私たちは戦争を止めるためにここに座っている ~ 今日( 2月28日)の辺野古

 今日は、ゲート前のテントで美謝川の水路切り替えのための工事について、土木専門家・北上田さんを講師に学習会があるというので9時のバスで、辺野古へ向かった。

 午前8時過ぎの県庁前。デニー知事が辺野古設計変更不承認を発表した昨年11月末から、平和市民連絡会のメンバーが、土・日を除く毎日、8時から8時40分まで横断幕を掲げてスタンディングを行っている。

 10時30分過ぎ辺野古到着。一回目の 座り込みは終わり、テントの下で、参加者の活動報告・交流が始まっていたが、いつになく緊張感が漂っていた。

 ロシアのウクライナ侵略で、危機感を持っての発言が続いた。広大な米軍基地を抱える沖縄は、世界のどこかで戦争が起きれば、すぐに大きな影響を受けるからだ。 

普段あまり発言をしない女性たちが次々にマイクを握った。

 地獄の沖縄戦を生き延びてきた島袋文子さん。ロシア侵攻のニュースに身体が震えて、眠れない夜が続いているという。「あの爆撃の下には子どもたち、女性たちがいると思うと、沖縄戦を思い出して…もう二度と戦争はイヤ!」と言葉を詰まらせる。「私たちは、戦争を止めるためにここに座り込んでいる。しかし、もっと沖縄の人たちが立ち上がり頑張らないとこの基地建設は止められないし、戦争も止められない。

 私は、大統領に辺野古反対を訴えにアメリカに行く。国会で岸田にあってからアメリカに行くつもりだったが、コロナで行けないというので、先にアメリカに行くことにした。どうかみなさん、私がアメリカに行くのを応援してください。93歳でアメリカまで行くのは命をかけていますから…」

 島ぐるみ会議共同代表の高里鈴代さん。世界中で戦争に反対する声が上がっている。 ロシアでも、弾圧を受けながら多くの市民が戦争反対の声を挙げている。私たちもこれら世界の人々としっかり繋がって、声を挙げて行こう」。

 戦火を逃れて国を出たウクライナの人々は50万人、「戦争反対!」の声を挙げているロシア市民は90万人に達し、増え続けているという。世界で平和を求める人々が声を挙げている。

 女性たちが戦争への危機感を訴える背中越しに米軍の戦闘車両が爆走する。米軍基地は世界中の戦場と地続きなのが実感として伝わってくる。 

 

 正午、この日2回目の座り込み。コロナはまだ油断できない。機動隊に抱き抱えられて排除されるギリギリまで粘る。

 

 今日は、グリ石と呼ばれる大きな石を積んだダンプが多かった。新たな護岸建設のための基礎固めに、捨て石として投入されるという。また海が殺される。

 大急ぎで昼食を済ませ、美謝川の水路変更工事が始まった第三ゲートの問題点などを、北上田毅さんから学んだ。名護市と防衛局のなれ合いによる違法工事の数々が明らかにされた。 

 コロナ禍もあり、広く呼び掛けるのは控えられ、各島ぐるみ会議の責任者中心の学習会となった。

 「まん延防止策」の解除で少し参加者も増えたが、第三ゲートでの座り込みも同時に行われ、現場が分散されている。 

 行き帰りのバスの中から見るやんばる路は、新緑が萌えはじめ、青い空がまぶしいほどに輝いて、春の気配が感じられた。

 

 

2022年2月28日リンクURL

おすすめ本 「志縁のおんな~もろさわようこと私たち」 ~ 信濃毎日新聞記者 河原千春編著

 本書は、信濃毎日新聞で2019年8月から16回にわたって連載された「夢に飛ぶーもろさわようこ、94歳の青春」を一冊にまとめたものである。

 女性史研究家もろさわようこさんは、ジェンダーということばがまだ一般的でなかった時代に、女性の視点で歴史を編み直した先駆者である。「女」が、性的な蔑みを含む差別用語であった当時、「信濃のおんな」「おんなの戦後史」「おんな・部落・沖縄」「沖縄おんな紀行」など、あえて「おんな」と表したのもその一つ。今風に言えば、「私、おんなですが、それが何か?」という感じだろうか。

 20歳で迎えた敗戦、それまで「鬼畜米英」を叫んで戦意高揚に加担した知識人や言論人たちが、手のひらを返したように「民主国家米英」と称える姿を見て、軍国少女だった価値観が覆され、精神崩壊を来すほどの人間不信に陥った。以後、他から与えられた言葉ではなく、「自分が見て、手触り、考える」ことを信条としてきた。「“女性史研究家”は人様がつけてくれた世渡りの通行手形、なぜ自分は生きなければならないのかと、人間として生きる意味を探っている中で言葉が出てきた。何者でもなく、ただの求道者でしかない」と語る。

<志縁の苑  うちなぁ>

 発した言葉は、「行動を伴わなければ嘘になる」として、おんな(長野)、部落(高知)、沖縄に、志縁(地縁、血縁ではなく、志への共感)で繋がる人々の交流の場を設け、常により痛み深く生きる人々のくらしやたたかいの現場に身を置き、共に実践を重ねてきた。

 物事は、被害や実態を告発するだけではなく、なぜそうなったのかを突き止めねば、社会も自らをも変革することはできない。「なぜ貧困や戦争が起こるのか」「なぜ女は差別されるのか」、そもそも「なぜ差別が存在するのか」、根源を問うところから解放像は見えてくる、と。そして、「女が抑圧されるとき、また男も抑圧されている」、知らず知らずに意に反して体制補完の役割を担わされる落とし穴にはまってはならないと、警告も発している。ものの見方考え方の基本を鍛えてくれる一冊である。

 沖縄に関する論考も多く取り上げられ、沖縄人としても興味深い。もろさわさんは、沖縄復帰の年1972年にはじめて沖縄の土を踏んだ。宮古島の女性祭祀「祖神祭(うやがん)」に「原始、女性は太陽であった」女性史の源流をみて魅せられ、以来50年沖縄に通い続けた。「恋焦がれた」沖縄だが

<島尻のウヤガン (上井幸子写真集から ↑> 決して盲目に陥らず、時代の変遷の中で、祖神祭をはじめ久高島のイザイホー、ノロなどの女性祭祀が、いつしかときの権力組織に組み込まれ、体制維持に利用されていく側面もしっかり見据えている。

 本書は、女性史研究家にとどまらず、詩人であり、思想家、求道者でもあるもろさわようこの全体像を描き出している。それは著者が、単に取材対象としてではなく、自らの痛みの解放像を求めて、もろさわようこに体当たりで喰らいつき、自己変革する中から生まれたからだ。ここで詳しく述べることはできないが、もろさわさんも、身も心もさらけ出して応えている。

<2010年ウヤガンの痕跡を訪ねて大神島へ。島の神人と→>

 

 「自己変革を重ね、常に新しい自分でありたい」というもろさわさん、どんな状況下でもいつも前向き。辺野古のゲート前で座り込みながら、ときに言いようもない絶望感、徒労感に襲われるが、そんなとき、97歳にして「私にはまだやりたいことがある。私の人生これからが本番よ!」と熱く語るもろさわさんの声が聞こえてきて、人生の残歴版が見えてきた私も、背筋を正されている。

<←2021年の衆議院選挙投票沖縄与那原町にて>

 

 昨年は、本書の他に相次いで二冊の新編を上梓した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2022年2月24日リンクURL