊富な、そして熱い暑い一日だった。

 

   朝9時の搬入、若者や県外、アメリカからの参加者も混じって、いつもとは少し雰囲気の違うスタート。

 お二人はアメリカから、全米に200以上の支部を持ち、8万人の会員がを持つ社会主義者のグループ。人権や差別、貧困、パレスチナの問題など、アメリカの戦争マシンをどう止めるかという闘いをしているという。「辺野古に基地をつくるのはアメリカ帝国主義の仕業。辺野古の問題をどうアメリカに伝えるていくかを模索している」。

 黒いおひげの人は、バーレンの出身。「いまから20年以上前、バーレンの美しい湾を埋め立てて米軍基地が作られた。人々は反対して闘ったが基地はつくられてしまった。基地が出来たことで、山は崩され、土地、空気が汚れて悪臭が漂い、エアコンをつけてもすぐに目詰まりして止まってしまう。砂浜を両手ですくうと、貝やエビがいくらでもとれた自然豊かな湾の30年後の姿である。失ったものをとり戻すことは難しい。一生懸命やったが、もっと闘って止めるべきだったと悔やむ。

 今日、皆さんと一緒に座り込んで、こうして闘い続ける人たちがいるとことを知り、とても勇気づけられた。辺野古の闘いは沖縄だけの闘いではない。世界中の平和の闘いと繋がっている。闘い続けることは決して楽なことではないが、次の世代、子どもや孫たちの世代のために是非闘い続けてもらいたい。共に闘いましょう」。

 まるで辺野古の30年後の話を聞いているかのようだった。

 

 今日2回目の座り込み。映画やネットで沖縄の状況を配信し続ける若者。数年前、辺野古に来たことがきっかけて、沖縄で起きていることが県外ではほとんど伝わらないことに衝撃を受け、こんな理不尽なことがあってはならないと、沖縄に移住。映像で沖縄を伝え続けている。

 3000678日。決して短い日々ではない。10年後も、私たちはここに座り込んでいるのだろうか?改めて看板を見つめ直す今日の辺野古。

 

2024年7月31日リンクURL