ぼく(わたし)はジュゴン ~ 知れば納得、解れば行動する

< 表>

 辺野古バスの中で配られたチラシです。配った方の友人から送られてきたそうです。

 この「ジュゴン新聞」をつくった方は、神奈川県で小学校の教師をしていらっしやるとのこと。地域のお祭りがあり、「あなたは沖縄へよく行っているようだから、皆さんに辺野古のお話をして」と、思いがけず声をかけられ、戸惑いながらも大勢の地域の人たちの前で、「沖縄の人たちが新しい米軍基地に反対して頑張っている」ことを話したのだそうです。埋められようとしているその海は「ジュゴン」も美しい「サンゴ」も「海亀」も住んでいる「命の海」だということも。

 すると意外にも多くの人たちから「沖縄でこんなことが起こっているとは知らなかった」「辺野古のことをもっと知りたい」と好意的な反響があり、「知らないから無関心だったのだ」と気が付いたそうです。

 そこで、思いついたのが「ジュゴン新聞」。子どもたちに、日本で沖縄の海にしかいないジュゴンを通して、平和と環境の大切さを伝えたのです。

< 裏>

 子どもたちは、とても関心を持ち素直な気持ちでたくさん質問をしてきました。そして、このチラシをもって家に帰り、親やきようだい・家族に、目を輝かせて「ジュゴン」の話をしました。

 今では「ジュゴン」でつながった絆が広がり、地域の有志たちで「沖縄に、もう米軍基地はいらない」と、駅前でスタンディングをするまでになっているという「うれしいお話」です。

 

 

 

2020年12月28日リンクURL

完成不可能な工事はやめよ! ~ 12月25日の安和

 25日は、早朝7:00発のバスで安和に向かった。コロナ騒動が始まってから安和には行けていない私にとっては、7カ月ぶりの安和である。

 8:30に安和到着。すでに運搬船への土砂積み込み作業が始まっている。

 この日は波が高く、カヌーや抗議船の海上行動はなかったが、十数隻の監視船が、ただ波間に浮かんでいた。何たる税金の無駄遣い。 

 

 

 

 

 

 ダンプの出入口では、本部島ぐるみの人たちが、早朝から寒い中を監視活動を開始していた。

 入り口では、赤土を満載したダンプが長蛇の列。早速抗議行動に入る。

 抗議行動!と言っても、入ってくるダンプに対して、信号に従ってゲート前をゆっくり歩くだけだ。ただひたすら歩き続けるだけで、信号が変わるたびに港の中には一台しか入れない。順法闘争である。

 辺野古のゲート前のように一日3回の搬入で合間に休憩時間があるのとは大違い。幅10メートルほどのゲートの前をぐるぐる歩くだけとはいえ、結構疲れる。(夕方帰宅して万歩計を見ると、12,201歩をカウントしていた)。

 それぞれ各自の判断で適宜水分補給と10分ほどの休息をとる。午前中に1度だけ、那覇からの2台めのバスが到着したところで交代して、早朝組はバスで本部港のターミナルでトイレ休憩を行うことになった。

 

 

 

 

 

 本部港へ向かう途中、山肌を無残に削り取られた琉球セメント安和鉱山の姿が目に入ってくる。

 

 

 

 

 

 

 本来セメン製品の積出しかできないはずの安和桟橋を、目的外使用で違法に辺野古埋め立ての赤土を積出している琉球セメントに怒りを感じる。

 辺野古新基地建設は、絵にかいたような利権の塊である。琉球セメントのバックに隠れているのがこれらの大和企業。宇部=安倍、三菱=麻生。(2020年、琉球セメントの親会社である宇部興産と、麻生グループの三菱マテリアルのセメント事業が統合してできた新会社。正式には21年4月発足のようだが、沖縄ではすでに稼働しているのか?)

 

 

 

 

 その対極にあるのが自然の中で無心に咲く野の花々。

 そして、この青い海。宝の海・生命の森を、これ以上穢させてはならない。

 まだ、ダンプの土砂搬入は続いていたが、帰途1時間半以上かかる那覇からの参加者は、15:30安和を後にした。 

 辺野古の抗議行動、全体的には28日まで行われるが、平和市民連絡会の担当日(水・金)は、この日で今年の締めくくり。朝から一緒に参加していた山城博治さんの提案で、打ち上げの写真を撮りました。今年も一年間、お疲れ様でした。

 

 

 

2020年12月26日リンクURL

私からフェンスがなくなる日 ~ 辺野古テントの掲示板から

 フェンスとは、もちろん米軍基地を囲むフェンスである。沖縄中いたるところに張り巡らされているフェンスが全部なくなったら!と想像したことがあるだろうか?

 「自分が生きている間にはありえない」と、勝手に思い込んでいるから、「想像さえしなかった」というのが大方のうちなぁんちゅ(沖縄人)ではないだろうか!言われてみてはじめて思う。どんなに清々、すっきりするだろうか!と。それをアート(写真)で実現させた人たちがいる。

 その写真展のことを、沖縄タイムスの阿部岳記者が紹介した記事と、写真の一部が、辺野古ゲート前テントの掲示板に掲げられている。

 ちょっとわかりにくいが、大いに想像力を働かせて、あなたの中にある心のフェンスと一緒に、普天間基地の、嘉手納基地の、キャンプ・キンザーの、キャンプ・プシュワブ(辺野古基地)のフェンスを、消しゴムで消してみてみよう!

 

 阿部記者の紹介記事が、さらにあなたの想像力をかきき立ててくれるはず。

 この掲示板を見て思い出したことがある。1996年のSACO合意で、普天間基地の返還がいわれたとき、「還ってくる普天間基地を街にするのではなく、自然豊かな森に戻そう」という運動に関わったことがある。フェンスがなくなることに胸をワクワクさせて活動した。環境都市、自然豊かな北欧のスエーデン、ドイツまで仲間たちとともに学びにも行った。25年も前のことである。

 あの瑞々しい感性を、いつの間にか干乾びさせてしまった自分を反省する。

 まずは、自分の中のフェンスを取り除くことから始めたい。新しい年に向けて新たなユメを描こう。きっと辺野古で座り込む原動力となることだろう。

 

 

2020年12月24日リンクURL