もう我慢の限界を超えた ~ 辺野古住民訴訟 第4回口頭弁論

 昨日26日(木)、辺野古住民訴訟の第4回口頭弁論が、那覇地裁で開かれた。裁判を前に事前集会と、終了後に報告集会がそれぞれ行われた。

この裁判は、辺野古周辺住民らが原告となり、昨年8月の沖縄県が行った埋立承認撤回を、「国が行政不服審査法を濫用して取り消したことは違法」だとして訴えたもの。

 第4回口頭弁論となるこの日は、原告である住民側の意見陳述がおこなわれ、キャンプシュワブを目の当たりにする瀬嵩集落に生まれ育った22歳の若者が意見陳述を行った。

 若者は、赤ん坊の時から今日まで、日常いかに基地の騒音と墜落の恐怖に苦しめられてきたかを語り、さらに「私が今回の裁判に関わることにしたのは,私が現在通っている琉球大学のある宜野湾市は,その中央に普天間基地があり,私が下宿しているアパートや琉球大学の上を低空飛行でヘリや戦闘機が毎日何度も飛行します。

 その度に聞こえる爆音に『本当に落ちるのではないか』と身構えてしまいます。この日常が,辺野古に新基地が出来ることによって瀬嵩にいる家族だけでなく,名護にいる友人や知人にもたらされると考えるととても不安でなりません。

 辺野古に新基地ができれば,今まで以上にヘリコプターや飛行機の騒音に悩まされ,私たち家族が落ち着くこともままならなくなります(配布資料より)と訴え、「私たちの民意を無視し続ける国の姿勢に、もう我慢の限界を超えている」と意見陳述を締めくくった。若者の力強い意見陳述に傍聴席から拍手が沸いた、という。(傍聴者談)

 被告の国は「住民に原告適格がない」と主張、本論に入らずに原告請求を却下するよう求めたが、裁判長は「中間判決をするつもりはありません」と明言、国に、他の問題についてもきちんと答弁するよう求めている。

次回は12月に開かれる。

 

2019年9月27日リンクURL

 子どもたちの未来に基地はいらない! ~ 今日(9月25日)の辺野古

 25日(水)、7:00那覇発の早朝バスで辺野古へ向かう。

 天気予報には雨マークはなかったが、途中チラつき始めた雨に、辺野古専用のリュックから、わざわざ雨具と取り出しておいて来てしまった私は「雨がひどくなったらどうしよう!」と少し心配になった。

 幸い雨はすぐに収まり、暑くもなく寒くもなく、絶好の座り込み日和になりそう。

 県民による辺野古ゲート前の新基地建設を認めない非暴力の抵抗は、この日1907日目を迎え、この7月1日から6年目に突入した。

 9時少し前、一回目の搬入に備えておよそ30人が座り込んだ

 いつもの抵抗の歌を唄う間もなく、上(北)の方からミキサー車が、下(南)の方からは空のダンプカーが列をなしてやってくると、彼らを基地の中に誘導するために、機動隊が私たちを強制排除(ごぼう抜き)しに、これまた列をなしてやってきた。

 

 10時過ぎ、2回目の搬入までは、メインゲート前のテント下に戻って休息をしながら集会を続ける。

 

 

 

 

 

 

 

 

     

 土木技師で、ドローンプロジェクトの奥間さんが、これまで辺野古新基地建設の数々のまやかしを暴いてきたドローンの活躍をアピール。このほどドローンで撮影した動画や写真のDVD(上映権付1万円)が完成、「学習会などで活用してほしい」と紹介した。

 カナダから来たというこの若者は父が沖縄出身、カナダ人の母との間に生まれた。「父の故郷・沖縄が大好き。こんな美しい海を壊して軍事基地を造るなんて、信じられない」と嘆いた。

 12:00、2回目の搬入には65名が座り込む。埋め立て現場での台風の事後処理がまだ終わらないため、安和や塩川からの土砂搬出ができず、抗議行動も中止になったことから、この日は安和や塩川に行く予定の人たちが辺野古に合流してにぎやかになった。 

 この日は10台ほどの自家用車がゴーゴードライブ(ノロノロ運転をすることで、信号機のない工事用ゲートからダンプが道路に出てくるのを遅らせる作戦)をしていたが、参加車両を強引に停め、免許証提示、職務尋問でいじめる警察。

 結局、今日(25日)も9時、12時、午後3時の三回にわたって合計200台近くのミキサー車や作業ダンプが入った。(それでもいつもより少なめ)

 

2019年9月26日リンクURL

みんなで力を合わせて台風対策 ~ 今日(9月20日)の辺野古

 またまた台風である。
 金曜日、平和市民連絡会は「安和」桟橋の担当であるが、高波により既に一昨日から土砂を運ぶ船が避難体制に入っており、今日はトラックによる桟橋への土砂搬入の動きもないとのことで、急遽辺野古ゲート前へ行く先が変更になった。

 今朝は、7:00のバスは運休、9:00発のバスで辺野古へ向かう。

 <辺野古のゲート前座り込みは1900日を超えた>

 10過ぎ辺野古へ着くと、今日一回目の資材搬入はいつもの通り9時に資材や小岩などを積載した3ダンプ30台ほどが入ったという。

 しかし、2回目以降の搬入はないとの通告があり県警の車両も帰ったので、テントの屋根のカバーをはずすなどの台風対策が始まっていた。

 みんなで力を合わせて、屋根カバーをたくし上げ、風で飛ばされないよう支柱に縛り着ける。

 イスや机も一か所にまとめてバーをかけ、横のモクマオウの大木に括りつける。

 張り子のジュゴンちゃんも、飛ばされないようしっかりと縄で固定された。

 すっかり丸裸にされて骨組みだけになってしまった座り込みテント。なんだか物悲しい。

 一通りの台風対策を終え、11時過ぎバスは辺野古を離れたが、辺野古へ着いてまだ1時間しかたっていない。今朝のバスには県外からの若者が1人乗っていたので、彼のためにも先日「米軍に民間港を使わせない」として、市民と労働組合がスクラムを組み米軍車両を追い返した本部港に行くことに。

まるで見ていたかのように、私たちがバスに乗り込んで走り出した途端、雨が降りはじめた。

 20分ほどで本部港に到着。その日、港の入り口では市民らが、構内では港湾労組の仲間たちがスクラムを組んで座り込み、数時間の攻防戦の末、米軍車両(三台)を追い返した。県警も手出しできなかったと、当日参加していた人から臨場感あふれる報告があって、バスの中で拍手が起こった。 

 時折り突風や激しい雨に見舞われ、刻々近づいているであろう台風の気配を感じる。が、不思議なことに私たちがバスを降りる場所では雨が上がる。乗り込むと降り出す。実にありがたい。

 帰途、安和桟橋や塩川港にも立ち寄り、途中許田の道の駅で昼食のため30分ほど休息をとった後、午後2時過ぎ那覇に戻った。

2019年9月20日リンクURL