核廃絶を訴えて35年間ホワイトハウス前に座り込むピチョットさん亡くなる

アメリカ在住の友人から、沖縄の女性たちに寂しい知らせが届いた。

核兵器廃絶を訴えて、雨の日も、風の日も、雪の日も、嵐の日も、
24時間、35年間ホワイトハウス前に座り込みを続けてきたコンセプシオン・ピショットさんが亡くなったという。

ビショットさんの訃報を伝えるロスアンゼルスタイムスの記事

<ビショットさんの訃報を伝えるロスアンゼルスタイムスの記事>

ピショットさんとの出会いは、
1996年、いまから20年前のちょうど2月、
沖縄の女性たち13人が、ピースキャラバンでアメリカを訪れたとき
「ホワイトハウスの前で、広島・長崎の写真を示しながら、核廃絶を訴えている女性がいる」と聞いて、会いに行ったのが最初だった。

2月のワシントンは一面雪だった。

そのときすでに16年間も座り込み続けているというピショットさん。
「夜、横になると道路交通法違反で、警察に連れていかれてしまうので、
座ったまま眠るの!」と、小柄揃いの沖縄の女性たちとあまり変わらない小柄な身体に満面の笑みで語った。

スペイン出身のピショットさんは、スペイン領事館や国連などで働いている中で核兵器の恐ろしさを知り、家も財産も売り払って、一人核廃絶の運動を始めたという。

「私が世界中を回って一人ひとりに核廃絶を訴えるには物理的にも経済的にも限界がある。ホワイトハウス前にいれば、観光や社会見学の子どもたちなど、アメリカ中、世界中の人々が、向こうのほうからやってきてくれる」と。

夜にはマイナス20度にもなるという極寒の中で、16年間・24時間座り込んで核の恐ろしさを訴え続ける彼女の行動に、私たちは感動した。沖縄メンバーの一人が、「失礼かもしれませんが、もらってくださいませんか?」と自分のショールを差し上げた。

ホテルに帰った私たちはみんなで話し合い、少しのカンパと持っていたホッカイロをかき集めて、、翌日もう一度彼女に会いに行った。便利なホッカイロに驚きながら「暖かいショールをもらったので、これであと10年は頑張れる」と、喜んでくれた。

カンパは、日本語、韓国語、中国語など世界の言語で印刷されたチラシをコピーするために使われるという。

私たちが遠く沖縄から米国へ来た目的を
「3人の米兵に12歳の少女がレイプされた。米軍基地があるゆえに、沖縄ではそういうことが長い間たくさん起こっているということを、アメリカ国民に訴え るためにやってきた」と伝えたら、涙ぐみながら、私たち一人ひとりを優しく抱き占めてくれたことが、昨日のことのように思い出される。

私がピショットさんと会えたのはその時だけだったが
沖縄の女性たちは訪米の機会があるごとにホワイトハウス前に出かけ、彼女と交流を深めてきた。
昨年11月にも、仲間の一人が元気なピショットさんに会ってきたばかりだったので、突然の訃報にショックを受けている。

ビショットさんが座り込みを始めてから35年間に、ホワイトハウスの主は、核廃絶を唱えたオバマ大統領まで5人も入れ替わったという。「いつかきっと大統領が私の訴えに耳を傾けてくれるだろう」とのピショットさんの願いは、ついにかなわなかった。

主のいなくなったホワイトハウス前のテント(ニューヨークタイムスより)

主のいなくなったホワイトハウス前のテント(ニューヨークタイムスより)

黒人初の大統領として期待しすぎだったかもしれないが、すぐ目の前で、35年間も命がけで核廃絶を訴える一人の女性に声をかける包容力さえも、オバマさんにはなかったのだろうか?

ピショットさん!長い間本当にご苦労様でした。どうぞ安らかにお休みください。
そして天国から世界平和を願って活動する人々を、見守ってください。

2016年2月10日リンクURL