文子おばぁも元気に参加~今日(10月22日)の高江土曜集中行動日

300人余が結集して、今週もN1ゲートからの砂利搬入を許さなかった。

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前日、警察が半年も前事案で、取り調べを受けた辺野古座り込みの象徴的人物である島袋文子さん(87歳)も、元気に姿を見せた。

DVC00019.JPG 戦争の後遺症で歩くことさえままならず、車いすで移動するしかない高齢(87歳)の文子さんが、どうしたら屈強な右翼男性に暴力を振るえるというのか!誰が考えてもおかしな話である。

文子さんによると、名護署が写したという現場写真を見せられ確認を迫られたが、そこに映っていたのは、暴力を振るわれたとされる人物とは全く別人が写っていたので、「これは違う」と即座に否定したという。

しかも、その事件があったとされる日は、右翼が押し掛けたので、文子さんの周辺にはいつも彼女を支えてくれている人たちを含め、大勢の人がいて騒然としていたが、写真は少人数で文子さんの周りにいつもの介添えの人たちなど誰も写っていかったという。文子さんの周辺では「合成写真ではないか」と疑っている。

また、本人確認で住所・氏名を名乗るよう求められたことに対し、「山城博治さんが釈放されない限り、私は何もしゃべらない」と、黙秘を貫いたとのことである。

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この日も、県内外から大勢の人たちが「高江」にやってきた。 全国で安保法の違憲訴訟を闘う若手弁護士の皆さんたちのグループ。「日本の平和と主主義を最先端で闘う沖縄を知らなければ、何も始まらない」と。

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毎年、沖縄の北端・辺戸岬から、南端・摩文仁までを10日間かけて歩く平和行進を行っている日本山妙法寺の方々。

DVC00010.JPG 高校の修学旅行で沖縄を訪れて以来、歴史的に日本の国が沖縄に行ってきた数々の理不尽に衝撃を受け、「自分にできることは何か」と問い続けながら大学生になっても辺野古にも通ってきた若い女性。「社会人になって、自分にできることの第一歩として、まず、母を連れてきた」と。すてきな母娘の発言。

p1040087 辺野古・高江名物、楽しいパフォーマンスも。

山城博治さんの拘束はまだ続いている。理由にもならないような微罪を取り立てて逮捕し、裁判所が拘留を認めなかったため、公務執行妨害で再逮捕、さらにそれでも裁判所が拘留を認めなかった場合、今度は窃盗で再々逮捕をもくろんでいるという。

2016年10月23日リンクURL

「高江」の警備機動隊員が市民に差別発言~「土人」「くそ ぼけ」「シナ人」

もう 何をかいわんや である。

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沖縄に派遣されている県外からの機動隊員は、見たところ若い人たちばかりだが、すでに死語となっている「土人」「シナ」など、よくこんな古い言葉を知っていたものだと思う。

沖縄に配属される海兵隊の新任兵士に沖縄差別を助長する新人研修が行われていたことが暴露されたばかりだが、もしかして、機動隊でも沖縄派遣機動隊員にに、このような研修を行ってはいないでしょうね。

かつては、沖縄戦の日本兵にも差別教育が行われていたことはよく知られている。相手は人間として扱わなくていい存在だと、差別を植え付けることで、兵士の戦場での人殺しは可能になる。戦争遂行に差別はつきものだ。

高江や辺野古で彼らが行っている暴力的な弾圧は、沖縄の人たちを見下さなければできないことだ。

今回の差別発言で、それが見える形で露呈した。

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暴言を吐いた機動隊員は「つい興奮して言ってしまった」と発言を認めたが、謝罪することはなく、移動の形で19日付すでに大阪府警に逃げ帰ったとのこと。

これに対し大阪府の松井一郎知事ツイッターで、「表現は不適切だったかもしれないが、(動画を見て)大阪府警の警官が一生懸命命令に従い職務を遂行していたことが分かった。出張ご苦労様」と、暴言警察官をねぎらったという。差別発言も命令による職務遂行か?

 

2016年10月19日リンクURL

カジマヤーにあやかる

DVC00021.JPG 先日(16日)は、友人のお父様のカジマヤーのお祝いに招かれ、長寿をあやかって(福のおすそ分けをいただいて)参りました。

沖縄では、干支で長寿を祝うのが習わしです。61歳、73歳、85歳、97歳など。88歳は干支ではありませんがもちろん米寿も祝います。(年齢はいずれも数え年)

米寿は旧暦の8月8日に、97歳は旧暦の9月7日に、それ以外は、旧正月明けの初めての「その年の干支の日」に祝うのが本来の形ですが、近年はみんなが集まりやすいように土・日や休日に行われることが多くなりました。

お招きいただいたのは、いつも辺野古の座り込みで顔を合わせ、親しくなった方のお父様の97歳のお祝い。DVC00027.JPG                       <ご本人です>

カジマヤーとは風車のこと。97歳のお祝いをカジマヤーと称するのは、97歳ともなれば、たいていの方は子どもにかえり、風車を手にして遊ぶようになる、ということから来ています。

沖縄の祝いの席は、舞台で親戚縁者が演じる数々の出し物が盛大で、さながら演芸大会のようになるのが普通です。

DVC00033.JPG                        <民謡ショーあり>

DVC00032.JPG                       <フラダンスあり>

DVC00013.JPG                 <海勢頭豊さんのコンサートあり>

DVC00030.JPG              <辺野古ゲート前の仲間たちによる合唱あり>

DVC00018.JPG               <お孫さんお二人はプロのミュージシャン>

この他、琉球舞踊、知念良吉さんの歌(聞きほれて写真を写すのを忘れてしまいました)など、今席は辺野古繋がりとあって、辺野古総合大学芸能部総出演という感じでした。これだけの舞台は入場料一万円でもなかなか見られるものではありません。

DVC00026.JPG献杯の儀で、直接長寿をあやかるのは、辺野古座り込みのリーダーの一人、高里鈴代さん。

DVC00028.JPGして、山城博治さんも高江の抗議行動から駆け付けました。

DVC00007.JPGDVC00010.JPG                 <最後は全員総立ちでカチャーシー>

DVC00008.JPG                 <辺野古のマドンナ・島袋文子さんもノリノリ>

DVC00016.JPG                      <ご本人もノリノリです>

DVC00017.JPG 今どきはプラスチック製のカジマヤーが主流ですが、昔の子どもたちは、アダンの葉っぱでカジマヤーを手作りして遊んだものです。

どちらも用意されていたのはさすが!でした。

2016年10月18日リンクURL