昨日はベトナムの側から見た支給式の様子を紹介しました。 今日は、いくつかのエピソードを交え、私の個人的な視点で支給式の様子をお伝えします。
11月22日の午前中に那覇を出発、成田、ハノイを経由してダナン空港に着いたのは、日付が変わって翌23日の午前9時すぎ。
ダナンはかつてアレンさんが、海兵隊員としてベトナムに上陸した、まさにその地です。 アレンさんのベトナム戦争がここから始まったのだと思うと、一瞬緊張しないではいられませんでした。
ベトナム中部の最大都市・ダナンの空港は最近新設されたばかりということで、大きくて近代的な建物。枯葉剤で焼け野が原と化した戦争の爪痕などは、もちろん残されていません。
支給式は、クアンナム省のタムキー市とクエソン郡の2ヵ所で行われました。
クアンナム省はベトナムの中部に位置し、ベトナム戦争中にアレンさんが駐留した地域。枯葉剤の被害が最もひどかったところだとも聞きました。
タムキー市の支給式は、11月24日(日)朝8:30から約1時間、小学生62人と保護者、タムキー市の関係者と私たちが出席して開かれました。地元テレビ局のカメラも来ていました。
開会前に、ベトナム語に訳したアレンさんのことを書いた冊子と、沖縄のお菓子(ちんすこう)を子どもたち一人ひとりにプレゼントしました。
タムキー市奨学会が主催し、まず、私たちがアレンさんが経験したベトナム戦争の記憶と、平和の願いを沖縄の私たちがしっかり受け継いでいるという思いを込め、沖縄の歌・「継いでゆくもの」を歌い、支給式は始まりました。
関係者のあいさつなどのセレモニーに続いて、奨学金を受ける子どもたちの名前が呼ばれ、20人ずつが舞台に並んで、一人ひとりに沖縄のメンバーが奨学金を手渡すという形で進められました。
奨学生代表の女の子(小4)は「お金の面だけではなく、私たちががんばっていることを認めてくれるのがうれしい。これからまたがんばりたい。」とあいさつし、「その気持ちでお礼の歌を歌いたい」と、透きとおった歌声を響かせてくれました。
支給式が終わった後、タムキー市奨学会のスアン会長、トゥン副会長と意見交換の場をもちました。その席で、沖縄側から率直な質問が出されました。「かつての敵である米兵の名のついた奨学金が、ベトナムの皆さんにどう受け止められているのか、迷惑ではないのかとても気になっていたので、ぜひ直接お話をする機会を持ちたかった」と。
トゥン副会長は、「ベトナム戦争のとき、私はまだ子どもだったが、当時は敵だったアレン・ネルソンさんの奨学金に関わるようになり、少し複雑な気持ちだが、恨みや憎しみはない。あのときはそういう時代だった。今は時代が変わったと思う」と話してくれました。
複雑な思いはあっても、アレンさんの深い謝罪の気持ちを受け取ったうえで、アレン・ネルソン奨学金にかかわってくださっているとわかり、私たちも安堵した瞬間でした。
そしてさらに感動したのは、アレンさんがピースボートでダナンを訪れ、大勢のベトナムの人たちに向って謝罪をしたとき、スアン会長はその場に居合わせ、直接話を聞いて、とても感動したというのです。 余りの偶然(必然?)に胸が震えました。
午後には、山間部のクエソン郡の支給式に参加しました。14時前から約1時間、小学生50人と保護者、クエソン郡の関係者、私たちが出席しました。午前中と同じ流れで支給式が行われ、 私たちが歌ったときに、手をたたいたり、手ぶり(手話)をまねしてくれたりと、こちらも温かい雰囲気で式が進行しました。
始球式が終わって会場の外へ出たとき、一組の親子が私たちへ向かって手を合わせ、深々と何度も何度もお辞儀をしているのに気が付き、私は思わず駆け寄りました。
言葉は通じませんが「ありがとう」と言っていることはわかりました。お互いに手を取り合い、「いっぱいお勉強して、いっぱい遊んで、親孝行もしてね」と私は声を掛けました。
支給式が終わった後、急きょ奨学生の一人の自宅を訪問することになりました。夫を亡くし、4人の子どもを育てているお母さんとその子供たちの話を身近に聞くことができました。つつましいながら家の中はとても清潔に整い、仲の良い家族関係がしのばれました。
奨学金は日本円にすると決して大きな金額ではありません。しかし、ベトナムの平均収入のおよそ一か月分に相当するのだそうです。
貧しい家庭にあっては、旧正月前に支給される(今回は特別に私たちの日程に合わせて、11月に支給された)この奨学金が子供たちのお正月の晴れ着や、新学期の学用品の購入に役立っているということでした。
ベトナムの子供たちと直接ふれあったことで、アレンさんが戦場で出産に立ち会ったあの母子はその後どうなったのだろう、もしかして母子家庭になったのではないか…と想像したメンバーや、アレンさんも貧しい母子家庭で育ち、お腹いっぱい食べられる軍隊に入隊したと話していた…などメンバーもそれぞれに改めてアレンさんとの接点を思い起こしたようです。
この日は、ドンズー日本語学校ダナン校の先生、職員のみなさまに、送迎から通訳、各奨学会との連絡まで、大変お世話になりました。皆さん!本当にありがとうございました!