東京で出会った沖縄 ~ 健康食品の宝庫 おきなわ

 去る14日、東京で全国的な憲法関係の会議があり、沖縄から仲間3人とともに出席した。その会場で、会議の参加団体が資金造成のため、健康食品の物品販売をしているので協力してほしいとの呼びかけがあり、沖縄へのお土産を買いたかったし、協力もしたかったので、休憩時間に覗いてみた。

 しかし、なんと!健康食品とはすべて沖縄県産品だった。ウコン、もろみ酢、お塩、薬草茶、黒砂糖、シークヮーサージュース etc。これを東京のお土産として持って帰るわけにはいかない。嬉しくもあり、可笑しくもあり…。

 翌日、私用で延泊したホテルは五反田駅の近くにあった。夜は時間を持て余して、駅前のビルにある本屋で気軽に読めそうな本を3冊購入。下りのエスカレーターをのんびり降りていると「さーたーあんだぎー」の看板を発見!思わずかけよってしまった。

 「健康 長寿のふるさと沖縄の自然健康食品」と謳っている。並んでいる品々は、昨日と同じく、ウコンにもろみ酢、お塩、薬草茶、黒砂糖、シークヮーサージュース、泡盛など、定番の品々。

 店主が試食を進めるので「わたし沖縄です」と言うと、「すぐわかったよ」と返された。やっぱり!ウチナージラー(沖縄らしい顔)しているんだねぇ。

2019年11月21日リンクURL

ドキュメンタリー「沖縄戦」上映会 ~ 12月9日、10日(無料)

「沖縄戦」という言葉を聞くと、心穏やかではいられない。祖父が戦死、父や母が沖縄戦の生き残りであり、「集団自決」の島で生まれ育った者として、その実相が知りたくて、仕事の一部でもあったが、たくさんの人たちの戦争体験を聞いてきた。

それでも、私が聞いた話は、極々一部であり、沖縄戦を生き抜いてきた人たち一人ひとりそれぞれに、筆舌に尽くしがたい悲惨な「戦争体験」がある。

「戦争の話は、もう聞きたくない」と思ったことは何度もある。でも聞きたい、聞かなければならない。戦争の映画は見たくない。でも見たい。見なければならない。そんな葛藤が消えることはない。

12月9日、10日、パレット市民劇場でドキュメンタリー映画「沖縄戦」の上映会がある。渡嘉敷島の「集団自決」のことも、体験者の一人である吉川嘉勝さんが語る。

 

2019年11月19日リンクURL

 恩師の旅立ちに 思う

 70代になって、バスやモノレールの中で、席を譲られることが多くなり、いやでも自分の年齢を意識せざるを得ないこの頃であるが、

 自らが老いるだけでなく、人生上り坂のころに、理想、あるいは目標にして背中を追いかけてきた各分野の大先輩たち(親も含め)が、次々と視界から見えなくなり、寂しさや切なさに身をつまされ、自らの老いを実感することが多くなってきた。70代とは、そういう時期でもあるようだ。

 先日も、仕事上で40年近くお世話になってきた恩人ともいえる大先輩が亡くなられた。

 14日、たまたま所用で東京に出ていたため、15日に埼玉県の川越市で行われた告別式に駆け付けることができ、長年かけていただいたご厚情に、感謝とお礼を申し上げることができた。

 若いころに自らが身体を壊したために、「食の過ち」に気づかれ、「千坂式」という玄米正食の食養生のメソッドを確立された方である。いまでこそ巷でよく聞かれるようになった数々の健康食品や健康法を、今から35年~40年前にすでに提唱されていた。

 例えば食物酵素、ミネラル、シリカの大切さ、氣やソマチッドの存在、フウチ、Oリングテスト、食の陰陽、酸アルカリのバランスの重要性、腸内の微生物(フローラ)、腸造血説など、数え上げればきりがないほど。

 自分自身が健康を取り戻すために手作りしていた玄米酵素などの食品を、同じ病で苦しんでいる友人知人に分け与えていたところ、請われて商品化するようになり、健康食品のメーカーを立ち上げた。

 今でも厳選された食材で、手作りに近い製造方法をしているため大量生産ができず、決して大手メーカーのような流通はしていないが、知る人ぞ知る「千坂メソッド」である。 

 私は、千坂先生が出演するラジオ番組のディレクターとして、35年間ほどお手伝いをしてきた。3年前にラジオ番組も、会社も二代目に引き継がれたため、2年ほどお会いしていなかったが、棺の中の先生のお顔は、シミや皺一つなく、生前と変わらない穏やかな優しい笑顔のままだった。きっと人生の目的を果たされ、満足して旅立たれたのだと思う。

 私が人一倍健康の問題に関心があり、70代になるまで歯医者以外病院のお世話にならずに来れたのも、先生の影響が大きいと感謝している。心からご冥福を祈りします。

 

2019年11月18日リンクURL