福島からのメッセージ~選挙さ 行くべ! 

3・11から丸5年。被災者の7割が「復興は進んでいない」と感じ、特に原発の福島からはいまだに故郷に帰れない、いつ帰れるのかもわからない人々の悲鳴が聞こえてきます。

地震、津波は天災ですが、原発事故は人災、それも国策の誤りから起こったもの。それなのに東電も、原発政策を進めてきた為政者も、製造者責任があるはずの原発をつくったアメリカの企業も、誰一人として責任を問われないまま、5年が過ぎようとしています。

被災地の除染も終わらず、汚染水の処理のめどさえ全くたっていないというのに、原発は早々と再稼働が始まり、すでに耐用年数を過ぎ老朽化して危険な原子炉が、次々と再稼働を待っています。

辺野古ゲート前には、毎日のように全国からたくさんの支援者が座り込みにやってきますが、福島からも、これまで大勢の方々が応援に来てくださいました。

自らも被害を受け、まだ仮設住宅で避難生活を送っていながら、遠く沖縄までやってくるのです。「辺野古のことは原発と問題の根っこは同じ。だからこそ沖縄の人たちの気持ちがよくわかる」と。

一方、私を含め辺野古に座り込む沖縄の人たちの一体どれだけが、東北・福島の被災地に足を運んだだろうかと思うと、頭が下がります。

昨年、 慰霊の日の平和集会にて

2015年摩文仁・ 慰霊の日の平和集会にて

 

昨年、10月に福島からいらした方が、ゲート前でこんなを紹介して下さいました。来る参議院議員選挙に向けてしっかりと心に止め、行動に移していきたいものです。

 

   関 久雄歌集 第Ⅲ集より
「原発いらない、いのちが大事の歌」

かんた※ 選挙さ 行くべ   (※作者の二男の名前)
オレたちの 一票で
ガツンと 言わせて やんべ

原発いらねぇって いう人に 入れっぺ
経済とか 安定とか 30年かけて止める とか
寝ぼけたこと 言うやつらに だまされんなよ

ヒバクさせて ヒナンさせて
家族をバラバラにさせて
首を 吊らせておいて
また 知らん顔して 原発つくる
そういう やからを 許してはなんね
一揆を 起こすべ
だから 選挙さ 行くべ

でも 父さん
若いやつ 選挙 行かないよ
大して イミ ないんじゃないの

バカタレ そうやってなあ
好きに やらせておくとなあ
憲法いじり おめえたちを 戦争に引っ張って
人殺しを やらされる
徴兵っていうんだぞい
原発の 後始末も やらされんだぞい

え そうなの

わがの 頭で 考えねぇど わがね
みんなで 選挙さ 行くべ
オレたちの 一票で
目 さまさせて やんべ

2016年3月10日リンクURL

1966年の辺野古米軍計画~米担当者インタビュー

友人であり、辺野古新基地建設を止めるため共に戦っている仲間の真喜志好一さんから、拡散を希望する映像資料が届きました。

朝日放送のニュースステーションで取り上げられたものなので
ご覧になった方も多いと思いますが、
貴重な映像なので、拡散にご協力ください。

以下は、真喜志さんからのメールです。

2016年3月4日、辺野古の新基地建設をめぐる訴訟は、
国と沖縄県が和解によって工事が中断しました。
わずか三日後の3月7日、政府は沖縄県に「是正指示」を出し、

和解時にも安倍首相は「普天間飛行場の全面返還のためには、
辺野古移設が唯一の選択肢という考え方に変わりない」と
強弁していました。

さて、辺野古にはベトナム戦争の頃、
1966年に飛行場と軍港を作る計画を米軍がたてていました。
このビデオは1966年当時の米海軍担当者に、
米国で2006年にインタビューした貴重なビデオです。

「辺野古移設が唯一の解決策」と言い募るウラの事実…
全国民必見のビデオだと思います。

「1966年の辺野古米軍計画-米担当者インタビュー」

URLは、https://www.youtube.com/watch?v=511WKPVG9eg

とても貴重で、重要な映像だと思います。
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海上から見た辺野古基地(キャンプシュワブ)~2016年3月

海上から見た辺野古基地(キャンプシュワブ)~2016年3月

2016年3月9日リンクURL

那覇 子ども大綱挽まつり(第一回)

6日の日曜日、那覇市西町の一角で、那覇 子ども大綱挽まつりが行われました。

那覇大綱挽の発祥の地である那覇4町(西町、東町、若狭、泉崎)の活性化を図るために行われたもので、これら那覇4町は沖縄戦10・10空襲で壊滅する以前の旧那覇の中心地だったところです。

子どもたちの笑顔は、それだけで街が明るくなる

<子どもたちの笑顔は、それだけで街が明るくなる>

子ども大綱は、那覇大綱挽のミニ版とはいえ、伝統的な仕様で作られ、長さ36メートルの本格的な大綱です。雌綱と雄綱が一本のカヌチ棒で結ばれ一本の大綱になります。

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本部には、那覇大綱挽保存会の比嘉会長、城間那覇市長も臨席。4町の小中学生、こどもたち、そして多くの地域の人たちが集まりました。

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まつりはまず那覇大綱挽で使われる本物の旗頭が登場!勇壮なガーエー(競い合い)から始まりました。旗頭は重さが60キロもあり、さすがに子どもたちには無理なので、お兄さんたちが担当したようです。ムムヌチハンター(衣装)も勇ましく、かっこいいですね。

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地域の子どもたちが、このカッコいいお兄さんたちに憧れることで、きっと将来那覇大綱挽の立派な継承者に育っていくのではないでしょうか!

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半鐘の合図で200人の子どもたちが東西に分かれて、一生懸命大綱を挽きました。一回目は子ども数が多かった西に軍配が上がりました。

二回目は、見かねた城間市長が東側に加勢したこともあって東側が勝利。

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三回目は、また西側が勝って、第一回那覇子ども大綱挽は二勝一敗で西の勝利となりました。

西が勝てば大漁、東が勝てば豊作という、どちらが勝ってもめでたし!めでたし!の沖縄の綱引きです。

勝ってカチャーシーを踊る子供たち。

勝ってカチャーシーを踊る子供たち

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それにしても、城間那覇市長のこの笑顔、子どもまつりらしくてステキ。さすが元教師、そして女性市長ならではだと思います。

2016年3月8日リンクURL