20数年ごしのサボテンの花

我が家のベランダで、一鉢のサボテンに初めて花がさきました。

DVC00011.JPG            <いまいちピントが合っていないけど…>

このサボテン(の一種と思われる)が、どういう経緯で我が家に来たのかも、すっかり記憶の彼方。花が咲くのか咲かないのか、ましてやどんな花が咲くのかもわからないまま、とにかく水と、時々サボテン用の肥料だけは、⒛数年普通にやっていました。
現在の住まい(マンションの一室)に引っ越すとき、腕にかかえてきたことだけは覚えています。引っ越してからでも27年、初めて花をつけたのです。

先月はじめ、つぼみを見つけたときには、悲鳴をあげそうになりました。

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みるみる大きく膨らんで、10日ほどで満開に。

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これ以上は開きませんでしたが、葉っぱに似合わずおおきくて、なかなか可憐な花です。

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正式な名前がわからないので、ネットで検索中です。

2016年6月14日リンクURL

今日(6月10日)の辺野古~知念良吉ライブで盛り上がる

DVC00050.JPG不屈の座り込み705日目の辺野古。

午前中は、基地から出る米軍車両を止めるためメインゲートの出口に座り込んで封鎖。 機動隊に排除されても排除されても、何度も何度も戻ってきて座り込む。午前中いっぱい、攻防が展開された。

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DVC00036.JPG                     <良き隣人はレイプしない!」

銃を脇に抱えたままトラックいっぱいに積み込まれた兵士たち。市民の抗議に対しては無視するもの、ガムを噛みながらニヤニヤ笑っている者、カメラを向ける者と反応もいろいろだが、このプラカードを突き付けると、思わず下を向く者が多い。

彼らは、日ごろ「米軍は沖縄県民の”良き隣人”を標榜(もちろん表向きに過ぎないが…)しているにも関わらず、あのような事件を起こしてしまったからだ。

しかも、喪に服するとして、一か月間の基地外での飲酒禁止、夜間外出禁止を発表した一週間後には、泥酔した兵士が深夜の国道を逆走、民間人2人に重軽傷を負わせた。彼らの”反省”が、いかにいい加減なものかがわかる。

DVC00042.JPG米軍トラックの前に立ちはだかる男性。彼は辺野古の住人。実は、彼の母親もまた米兵に殺された。経営していたお店の売り上げを狙って押し入った米兵に、お金を奪われまいとして抵抗したため殺されたという。ほとんど毎日、黙々とテント村の活動を支える働きをしている。

午後、テント村の雰囲気は一変した。

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復帰前後に青春時代を過ごした人ならだれでも心躍らせたフォーク・ロック。その思いでのシーンに、この人は欠かせない。あの知念良吉さんが突然やってきて、休憩をはさんで、一時間半もライブをしてくださった。基地の街コザ生まれ育ちの良吉さんの歌には、ウチナーンチュ共通の思いが、ずっしりと込められている。

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文子オバーもノリノリ!

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博治さんもノリノリ!

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今日は、県外から、今世間を騒がせている東京都の職員労組の皆さん36名がゲート前行動に参加。一緒にオキナワンロックのライブを楽しんだ。

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同じくつい最近までお騒がせ市長がいた大阪市の職員労組の皆さんも16名がやってきて、
「テレビのニュースで見聞きするのとは大違い、帰ったら多くの仲間や家族、そして地域に沖縄の真実を伝えたい」と感想を語った。

2016年6月11日リンクURL

追悼・抗議集会~これ以上の基地・軍隊の駐留は認めない!

女性たちが中心となって呼びかけた二度目の追悼・抗議集会が、8日、46団体、200人近くが参加して那覇市内で開かれた。

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集会は、被害者への黙祷で始まり、 ゲストスピーカーとして招かれた元米陸軍大佐で外交官も務めたアン・ライさんトが、事件の背景にある「軍隊の構造的暴力」について語った。

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「軍隊がいるところに暴力が起こるのは、世界各地で共通している。それは、彼ら(兵士)は日々敵を殺す訓練をしているからだ。それをなくすには軍隊の撤退しかない。
軍隊内部でも性暴力が問題になっており、女性兵士の4人に一人がレイプの被害に遭っている。また性被害に限らず、軍関係者の事件事故が多発しているのは、”違う国では何をしてもいい”という植民地的差別意識に根差している」と軍隊の撤退を訴えた。

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各団体の代表10人によるリレートークでは、自らが14歳の時に米兵から性被害を受けた体験を語った人もいた。「何十年も誰にも話すことができず、自分を責め続けていた。女性たちとの活動の中で、わたしは悪くないと気付くことができ、こうして語ることができるようになった。被害を黙っている人はたくさんいる。もうこれ以上の被害者は出したくない。すべての基地がなくなるまで、一緒に頑張りましょう」と訴えた。

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P1030624     プラカードを掲げて「被害者への思い」と「すべての基地・軍隊の撤退」をアピール。

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 同じ女性同士、痛みを分かち合い、共感し、支えあう追悼・抗議集会となった。

2016年6月9日リンクURL