米軍ヘリ墜落~オスプレイ再配備に揺れる沖縄で

DSCN0344昨年10月に普天間基地に配備されたオスプレイによるさまざまな基地被害に悩まされ
怒りの抗議を続けている沖縄県民をあざ笑うかのように
去る8月3日、追加配備と発表された12機のうち2機が、抗議する私たちの頭上を通過して 普天間基地に到着した。

DSCN0290DSCN0309

DSCN0314

 

残り10機がやってくるとされていた昨日、
抗議行動の集会が開かれている最中に
「宜野座村で、米軍ヘリ墜落」の情報が伝えられた。

 

墜落現場~近くの住民撮影

墜落現場~近くの住民撮影

県民が恐れていたことが現実となったのだ。

米軍の発表では、
訓練中のヘリが、米軍基地・キャンプハンセン内の森林に墜落
搭乗していた米兵4人のうち3人が救助され病院に運ばれ、
一人が行方不明とされている。

墜落現場は、基地内とはいえ、一番近くの民家までわずか2キロ、
1~2秒差で惨事となる状況である。

昼夜を問わず、毎日頭上を飛ぶ米軍機の爆音と墜落の恐怖におびえる
住民の不安が的中する形となった。

DSCN0346

DSCN0345

<ヘリ墜落を伝える今朝の新聞>

奇しくも今日は広島原爆の日

広島市長の平和宣言が胸に沁みた。

改めて、平和の祈りをささげた。

2013年8月6日リンクURL

悪い政治家は、投票しない善良な市民によって選ばれる

投票日前日20日付け、琉球新報のコラム「金口木舌」の一節である。

まさにその通りになってしまった参院選

日銀那覇支店のシーサー

日銀那覇支店のシーサー

日本国民は、原発の再稼働、平和憲法の改悪への道、アメリカの食い物にされるTPPを 認める選択をした。

「金口木舌」はいう

<政治不信を言う前に>(前書き略)
 ◆各党、各候補者の目配りはどうなっているか。選挙戦で憲法や基地、経済など主要な争点には光が当たり有権者の目を引く。福祉や  子育て、働く場の確保など暮らしにもきちんと光を当てているだろうか

◆働きたくても働けない、子どもたちの居場所がない、暮らしの中にこそゆがみは多い。だからこそ踏み荒らされた地面をならすように、政治の力でゆがんだ道を粘り強く修復してもらいたい

◆「変わるんだ、というところを政治が見せてほしい」。本紙17日付の参院選若者座談会で出席者の一人がこう語っていた。政治家は若者の期待に応えねばならない

◆「悪い政治家は、投票しない善良な市民によって選ばれる」。アメリカにこんなことわざがある。「政治不信」を表明するだけでなく、県民の代表を選ぶ権利をしっかり行使しよう。「よりよい未来」を築くのは一人一人の行動だ。

しかし、投票率は50%台だった。
国民の二人に一人は投票しなかったのだ。

DVC00089.JPG

愛の反対語は無関心である」
と言ったマザー.テレサの言葉が思い起こされる。

この言葉は、すべての物事に通ずる真理であると思う。

2013年7月22日リンクURL

参院選~沖縄から

合点ならん4.・28県民大会

合点ならん4.・28県民大会

全国から投票ができる比例区に立候補している
「山シロ博冶」さんとは!

彼が高校の2年生だった1958年、
米軍のジェット機墜落事故や、米兵の性暴力事件などが立て続けに起こった。
( 当時のことを話すとき、いまだに山シロさんは怒りと悔しさに涙し、声を詰まらせる)。

当時、生徒会長だった彼は、生徒たちに呼びかけ
抗議集会へ参加したり、校内でハンガーストを行い
そのことが原因で高校を退学処分となる。

しかし、そんなことでひるむ山シロ博冶ではなかった。
大検を受けて高校卒業資格を取得し大学進学を果たし
卒業して県庁職員となる。

ヘリパット建設に反対して住民が座り込む~東村高江

ヘリパット建設に反対して住民が座り込む~東村高江

公務員としての出世には目もくれず、一貫して労働組合活動を通して 平和運動の現場で先頭に立ってきた。
現在は、沖縄平和運動センターの事務局長を務める。

基地建設に住民が反対して闘ういくつもの現場で
常に先頭に立つ彼の姿がある。

勝手に山シロ博冶応援団長を名乗る辛淑玉(シン・スゴ)さんは、  応援の弁をこう語っている。

≪「山シロ博冶」は、米軍機の墜落を目の当たりにして育ち、高校生の時にはすでに小さな体で国家と対峙していた。インテリの子供ではない。沖縄の現実が、農家の息子を政治の舞台に押し出したのだ。オスプレイ阻止闘争の映像の中に、もみくちゃにされている山シロ博冶の姿がある。その姿はまさに、大地に根を下ろした農民の姿だ。
 先日オバマ大統領は国防大学の講演で「無人機による誤爆で人を殺すことも、テロとの戦いを終わらせるための”リスクの一つ”だと語った。
 ふと、山シロ博冶が目の前でこの言葉を聞いたらどう反応するだろうかと思った。彼は誰もわからない意味不明の声を上げるかもしれない。そして、泣くだろう。殺されゆく命に対して、泣き崩れるだろう。
 泣きながら、あの小さな体で、無人機の引き金を引く部屋になだれ込み、その手にかじりつくだろう。振り払われても、振り払われても、しがみつくだろう。そして彼は、そのままブタ箱入りだ。しかし、それこそが、沖縄が継承してきた、現場での闘いなのだ。
 嘉手納、辺野古、高江と、丸腰の個人が、ゲートや建設車両や、掃海艇の前に立ちはだかって、国家の暴走を止めてきたのだ。山シロ博冶は、そのような沖縄の民衆の闘いが生んだ、民衆の政治家なのだ。
 どこかの「塾」を出てきた者たちのような口の巧さや、かっこいい着こなしなどない。雨の日も、土砂降りの日も、台風の日も、炎天下でも、彼は「人殺し」と向き合っている。
 そこにオバマとの違いがあり、オバマの腰巾着たち(日本の政治家)との違いがある。山シロ博冶は、殺していい命など一つもないと言い切れる、沖縄の魂の継承者だ。日本の国会の中に、彼が必要なのだ

2013年7月20日リンクURL