K9護岸からの土砂の陸揚げ加速 ~ やんばる・伊江島の旅① 12月7日の辺野古

 3日(金)、東京から3人の友人たちが4泊5日の日程で来県。彼女たちに同行して、辺野古・伊江島などやんばるの旅をした。

 友人らは当初、4月に沖縄へ来る予定だったが、コロナ禍でやむなく中止。今回も東京や沖縄のコロナ感染者数が収まらない中、直前まで大いに悩み迷いつつ決行を決断した。

 日程を12月3日スタートにしたのは、翌4日に辺野古で行われる県民大行動に焦点を合わせたからだったが、これもコロナのせいで中止になったので、辺野古へは四日目の7日(月)の座り込みに参加することに。

 まずは、昨日(月)の辺野古の様子からお伝えしたい。

 前日は伊江島から日帰りで戻り、名護に宿泊。早朝、路線バスで辺野古へ向かった。私は、主に水曜日に参加しているので、月曜日の辺野古ははじめてである。曜日によって担当するリーダーが替わるため、集会の様子もそれぞれに特徴があって雰囲気が変わると聞いている。

 8時半辺野古へ到着。人はまだまばらだったが、顔見知りが多かったのでほっとした。

 小雨ながら午前中は、降ったりやんだりのあいにくの天気が続く中、30名余が座り込んだ。 

 ダンプの過積載は相変わらず、黙認する警察も相変わらずだ。

 今日は、赤嶺政賢、高良鉄美両国会議員の姿も見えた。お二人とも特別席ではなく、みんなと一緒にゲート前に座り込み、ノロノロと牛歩デモ行進、共に怒りの拳を挙げた。

 一回目の座り込みの後、私たちは4人はゲート前を抜け出し、汀間漁港から抗議船に乗って海上に出て埋め立て予定地を見せてもらった。

 抗議船がフロートに近づくと、海保の警戒船が執拗に追いかけてきて立ち去るよう拡声器で「警告」を発する。

 K9護岸では、今日から横付けしたスパッド台船を桟橋替わりして、2隻のランプウェイ台船が接岸、2隻同時に土砂の陸揚げを行っていた。工事の遅れにいらだった防衛局、土砂陸揚げの効率を上げるための作戦のようだが、「それでも大して効率は上がらない」と、平和市民連絡会の北上田さんら土木の専門家はみている。

 

 

 港に戻りながら船長が見せてくれたのは、昨年の台風でがけ崩れを起こした辺野古弾薬庫真下の断崖。かつては核爆弾を貯蔵していたといわれる。いまも「核はない」という保証はない。ここで地震でも起きたら、沖縄中が吹っ飛ぶ危険極まりない場所である。

 防衛局が、埋め立てによって産卵地を追い出された海亀のために、新たな産卵場所に指定した砂浜。生まれた砂浜に帰って来て産卵する習性をもつ海亀が、指定されたからと言って、ここに上陸、産卵するだろうか?人間のあまりの傲慢さに気分が悪くなる。

 長年この海を航行する抗議船の船長は「このあたりで海亀を見かけたことはない」と断言した。

 今日は天気が悪く海が濁っているため、残念ながらサンゴや熱帯魚が泳ぐ美しい亜熱帯の海の中を覗くことはできなかった。

 海から戻り三回目の座り込みに参加

 「海亀やジュゴン、珊瑚のためにも頑張らなければ」と決意を新たにした。

泡瀬干潟の埋め立てに反対して活動するこの方は、泡瀬干潟に生息する貝たち(貝殻)と一緒に(胸と背に引っ提げて)辺野古ゲート前にやってくる。

 

2020年12月8日リンクURL