那覇 子ども大綱挽まつり(第一回)

6日の日曜日、那覇市西町の一角で、那覇 子ども大綱挽まつりが行われました。

那覇大綱挽の発祥の地である那覇4町(西町、東町、若狭、泉崎)の活性化を図るために行われたもので、これら那覇4町は沖縄戦10・10空襲で壊滅する以前の旧那覇の中心地だったところです。

子どもたちの笑顔は、それだけで街が明るくなる

<子どもたちの笑顔は、それだけで街が明るくなる>

子ども大綱は、那覇大綱挽のミニ版とはいえ、伝統的な仕様で作られ、長さ36メートルの本格的な大綱です。雌綱と雄綱が一本のカヌチ棒で結ばれ一本の大綱になります。

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本部には、那覇大綱挽保存会の比嘉会長、城間那覇市長も臨席。4町の小中学生、こどもたち、そして多くの地域の人たちが集まりました。

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まつりはまず那覇大綱挽で使われる本物の旗頭が登場!勇壮なガーエー(競い合い)から始まりました。旗頭は重さが60キロもあり、さすがに子どもたちには無理なので、お兄さんたちが担当したようです。ムムヌチハンター(衣装)も勇ましく、かっこいいですね。

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地域の子どもたちが、このカッコいいお兄さんたちに憧れることで、きっと将来那覇大綱挽の立派な継承者に育っていくのではないでしょうか!

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半鐘の合図で200人の子どもたちが東西に分かれて、一生懸命大綱を挽きました。一回目は子ども数が多かった西に軍配が上がりました。

二回目は、見かねた城間市長が東側に加勢したこともあって東側が勝利。

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三回目は、また西側が勝って、第一回那覇子ども大綱挽は二勝一敗で西の勝利となりました。

西が勝てば大漁、東が勝てば豊作という、どちらが勝ってもめでたし!めでたし!の沖縄の綱引きです。

勝ってカチャーシーを踊る子供たち。

勝ってカチャーシーを踊る子供たち

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それにしても、城間那覇市長のこの笑顔、子どもまつりらしくてステキ。さすが元教師、そして女性市長ならではだと思います。

2016年3月8日リンクURL

さんしんの日(3月4日)の辺野古

昨年の「さんしんの日」のことが思い起こされる。

あいにくの雨模様に、演奏者の貴重な三線や琴など楽器類が濡れないようにと
急きょ、ブルーシートのにわかテントが張られた。

古典音楽の演奏が始まった直後に「歩道上のテントは違法建造物だ」と
十数人の機動隊が押し掛け、テントの骨組みごと持ち上げて、
エッチラ オッチラと移動、撤去した。

しかし、その間 演奏者たちは一人として動揺することなく「かじゃで風節」を弾き続けた。
暴力に屈することなく、厳かに、朗々とゲート前に響き渡る歌・三味線の音色。
その様子に鳥肌が立つほど感動した。

うちなーんちゅ(沖縄人)の心があるなら、きっとテントを取り払った機動隊員の方が
恥ずかしかったに違いない。

昨年の「さんしんの日」の辺野古

<昨年の「さんしんの日」の辺野古>

そして迎えた今年のさんしんの日
演奏者50名、舞は、参加者のほとんどが踊り手となった。
扇のない人は「新基地反対」のプラカードを扇代わりに踊ったのだ。
沖縄版 歓喜の歌・かじゃで風を。

総勢50名の演奏者~今年のさんしんの日

<総勢50名の演奏者~今年のさんしんの日>

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はたして、さんしんに合わせて踊っている最中に機動隊が押し掛けてきた。
無粋にも、踊り手を強引に抱え上げ、連れ去る警視庁機動隊。

「機動隊に囲まれながら、毅然と踊る姿に涙が止まらなかった」と、
いつにもましてゲート前の人々の心に抵抗の炎を燃え上がらせた。

さんしんごとごぼう抜き、機動隊の檻に!

<さんしんごとごぼう抜き、機動隊の檻に!>

ゴボウ抜きされ、檻に閉じ込められてもなお歌い踊る

<ゴボウ抜きされ、機動隊の檻に閉じ込められても、人々はなお歌い踊りつづける>

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沖縄の人々は、権力への抵抗を歌や踊りに秘めて表現してきた歴史・文化がある。
その土地の文化、人心を知らずして、ただやみくもに力づくで押さえつけるだけでは
ますます抵抗を生むだけだということを、おぼっちやま安倍政権は知らないようだ。

そこに飛び込んできた「安倍総理、和解案を受け入れ表明」のニュース。
新基地建設断念ではない。あくまで工事を中止して話し合うというだけだ。

何を企んでいるのだ日本政府!!沖縄はもうだまされないぞ!

2016年3月4日リンクURL

代執行裁判~安倍総理が和解案を受け入れ表明

翁長知事の「承認取り消し」を巡って、国が提訴した代執行裁判は
去る29日に結審し、4月に判決が出る見通しとなっているが、
阿部総理は、裁判所が提起した和解案のうち「工事を中止して、再度協議する」とする暫定和解案を受け入れると表明。
ただし「普天間の移設先は辺野古が唯一という考えに変わりはない」と断言している。

新基地建設を断念したわけではなく、あくまで工事を中止して話し合いをする」というだけのことなので、決して手放しで喜べる状況ではない。が、一応、安倍政権をここまで追い込んだのは
県民の「不屈の抵抗運動」の成果であることは間違いない。

伊勢サミットを真近に控え、辺野古の状況を世界の首脳やメディアに晒すことを憂慮しただけかもしれないし、この裏には何か謀略があるかもしれないと疑ったほうがいいと考える。

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今日も多くの県民が詰めかけたゲート前

<今日も多くの県民が詰めかけたゲート前>

2016年3月4日リンクURL