「 4・3の真実と正義問う」と題する国際会議に参加するため10月3日~8日済州島に行ってきました。ちょっと間が開いてしまいましたが、その報告②です。辺野古の状況もお伝えしながら飛び飛びになりますが数回に分けてお伝えします。
<済州島4・3事件を知っていますか?>
朝鮮半島の南の洋上に浮かぶ済州島は、韓国本土とは異なる歴史と文化を持つ小さな島。日本の中の沖縄のような島である。
1945年8月15日、敗戦によって日本の植民地支配から解放されたと喜んだのもつかの間、第二次世界大戦の終了とともに、朝鮮半島は南北に分断され、北半分をソ連に、南半分をアメリカの支配下に置かれる。
日本の植民地時代、朝鮮半島の中でも抗日運動の最も激しかった済州島は、人々の人権意識が高く、南北分断に対する島を挙げての抵抗運動が起こった。
4・3事件のきっかけは、1947年3月1日、分断を固定化する南単独の国政選挙に反対して集まったデモの警備に当たっていた警察官の馬に蹴飛ばされて、一人の小学生が死亡。これに怒って抗議した民衆に、警察が発砲して多数の負傷者が出た。
この事件が起点となってゼネスト、責任者の逮捕、拷問、赤狩りと事態はエスカレート、翌年1948年4月3日、たまりかけて民衆が武装蜂起する。以後7年7か月にわたって国家権力による熾烈な民衆弾圧の嵐が吹き荒れた。村ごと焼かれたり、小学校の庭に集められて女性、子ども、老人を含む住民が銃殺されるなど、3万人余が犠牲になるという残酷な大量虐殺事件である。
南北分断と米軍支配が続く中で、生き残った人々は沈黙を強いられ4・3の真相は闇の中に押し込まれた。2003年10月、やっと韓国政府は国家としての責任を認め、盧 武鉉(ノ・ムヒョン)大統領が、遺族と済州島民に対し公式に謝罪し、真相究明を約束した。
同じ国民同士の間で、なぜこのような悲惨な事件が起こったのか?その根底に、韓国本土とは違う済州島の歴史、文化、気候風土に対する差別意識があった。そして、その背後に大国アメリカの強大な軍事支配があった。日本の中の沖縄に符合する。韓国を日本、済州島を沖縄と言葉を置き換えても違和感がないほど酷似している。
今回の国際会議は、今年が4・3事件から70周年に当たり、国家プロジェクトとして真相究明に当たってきた4・3研究所など50余りの関連の団体が主催して開催したもので、4・3と同じような経験を持つカンボジア、インドネシア、ギリシャ、台湾、沖縄からの報告を通して、4・3の真実を明らかにし、後世に伝えようという趣旨で行われた。