UFO? 那覇の夜空に謎の光

 目撃者複数  UFO?

23日午後9時ごろ、那覇市上空で約10個のオレンジ色の光が漂っていたという、
複数の目撃情報が本紙に寄せられた。専門家は「天文現象とは考えられない」と
話している。目撃者によると、那覇市通堂町の那覇港上空付近に複数の光が現れ、
上下左右に移動を繰り返し、約15分後、全て消えたという。

石垣島天文台の宮地竹史所長は、動画で確認し「隕石(いんせき)が大気中に入り
燃えながら落ちるときは地上から光が見えることがあるが、その場合は、ものすごい
速さで飛ぶ。今回のように長時間ほぼ同じ場所に光がとどまるのは、天文現象では
ないと思う」と話した。

浦添市西原から目撃した新垣覚さん(45)は「とても明るい光で、びっくりした。
曲線を描きながら動いていたので、飛行機ではないと思う」。那覇市識名から目撃し
た竹尾慎太郎君(12)は「10個ぐらいの光が動いて、集まったり消えたりしていた」
と話した。

航空自衛隊によると、謎の光についての報告や目撃情報はない。同日は午後7時
20分までにすべての訓練を終え「その時間に自衛隊機は飛んでいない」という。(

(沖縄タイムス記事より)

この不思議な光は、最後に県庁上空に移動し、それから静かに消えていったという。県民を裏切り、公約を反故にして辺野古埋め立てを承認した仲井間知事に、何か言いたいことでもあったのではないだろうか!

2014年1月28日リンクURL

ベトナムの旅 ⑥ あ・ら・か・る・と~これは何でしょう?

ハノイの朝6時です。

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昨夜遅く!というか、今日(11月23日)午前1時過ぎにハノイの空港に着陸。
ホテルに入ったのはもう午前2時は回っていたけれど、頑張って6時に起床。
眠い目をこすりながら、薄暗い中を散策にでかけました。
だって、少しでも早くベトナムに来た実感を味わいたいんだもんね。

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私たちも早起きしたつもりだったけれど、ベトナムの人たちはもっとずっと早起き。               家々はまだ戸を閉ざしていたけれど、道端に朝市が立ち、買い物をする人たちでとても賑やか。

ん!何でしょう!

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朝市の露店に交じってひときわ華やかなテントのようなものが!

 

 

 

 

 

 

近づくと、中はこんな感じです。

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後でわかったんですけど、この日<結婚式のある家>なんですって!                    言われれば、確かに新郎新婦の写真があります。

ベトナムの結婚披露宴は、レストランとか式場に集まってお祝いをするのではなくて
お家の前に、このようなテントを張出し、祝い客は、一日中いつでも好きな時間に三々五々行ってごちそうを食べ、お食事代に相当するお祝い金を置いて帰るのだそうです。

写真では写っていませんが、30分ほどしてもう一度この前を通ると
二人の女性が普段着でお食事をしていました。
”ところ変われば、品変わる”ですね。

2014年1月24日リンクURL

ベトナムの旅 ⑤~奨学金支給式に立ち会う ㊦

昨日はベトナムの側から見た支給式の様子を紹介しました。                                                                      今日は、いくつかのエピソードを交え、私の個人的な視点で支給式の様子をお伝えします。

11月22日の午前中に那覇を出発、成田、ハノイを経由してダナン空港に着いたのは、日付が変わって翌23日の午前9時すぎ。

DVC00038.JPGダナンはかつてアレンさんが、海兵隊員としてベトナムに上陸した、まさにその地です。                                                  アレンさんのベトナム戦争がここから始まったのだと思うと、一瞬緊張しないではいられませんでした。

ベトナム中部の最大都市・ダナンの空港は最近新設されたばかりということで、大きくて近代的な建物。枯葉剤で焼け野が原と化した戦争の爪痕などは、もちろん残されていません。

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支給式は、クアンナム省のタムキー市とクエソン郡の2ヵ所で行われました。
クアンナム省はベトナムの中部に位置し、ベトナム戦争中にアレンさんが駐留した地域。枯葉剤の被害が最もひどかったところだとも聞きました。

タムキー市の支給式は、11月24日(日)朝8:30から約1時間、小学生62人と保護者、タムキー市の関係者と私たちが出席して開かれました。地元テレビ局のカメラも来ていました。
開会前に、ベトナム語に訳したアレンさんのことを書いた冊子と、沖縄のお菓子(ちんすこう)を子どもたち一人ひとりにプレゼントしました。

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タムキー市奨学会が主催し、まず、私たちがアレンさんが経験したベトナム戦争の記憶と、平和の願いを沖縄の私たちがしっかり受け継いでいるという思いを込め、沖縄の歌・「継いでゆくもの」を歌い、支給式は始まりました。

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関係者のあいさつなどのセレモニーに続いて、奨学金を受ける子どもたちの名前が呼ばれ、20人ずつが舞台に並んで、一人ひとりに沖縄のメンバーが奨学金を手渡すという形で進められました。

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奨学生代表の女の子(小4)は「お金の面だけではなく、私たちががんばっていることを認めてくれるのがうれしい。これからまたがんばりたい。」とあいさつし、「その気持ちでお礼の歌を歌いたい」と、透きとおった歌声を響かせてくれました。

支給式が終わった後、タムキー市奨学会のスアン会長トゥン副会長と意見交換の場をもちました。その席で、沖縄側から率直な質問が出されました。「かつての敵である米兵の名のついた奨学金が、ベトナムの皆さんにどう受け止められているのか、迷惑ではないのかとても気になっていたので、ぜひ直接お話をする機会を持ちたかった」と。

トゥン副会長は、「ベトナム戦争のとき、私はまだ子どもだったが、当時は敵だったアレン・ネルソンさんの奨学金に関わるようになり、少し複雑な気持ちだが、恨みや憎しみはない。あのときはそういう時代だった。今は時代が変わったと思う」と話してくれました。

複雑な思いはあっても、アレンさんの深い謝罪の気持ちを受け取ったうえで、アレン・ネルソン奨学金にかかわってくださっているとわかり、私たちも安堵した瞬間でした。

そしてさらに感動したのは、アレンさんがピースボートでダナンを訪れ、大勢のベトナムの人たちに向って謝罪をしたとき、スアン会長はその場に居合わせ、直接話を聞いて、とても感動したというのです。 余りの偶然(必然?)に胸が震えました。

午後には、山間部のクエソン郡の支給式に参加しました。14時前から約1時間、小学生50人と保護者、クエソン郡の関係者、私たちが出席しました。午前中と同じ流れで支給式が行われ、 私たちが歌ったときに、手をたたいたり、手ぶり(手話)をまねしてくれたりと、こちらも温かい雰囲気で式が進行しました。

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始球式が終わって会場の外へ出たとき、一組の親子が私たちへ向かって手を合わせ、深々と何度も何度もお辞儀をしているのに気が付き、私は思わず駆け寄りました。

言葉は通じませんが「ありがとう」と言っていることはわかりました。お互いに手を取り合い、「いっぱいお勉強して、いっぱい遊んで、親孝行もしてね」と私は声を掛けました。

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支給式が終わった後、急きょ奨学生の一人の自宅を訪問することになりました。夫を亡くし、4人の子どもを育てているお母さんとその子供たちの話を身近に聞くことができました。つつましいながら家の中はとても清潔に整い、仲の良い家族関係がしのばれました。

奨学金は日本円にすると決して大きな金額ではありません。しかし、ベトナムの平均収入のおよそ一か月分に相当するのだそうです。

貧しい家庭にあっては、旧正月前に支給される(今回は特別に私たちの日程に合わせて、11月に支給された)この奨学金が子供たちのお正月の晴れ着や、新学期の学用品の購入に役立っているということでした。

ベトナムの子供たちと直接ふれあったことで、アレンさんが戦場で出産に立ち会ったあの母子はその後どうなったのだろう、もしかして母子家庭になったのではないか…と想像したメンバーや、アレンさんも貧しい母子家庭で育ち、お腹いっぱい食べられる軍隊に入隊したと話していた…などメンバーもそれぞれに改めてアレンさんとの接点を思い起こしたようです。

この日は、ドンズー日本語学校ダナン校の先生、職員のみなさまに、送迎から通訳、各奨学会との連絡まで、大変お世話になりました。皆さん!本当にありがとうございました!

 

2014年1月22日リンクURL