写真展~終わらない戦後 二人が撮らえた沖縄

知人二人がコラボして写真展を開いている。
気になりながらも、なかなか行くタイミングをつかめなかったが、
最終日の昨日になって、やっと行くことができた。

大城・山城写真展 チラシ 表二人とは、共に報道カメラマンで
大城弘明氏は沖縄タイムス、山城博明氏は琉球新報のカメラマンとして復帰前後から現在まで、ほぼ同時期に激動の沖縄を撮り続けてきた。

仕事上はライバル会社であり、取材現場では常に競い合ってきたであろう二人が、定年後とはいえ、共同して写真展をひらくことができるというのは
たぶん、二人が目指しているものが同じだったからではないだろうかと、勝手な感想を抱いた。

米軍圧政下の復帰闘争、癒えることのない戦争の爪痕、終戦から70年を経てもなお続く基地の重圧など政治的な現場だけでなく、人々の暮らし、古くから伝わる習俗や祭祀、島の自然まで常に住民目線でとらえ伝えてきたことがよくわかる。

展示された写真はおよそ500点、それでも2人にとってはほんの一部だという。

とくに、大城さんの個人史と重ね合わせ戦争の傷跡をたどった「家族の肖像」に、引き付けられた。
曾祖父母、祖父母、両親の壮絶な戦争体験。
父親は長崎での被爆体験を持ち、母方の家族が隠れていた避難壕を日本軍に追い出され、戦場をさまよう中、筆舌に尽くしがたい体験をした祖母と母の、身体に残された消えない傷跡が戦争の醜さを証言し、告発する。

二人は戦後生まれである。しかし、こうした家族の戦争体験を追体験し、記憶してきた。それは二人の特別な状況ではない。沖縄では70歳以上の人はみんな沖縄戦の地獄からの生還者であり、どの家庭でも必ず、戦争でなくなった家族が一人や二人はいる。私たちの世代はその体験を何度も聞きながらな育った。私も10・10空襲で祖父を亡くし、母は二度の”自決”の末死にきれず、米軍の捕虜になることで生き残った。90歳で亡くなるまで全身に無数の手りゅう弾の破片を抱いたままだった。

沖縄県民にとって、70年にわたる戦後生活も、戦争体験以上の苦難の連続だったのである。

20年にもなろうとする辺野古の反基地の座り込み。東村高江のヘリパット反対の闘い、オスプレイ撤去の普天間基地ゲート前行動。
沖縄の人たちがどうしてそこまで基地に抵抗するのか?その強さはどこから来るのか?とよく問われるが、その答えがここにある。単にイデオロギーで基地反対と言っているのではないのだ。

大城さんと山城さん

大城さんと山城さん

安倍総理をはじめ、おぼっちゃま、お嬢様育ちの二世・三世議員が幅を利かせる昨今の中央政治家には、戦争がどんなものか想像さえもできないだろう。

一つの写真展が、私のなかに改めて抑えようのない憤りを呼び覚ます。

2015年4月20日リンクURL