首里城炎上 ~ 復元不可能な貴重な展示品も焼失

 あまりの出来事に言葉も出ない。この三次元世界の苦しみは、それを克服することで、魂が何かを学ぶために起こるという。受難うち続く沖縄、この受難から何を学べというのだろうか。

  沖縄戦で焼失したあと、20数年かけてここまで復元した首里城だった。新たな復元は30年以上かかるという。

 しかし、建物は再建・復元できても、復元できないものもある。

 

 

<11月2日 琉球新報>

「泥棒は、担げるだけしかもっていかないが、火事はすべてごっそり持っていく」と、祖母が口を酸っぱく言っていた言葉を、実感を持って思い出す。

 

2019年11月1日リンクURL

「負きてぇないびらんどー」ハワイのうちなぁんちゅからエール ~ 世界のうちなぁんちゅの日(10月30日)の辺野古

 辺野古ゲート前の抗議行動が、年内にも2000日を迎えようとしている。浜のテントでは24年という聞くだけでもため息が出るような長い時間である。

 台風や、先週の安和集中行動などでここ3週間、陸でも海でもほとんど作業が進んでいない。その分を取り戻そうということか、今週は、塩川でも安和でも、ここ辺野古ゲート前でも、大量の土砂や資材が強引に運ばれているとのこと。

 辺野古では、今日も早朝から60名ほどの人が座り込んだ。

 

 今日は、県外・海外から参加の人たちが多かった。

「平和のために闘っている沖縄の人たちの姿に感動した」と語るのは、インド東部にある都市インパール州から来たお二人。第二次世界大戦で、日本軍が無謀な侵攻作戦(日本兵ほぼ全滅。史上最悪の作戦と呼ばれる)を行ったインパール作戦で知られる。

 インパールはもともと独立王国で、インドとともに長くイギリスの植民地だった。イギリスが撤退した後、独立できると喜んだが、イギリス軍に代わってインド軍がやってきてインドに併合されてしまったという。その後もずっとインドに対する抵抗運動が続いていて、その闘いの歴史と独自の文化を後世につなぐため、今年6月に資料館ができた。二人はその資料館の関係者。

 日本の中の沖縄、インドの中のインパールはすごく歴史的状況が似ていて、資料館を作りにあたって沖縄の平和資料館や南風原文化センターも調査。南風原文化センターとは姉妹館として交流を深めている。

 インパールの伝統楽器の演奏を聞かせてくれた。穏やかでゆったりとした音色は、沖縄の古典音楽にも似て、心にしみた。

 続いてやってきたのは、ハワイのうちなーんちゅの皆さん(一行22名)。

 掲げている旗はハワイ王国時代の国旗、今もハワイの旗として使い続けているという。自らのルーツ・ウヤファーフジ(父母や先祖)の地(沖縄)を訪ね、歴史や文化を学ぶツアーを毎年行っているという。

 現在の沖縄県民よりうちなーんちゅらしいハワイのうちなーんちゅの皆さん、見事な沖縄の歌や踊りを生演奏で披露してくれた。奇しくもこの日10月30日は「世界のうちなぁんちゅの日」

 ハワイもかつては独立王国。米国に併合されてしまったが、原住民としての誇りは消えない。沖縄、ハワイ、インパール、大国に翻弄される島々(国々)の交流の中から明日への希望が見つかることを祈りたい。

 リーダーのエリックさんが、最後に大きな声で呼びかけた。「うちなぁんちゅ!負きてーないびらんどう!(沖縄人のみんな!屈してはなりませんよ!)」

2019年10月31日リンクURL