孫たちの世代に戦争のない世界を残したい ~ 今日(2月5日)の辺野古

 日本列島は、この冬一番の寒さだという。おまけに雨。夏のカンカン照りもつらいが、沖縄の者には寒さが一番応える。

 防寒と雨具で、まるでだるまさんのように膨れあがった身体をお互いに笑い合いながら、ゲート前に座り込んだ。不屈の座り込み2040日目の辺野古。

 今日は午後1時半から、軟弱地盤の情報公開をめぐって、市民が訴えた裁判の証人尋問が那覇地裁行われるため、裁判傍聴にも人が割かれて人数が少なそうだと思ったら、一回目の搬入が始まる9時までには、およそ40人が集まり、座り込んだ。

 牛歩戦術でゲート前をゆっくりとデモっていたら、機動隊の挟み撃ちに会い、急いで歩くよううながされる。「ここをゆっくり歩くのも私たちの権利です!」

 一回目の搬入が終わった後、テントに戻ってくると、水曜日恒例の手作りスイーツの差し入れが待っていた。

 千葉から一人で参加した男性。「50年前に来て以来の沖縄。人生のラストステージを迎え、やり残したことがないようにと考えたら、辺野古へ足が向いた。政府がどんどん戦争の方向に進んでいく中で、孫たちの世代には戦争のない世界を残したい。それが自分たち世代の責任だと思う」と。

二回目の搬入に向けて今度は60名ほどで座り込む。

 辺野古では「歌」も大切な抵抗の手段。次々と自作の「辺野古抵抗の歌」が飛び出す。歌が終わるまで、機動隊も手が出せない。「かかれ!」の合図を出しかねている機動隊の隊長。歌と歌の隙間を狙って襲い掛かる機動隊。

 コンクリートミキサー車の他に、砂利や砂を運ぶダンプも多く、基地の中で渋滞を起こしていた。

 もしもの場合に備えて、医師や看護師資格を持つ救急隊が待機しているが、医労連の仲間が交代で全国から派遣されてくる。この日も4人が、ゲート前に座り込む人々を見守った。ありがたいことである。

2020年2月6日リンクURL