けらまブルーに輝く渡嘉敷島

image1

かなり昔「天国に一番近い島」というタイトルの本があったのを
知っている人は60代以上かな。

18日の渡嘉敷島はその「天国に一番近い島」の形容詞がぴったり!
白い砂浜、白い雲を淵飾りに 幾重もの青のグラデーション・けらまブルーに輝いていました。

DVC00017.JPG

DVC00015.JPG

DVC00007.JPG

 

DVC00022.JPG

ここにいると、しばし時間が止まります。
沖縄気象台は今日20日、平年より11日遅い沖縄地方の梅雨入りを宣言。
私が来るのを待っていてくれたかのようなタイミングに感謝!です。

 

DVC00027.JPG

DVC00024.JPG

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今年はデイゴの花をあまり見かけませんでした。遅咲きだったのでしょうか、わずかに散り残ったデイゴをみることができました。(国立渡嘉敷青少年交流の家にて)

DVC00028.JPG

紅葉ほどではないけれど、散り敷く姿も絵になります。

DVC00063.JPGDVC00023.JPGDVC00013.JPG

 

 

 

 

野生のグラジオラス、野ボタン、アダンの実、季節をたがわず島の野山を彩ってくれます。

 

 

2015年5月20日リンクURL

ラムサール登録湿地 慶良間全域に拡大

<琉球新報 23日朝刊より>

環境省は22日、国際的に重要な湿地保護を目指すラムサール条約に登録されている慶良間諸島海域について、登録面積を約23倍に拡張するなどの方針を中央環境審議会の自然環境部会に報告した。

ラムサール 拡張される登録区域

353ヘクタールから座間味、渡嘉敷両村のほぼ全域となる8290ヘクタールに広げる。  昨年3月の慶良間諸島の国立公園指定を受けたもので、5月末にも正式登録される。

慶良間海域は拡張により、国内では琵琶湖(6万5984ヘクタール)、尾瀬(8711ヘクタール)に次ぐ3番目の登録面積になる。

2015年4月23日リンクURL

浜下り(旧暦3月3日)

昨日21日は、旧暦3月3日。
沖縄では、女の子の節句というより「女性の日」と言った方がいいかもしれません。

この日(渡嘉敷では4日)に浜に降り、潮水を踏むと穢れを払い健康に過ごせるという言い伝えがあります。
1~3日は大潮でもあり、絶好の潮干狩り日和りになります。

私も昨日は田舎(渡嘉敷島)に帰り、実に20数年ぶりの潮干狩りをしてきました。

DVC00089.JPG

旧暦3月の大潮は
普段の引き潮では現れない干潟が浮上し、
渡嘉敷港の入り口にある「ぐすく」が年に一度陸続きになります。

イノウと呼ばれるサンゴ礁の干潟にできる潮溜まりに多様な海の生き物を見ることができます。

 

アマンナがいっぱい。巻貝のことをンナと言います。美味しいのとまずいのがあって
おいしい貝にはアマンナと言っていました。

DVC00097.JPG DVC00070.JPG DVC00072.JPG

 

 

 

 

 

シャコ貝大きい!ヒトデも色鮮やかだ~!
うにもサンゴ礁のくぼみに身を隠しています。
トントンミー(トビハゼ)もはねまわっていたけど、カメラでは捕まえられなかった~!

DVC00084.JPGタカラガイ発見。生きたタカラガイを見たのは何十年ぶりでしょうか!
昔々、お金の代わり使われていたため「宝貝」と呼ばれているそうです。

サンゴです。まだ私の握りこぶしくらいの大きさ。
辺野古で、許可区域外に投入されたトンブロックがサンゴ押しつぶし、
でも、「まだ小さく、サンゴ礁にはなっていないので破砕しても問題はない」と沖縄防衛局がうそぶいているサンゴとは、こういうサンゴたちのことです。

DVC00071.JPG DVC00077.JPG

 

 

 

 

 

 

 

 

「大人を傷つけるのはいけないけど、子どもはつぶしても大丈夫」と言っているようなものです。赤ちゃんから大人に成長するのですから、子どもがいなくなれば、いつか大人もいなくなるのです。

DVC00059.JPG DVC00061.JPG DVC00060.JPG

 

 

 

 

今日の収穫。アマンナにタカラガイ、ツノガイ、そしてナマコの一種ですが、本名は分かりません。

貝はアーサを入れて味噌汁に。ナマコもどきは炒めてニンニクたっぷりの甘辛醤油味で頂きました。私が子どもの頃はこれが日常の食卓でした。海の恵み、山や田畑の恵みで自給でき、お金で買う食べ物はごくわずかだったのです。

すべて渡嘉敷島産です

すべて渡嘉敷島産です

 

自分たちがいただく前に、必ずご先祖様にお供えします。

翌4日はサングヮチアシビ(3月遊び)。かつては、日頃家業や家事、育児に忙しい女性たちが、誰にも遠慮することなく、歌舞音曲を奏で、芝居見学、舟遊びなどおおっぴらに遊ぶことが許された日だったそうです。

DVC00041.JPG

今は、村中の人たちが浜に集まって、お重を持ち寄り盃をかわしながら、唄ったり踊ったり。この1年に生まれた子どもたちの誕生祝、新一年生の入学祝い、島の学校へ新しく赴任してきた先生方の紹介なども、この場で行われます。

私は、現在喪中で華やかな席は参加を控えているため、10時からハーリーも予定されていましたが、後ろ髪ひかれる思いで午前中の船で那覇にもどりました。

2015年4月22日リンクURL