軍事主義を許さない国際女性ネットワーク会議 IN OKINAWA ③ 辺野古で抗議の声をあげる

三日目・24日(土)は辺野古の座り込みに参加。この日大浦湾では護岸工事に抗議する海上パレード行われるため、一行を乗せたバスは、まずは瀬嵩の浜へ直行。外国メンバーを中心に抗議船に乗って、海上から抗議行動に参加した。(私は船に乗れなかったので、写真はありません)

 カヌーチームは22艇で「ジュゴンを救え」のアピール。(工事の影響で餌場が荒らされ、ジュゴンが寄り付かなくなった)

 韓国メンバーは、抗議船への乗船順番待ちの間も砂浜で抗議行動を展開。

ゲート前では、大浦湾の写真の絵ハガキに思いを書いて繋げたメッセージカードを持って挨拶。沖縄への強い連帯と支持を表明した。

 

 

 

 

ゲート前のテントの下で昼食のお弁当を済ませた後、那覇へ戻る途中、昨年、元海兵隊員の性暴力を受け殺害された20歳の女性の遺体遺棄現場を訪れた。

いまも、現場の祭壇に被害女性を悼む花や供物の絶えない。

アメリカメンバーの一人が、先住民の祈りの方法でその場を清め、一人一人が野の花を積んで被害女性の霊に捧げて冥福を祈った。

この国際女性ネットワーク会議の発端が、1995年に小学生の少女が三人の米兵に性暴力を受けたことだっただけに、20年たっても変わらぬ沖縄の現実を改めて突き付けられ、何人も涙を拭う姿があった。

この後の日程は、沖縄大学を会場に5つのテーマに分かれて分科会討論が行われる。

大型バスが満席。強硬スケジュールも何のその元気いっぱいの女性たち。

予定より1時間近く遅れて、午後の日程である分科会の会場・沖大に到着。早速五つのテーマ別分科会に分かれて討議が行われた。

第一分科会:「軍隊と性暴力~女性・子どもの人権」

第二分科会:「植民地主義からの脱却と経済的自立(地域に根差す)」

第三分科会:「軍事化に抗して~非暴力・紛争予防・軍事費削減」

第四分科会:「基地と環境汚染・環境保全」

第五分科会:「安全保障の再定義(法律・協定など」

これらの分科会討議は、翌25日の公開プログラムでさらに討議を深め、内容が発表される。

2017年7月2日リンクURL

軍事主義を許さない国際女性ネットワーク会議 IN OKINAWA ②摩文仁で平和の祈り

二日目の6月23日は、沖縄「慰霊の日」。 この日は、摩文仁・魂魄の塔前で行われる「国際反戦沖縄集会」に参加することになっているが、その前に、韓国で制作されたドキュメンタリー映画「ホストネーション」を観た。

この映画は、韓国とフィリピン間の性的人身売買が合法化されている現実と、韓国における一人のフィリピン女性の二年間を追跡・記録することで性的人身売買の構造を暴くドキュメンタリーである。この状況を米軍基地の存在がさらに増長させている現実を浮き彫りにしたもの。

映画を観終わって、10:30分に摩文仁向け大型バスで出発。バスの中で「ありったけの地獄を集めた」と称される沖縄戦についてレクチャーを受けた。

  まずは、一般の人たちに交じって「魂魄の塔」で黙とうを捧げた。

ハワイのメンバーが、持参した千年木の葉で編んだ「祈りのレイ」を魂魄の塔に捧げた。

ハワイメンバーの中には、祖父母が沖縄出身の若者が二人いて、ことのほか沖縄戦や沖縄の伝統的な芸能、食べ物、文化・習慣に興味を示した。

12:30、海勢頭豊さんのコンサートで「6・23国際反戦沖縄集会」スタート。

ステージ真ん前のテントの下に陣取る「国際女性ネットワーク会議」のメンバーたち。

首にかけた紅型のスカーフが「国際女性ネットワーク会議メンバー」の目印。

壇上から、各国のメンバーがそれぞれメッセージを発信した。

 沖縄戦の惨状と、今なお続く米軍基地の厳しい現状を自らの状況と重ね合わせて、コメントしながら思わず涙ぐむハワイのメンバー。

 ステージでは、山形からの修学旅行生の歌とメッセージ、フラダンスや金城実さんの名物・下駄踊りなども披露された。

摩文仁から戻って会場を県の女性センター・てぃるるに移し、夕食をとりながら、今度は沖縄戦のドキュメンタリーフィルム「未来への証言」を見たあと、それどれの国(地域)状況を伝える「各国報告」を行った。

 

沖縄メンバー、日本メンバーもそれぞれ自国の状況を報告した。

 

2017年7月1日リンクURL

ジェンダーの視点から安保を問う~軍事主義を許さない国際ネットワーク会議 IN OKINAWA ①

沖縄と同じように、米軍の駐留によって痛みを抱える国々(地域)の女性たちが一堂に会し、「真の安全保障とは?」を、ジェンダーの視点から問い直そうと、7か国(地域)から60数名が集った「第9回 軍事主義を許さない国際女性ネットワーク会議 」が、去る22日から26日まで沖縄で開催された。基本的にメンバーによるクローズの会議だが、25日には男性を含め誰でも参加できる公開プログラムも行われた。

会議の模様を何回かに分けてお伝えする。

22日は、午前11時から 県庁記者クラブで各国の代表が記者会見。地元新聞2社のみで、テレビ局や本土メディアは、ほとんど関心を示さなかった。

18:30分から開会セレモニーが開かれた。

 歓迎セレモニーは、まず遠来の皆さんを沖縄の踊りで歓迎。

 

各国の皆さんも、それぞれお国柄を発揮して会議スタートの挨拶。まずはグアムメンバー。

フィリピンメンバーはいつも明るく楽しいパフォーマンスで楽しませてくれる。

いま韓国で大流行のダンスを披露したのは韓国メンバー。今回最多の10名が参加。

若い人が多かったハワイメンバーは、詩の朗読で民族の自決権と、植民地主義の理不尽を訴えた。

アメリカメンバーは、先住民女性の祈りで始まり、開催地沖縄との絆に感謝をささげた。

20年間このネットワーク会議の中心を担ってきた開催地沖縄のメンバー1人ひとりに、アメリカ先住民の祈りが込められた貝のネックレスが贈られた。

ひとり遠くプエルトリコから参加した女性。

会議は、23日慰霊の日は、摩文仁の魂魄の塔まえで開かれる「国際反戦集会に参加。24日は辺野古の座り込みに参加するなどのフィールドワークを含め、各国報告、5つのテーマでの分科会討論、基地問題にかかわる韓国、沖縄、沖縄戦などのフィルム上映会などがある。

2017年6月30日リンクURL