辺野古テントに脅迫状 ~ 今日(11月16日)の辺野古

 いつものように8:20分辺野古に到着すると、那覇から同乘の辺野古バスのメンバーの一人が、テント右端のテーブルに一通の封筒を見つけた。
 「重要」と朱書され、「辺野古基地反対運動をしている皆様へ」と書かれたたその封筒の中には、小さな紙片が入っていて「ひと月以内にテントを撤去しなければ、我々が強制的に撤去する」と書かれ、小さなマッチ箱が入っていた。「燃やすぞ!」という意味だろうか?いずれにしても脅迫であることは間違いない。市民側は警察に届け、マスコミにも取材を依頼した。
 それにしても、ひろゆき氏なる人物もそうだが、こういうことにしか自らが生きている意味や情熱を傾けられない人物が多くなっていると感じる。恐ろしく、悲しいことだ。

 9:00前、今日一回目の座り込み。30数人が座り込んだ。


 闘いが長期にわたり、コロナ禍も重なって、抗議行動への参加者が少なくなる中で、いまも辺野古へ通い続けるのは高齢者がほとんど。若いころ学生運動か現職時代に労働組合活動、もしくは市民運動に打ち込んだ経験を持つ人たちが多い。

 Nさんもその一人、辺野古近くの市町村に住んでいることもあり、毎日午前中ゲート前に座り込む。請われてマイクを握り「一坪たりとも渡すまい」を歌った。その人の心を揺さぶるようなステキな歌声は、教師時代の復帰運動や労働組合活動の中で鍛えられたものだ。   

 脅迫状のこともあって、憤りがましたか、今日は機動隊にごぼう抜きされるまで頑張る人が何人もいた。 

 11時前、第四ゲートで座り込み。 

 弾薬庫拡張工事に伴う工事では軟弱地盤に手こずっている様子が伝わってくる。

 

 第四ゲートから戻ると、脅迫状の第一発見者が、メディアの取材を受け、警察による現場検証が行われていた。 

 正午前、2回目のすわりこみ。参加者も増えて40人を超えていた。

 3時前、工事用ゲートで三回目の座り込み。県外からの参加者も徐々に増えてきており、最後まで参加者の人数が減ることはなかった。

 少々荒れ模様の今日の辺野古だったが、第二テントの畑では、お芋の花が気持ちよさそうに咲いていた。

<追記>

 

<11月17日 琉球新報>

 

 

2022年11月17日リンクURL

日米合同演習中止を!軍事より対話を!平和を求める集会

 今日(9日)は、辺野古の後、午後からの日程を済ませ、さらに夕方6時前から県庁前で行われた「平和を求める集会(沖縄平和運動センター主催)」に参加した。(今日は昼にも同じ集会が行われたとのこと)

 今朝辺野古での島袋文子さんの魂からの叫びが、まだ耳に残る。声こそ出さないが、多くの戦争体験者が、文子さんんと同じ思いをしているのではないだろうか、と思いながら、集会での発言を聞いた。 

 

 「基地問題が 一番大きな人権問題だ」

 「命どぅ宝の会」を代表して発言した山城博治さんが、期せずして今朝の島袋文子さんと同じことを言った。「いま、辺野古どころではない。沖縄が戦場になろうとしている!」

 集会のあと、国際通りをデモ行進することになっていたが、雨のためデモは中止となった。

 有事を想定した大規模な日米共同統合演習「キーン・ソード23」は、いよいよ明日(10日)から始まる。(期間は19日まで)。陸上自衛隊の16式機動戦闘車(MCV)の空輸に県内では初めて与那国など民間空港を使用するほか、自衛隊と米軍の連絡調整所設置などを予定している。

 

 

2022年11月10日リンクURL

文子さんの叫び 「 再び血の雨が降るのか!」 ~ 今日(10月9日)の辺野古

  連日の抗議行動で少々疲れ気味の朝。天気予報は午後から雨となっていたが、気持ちいい朝日の中を午前7時県庁前を出発。 

 8:15辺野古へ着くと、文字の色も鮮やかによみがえった河野真貴子さんの歌が出迎えてくれた。

「香を放つ月桃の葉の茂りゆき 辺野古をおほふ邪はらへ」作者の河野さんは、県外からご夫妻でよく辺野古へ来られていたが、病で亡くなられた。その自筆の歌を、例の看板のつくり手でもある金城武政さんが、板に彫りこんだもの。いつもテントの横で、座り込みにやってくる人々に語り掛ける。(傍らの緑は月桃)

 最近、色あせて読みづらくなっているのが気になっていたが、看板同様金城さんが書き直してくださったのだ。命を吹き返した文字が、改めて胸に迫った。

 今日も朝いちばんから参加の島袋文子さんが、自ら求めてマイクを握った。

 「今朝、新聞を読んで胸が締め付けられて……苦しかった。米軍と自衛隊が一緒になって演習をするという。沖縄戦の地獄がよみがえった。この沖縄で、また再び血の雨が降るのか!と。みなさん!戦争がはじまります。辺野古どころではありません。私たちはどのようにして、子や孫たちの命を守るか、考えなければなりません。警備の方たちも、機動隊の皆さんんも、ここでこんなことをしていていいのか、いまの沖縄の状況は77年前のイクサが始まったときと同じです。どうやってあなたの子や孫の命を守りますか?」。昨日の自衛隊沖縄上陸のことである。文子さんの声は震えていた。

  

 文子さんの魂の叫びに、そっぽを向けるようにして機動隊が人々を強制排除、見渡す限り続くダンプの列が、基地の中へ入っていった。 

 一回目の座り込みが終わりメインゲートの前まで来ると、キャンプ・シュワブに入ろうとする自衛隊の車に抗議、止めている人たちがいた。

 基地の中にはすでに数人の自衛隊員がいて、米兵と共に行動している。 

 メインゲートには、抗議する人々を排除する機動隊はいない。10分ほどの立ち往生していたが、自衛隊車両はあきらめて去って行った。

 11:00は第4ゲートで座り込み。ここから見える大浦湾は、いつにも増して多くの作業船が稼働していた。

 

 40人余が座り込んだ12:00前の二度目の座り込み。コロナ禍が落ち着き県外からの参加も多くなっている。

 私はこの後、午後から別日程があり、みんなより一足先に辺野古を後にした。その帰途の伊芸サービスエリアで自衛達に遭遇。

 そのうち、わが物顔で国際通りを、制服姿の自衛隊が闊歩するのではないかと恐怖を覚えた。

 

 

2022年11月9日リンクURL