ステキな若者に出会った! ~ 10月12日の辺野古

 このところいくつもの日程・仕事が重なり、睡眠時間3~4時間という超ハードな日々が続き、先週水曜日以来ブログの更新もままならない中、いつもの水曜日を迎えた。

  さすがの沖縄も朝夕は涼しさを感じる季節になった。爽やかな朝焼けを眺めながら、先週末から沖縄を訪れている東京と長野の友人たち(4人)と共に辺野古へ向かう。

 彼女らはそれぞれに性暴力の問題や平和、人権などの活動をしているつわもの揃い。辺野古へも何度も来ているが、コロナ禍で今回は3年ぶりの沖縄となった。(10、11日と宮古島を訪れ、自衛隊ミサイル基地に反対して闘う地元の人たちと交流する機会を得た。その様子はまた改めてお伝えしたい) 

 

 9:00前、一回目の座り込み。コロナ禍も少し落ち着いたためか徐々に参加人数も増えつつある。特に昨日(12日)は、はじめての人、県外から参加の人たちもいて、ゲート前にぎやかな雰囲気が広がった。ひろゆきなる人物の辺野古への悪意の書き込みに「負けじ!」やってきたという人もいる。

 一回目の座り込みの後、東京・長野からの友人たちを案内して浜のテントを訪ねた。ここが辺野古座り込みの原点。コロナ禍の中でも毎日監視活動が続いている。

 ゲート前の座り込みは3020日目だが、その前にここのテントでの6850日の座り込みがあり、さらにその前に8年(2639日)の地元のオジー・オバーたちの抗議小屋での座り込みがあったことを、この掲示板は示している。”ひろゆき”氏は、果たしてこのことを知っているのだろうか? 知っていたら、軽々しく「0にした方がよくない?」なんてい言えないだろう!

 浜のテントからは、かつての”ジュゴンも棲む青い海”が、セメントの塊と化してしまった様子がまじかに見れた。

 全国から寄せられる応援の声も、戦争で金儲けをする日米の巨大国家権力には、いまだ届かない。

 1回目の座り込みで隣に座った若者に声をかけられた。奈良からやってきたという。うみ君と名乗った。まだ学生だがここで座り込んでいる人たちから学びたいと、辺野古にしばらく滞在して、ゲート前に通っていると。

 若者はいう。「ことばとして入って来ても、すぐには呑み込めない。山城博治さんとも話をした。昨日は理解できなかったことが、今日はわかったことがある。ゆっくりと学んで、自分らしく関わりたい」と、柔らかなことばで自分を語った。

 そして、いまの自分の思いを、1枚の紙に記してみんなに配った。それが、またステキだった。

 ”ひろゆき”に気持ちも荒んだが こんな若者もいるんだと、心が洗われる思いがした。

 

 第4ゲートでの抗議行動、工事用ゲートでの2回目の座り込みの後は、水曜日名物の豪華ランチバイキングが待っている。デザートにケーキや果物、ヨーグルトと今日も苦しいくらいの満腹をかかえた。

 3回目の座り込みには、四国からまだ幼い子ども二人を連れた若いカップルが、「沖縄へもはじめてだが、まず辺野古へ」とやってきたのも頼もしく、二つ(二人)の小さな手が前述の若者のように育ってくれたら、うれしい。

 

   メインゲートの真向かいに、季節ごと花を楽しませてくれる酔芙蓉が、今年も満開になった。

 

2022年10月13日リンクURL