辺野古総合大学 第二期最終講座~沖縄の歌と踊り(今日4月30日の辺野古①)

 辺野古総合大学の第二期集中講座は
30日の沖縄の歌と踊りで、大好評のうちに終了しました。
延べ3000人が受講したということです

 

CIMG4123           <地揺の皆さん。国指定の技能保持者の方もいらっしゃいます>

CIMG4129               <お祝いの席で幕開けを飾る「かじゃで風節」

CIMG4133              <働く喜びを表現した踊り「谷北前」。二人は親子です>

CIMG4136        「琉装姿の美しい「浜千鳥」。旅にあって故郷や親を思う旅愁の踊り

沖縄の伝統芸能は、単に「伝統文化だから受け継ぎ守る」
あるいは「芸術的な賞用」としてあるのではなく、
沖縄の人々の日々の暮らしのなかになくてはならないものとして、
生き生きと息づいているところに最大の特徴があります。

赤ちゃんが生まれたといっては歌い踊り
長寿のお祝いに村中がこぞって歌い踊り、
結婚披露宴は、親戚・友人・知人が芸を競い合い、さがら演芸大会のようです。

さらに言えば、それぞれの地域に伝わる民族芸能は
封建社会のなかで権力への抵抗を歌や踊りに託して表明、団結し
共同体を守ってきた歴史もあります。
だからこそ、辺野古で歌い踊られる意味があります。

CIMG4155                 <全身で喜びを表現するカチャーシー

30日の辺野古総合大学第二期講座・沖縄の歴史、文化、環境、沖縄の民衆の戦いの歴史など  幅広いテーマで17講座が組まれ、最終講座の「沖縄の歌と踊り」最後は受講者も立ち上がりみんなでカチャシーを踊って総締めくくりとなりました。

辺野古総合大学、第三期は8月ごろ、また新しいプログラムで開催される予定です。

2016年5月1日リンクURL

朝露と月桃の花

DVC00002.JPG                                        < 実家の庭の月桃の花>

今年も月桃の花の季節になりました。

月桃(げっとう)の花の清楚な佇まいが好きです。
月桃の清々しい香りが好きです。

月桃「げっとう」というその名前が大好きです。

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花房に光る朝露。これは早起きした人だけが見ることのできる特権。日が昇る頃には露は消えてしまうから。

月桃の繊維は丈夫で
かつてはいろいろな農作物を束ねる縄になりました。

月桃の香りは防腐作用があり、食品や化粧品、医薬品の保存料になり、衣服の防虫剤になります。

繁殖力も旺盛で、強く根を張るので、畑の周りに植えて
赤土流出の防波堤としても活用されています。

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梅雨空に生えて、凛と咲く姿は、
71年前の「沖縄戦」で、沖縄県民が流した涙と魂の痛みを知っているから、なお美しい(ちゅらさん)のです。。

2016年4月28日リンクURL

情緒あふれるお別れ風景~渡嘉敷島

いまどき こんな情緒あふれるお別れ風景、そうそうお目にかかれるものではありません。
三月末、渡嘉敷島の港での風景です。

DVC00017.JPG 3月いっぱいで転任のため島を離れる小中学校の先生方を
教え子や父母たちが総出で見送るのは、遠い昔からこの島の風物詩となっています。

DVC00029.JPGDVC00025.JPG  島を去る先生と名残を惜しむ子供たち。抱っこされ甘えているのは1年生でしょうか。

DVC00015.JPG ここまではまだテープを手渡しできる距離。

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船が岸壁を離れ始めます。

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DVC00008.JPGテープが一本、また一本と切れて海に落ちて…。

DVC00011.JPG岸を離れるフェリーを追いかけるように、ケラマ太鼓の音が響きます。

DVC00004.JPG切れたテープを手繰り寄せ、愛おしそうに胸いっぱいに抱えた先生。このテープの先から教え子一人ひとりと思いを通わせているのでしょう。

この日は、渡嘉敷小中学校、阿波連小学校、両校の校長先生はじめ6人の先生方が島を離れました。

特に阿波連小学校の校長先生は
若いころに一度阿波連小学校に赴任、島の自然と暮らし、子どもたちとの触れ合いに魅了され、その後の教員生活の支えになったそうです。定年間近になって自ら希望して、校長として阿波連小学校へ赴任、教員生活の最後を渡嘉敷島で過ごしました。

都会の学校と違い、島の小さな学校では放課後も濃密な子どもたちとの触れ合いがあります。教師なりたての先生に釣りを教えたのも島の子どもたちだったそうです。

きっとこの交流は一生続くことでしょうね。

DVC00001.JPG船が見えなくなるまで、見送りの人々は手を振り続けていました。

現在60代の私が小学生の頃から変わらぬ風景です。
その私も20数年ぶりにこの光景に出会い、子どものころにタイムスリップした気分になりました。
五色の紙テープってまだあったんですね。

2016年4月18日リンクURL