3・11の辺野古~被災地に思いを馳せながら

ゲート前でも午前中と午後の地震発生時刻に黙祷をささげた

ゲート前でも午前中と午後(地震発生時刻)に黙祷をささげた

 

国が代執行裁判の和解案受け入れを表明してから一週間がたった辺野古。

この間、一応工事用車両の出入りは無く、従って機動隊による市民のごぼう抜きもないが
座り込みを妨害するために工事用ゲートに張り付いている警察車両や、200人体制の県警、警視庁機動隊の待機も何も変わっていないので、抗議行動もこれまで通り午前6時にはじまり夕方4時まで行われている。

「和解」で参加者が少なくなっているのではと懸念していたが、いつもの金曜日と同じように、寒さと冷たい雨の中にもかかわらず、早朝には50人、10時ころには80人ほどが、さらに午前中、午後と入れ替わりながら、常に150人前後の人たちが座り込んだ。

「和解」に対する県民の理解は、「安倍政権の策謀であり、次の裁判で翁長知事を決定的につぶすための画策以外のなにものでもない」ということが、ゲート前でも確認された。安堵というよりもむしろ危機感が高まっている。

第二ゲート(弾薬庫入り口)前でも抗議

第二ゲート(弾薬庫入り口)前でも抗議

米軍車両へのアピール

米軍車両へのアピール

高校生も参加

高校生も参加

今月下旬、東京で開かれる「高校生平和集会」に参加予定の高校生3人がゲート前で一日座り込んだ。「先輩の皆さんががんばっていることに感動している。でも僕達もがんばっています。友達とかクラスメートと 平和とは?戦争って?と議論し、考え、行動もしています。今日の経験を、平和集会に集まる全国の高校生に伝えたい」と力強く発言した。

被災地に向けて黙祷!

被災地に向けて黙祷!

岩手県からゲート前行動に参加した方が、被災地の様子を報告。「復興は進んでいない」と、オリンピックに浮かれる安倍政治の欺瞞を批判した。

「まだ十数万人が避難生活を続けている」と被災地からの報告

「まだ十数万人が避難生活を続けている」と被災地からの報告

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「和解」の裏に何があるのかを見極め、何があろうとも県民は声を上げ続け、新基地建設を許さない。そのためにはゲート前での抗議行動をさらに拡大、強化、充実していく必要がある」そんな決意を新たにした3・11、614日目の辺野古ゲート前でした。

2016年3月13日リンクURL

福島からのメッセージ~選挙さ 行くべ! 

3・11から丸5年。被災者の7割が「復興は進んでいない」と感じ、特に原発の福島からはいまだに故郷に帰れない、いつ帰れるのかもわからない人々の悲鳴が聞こえてきます。

地震、津波は天災ですが、原発事故は人災、それも国策の誤りから起こったもの。それなのに東電も、原発政策を進めてきた為政者も、製造者責任があるはずの原発をつくったアメリカの企業も、誰一人として責任を問われないまま、5年が過ぎようとしています。

被災地の除染も終わらず、汚染水の処理のめどさえ全くたっていないというのに、原発は早々と再稼働が始まり、すでに耐用年数を過ぎ老朽化して危険な原子炉が、次々と再稼働を待っています。

辺野古ゲート前には、毎日のように全国からたくさんの支援者が座り込みにやってきますが、福島からも、これまで大勢の方々が応援に来てくださいました。

自らも被害を受け、まだ仮設住宅で避難生活を送っていながら、遠く沖縄までやってくるのです。「辺野古のことは原発と問題の根っこは同じ。だからこそ沖縄の人たちの気持ちがよくわかる」と。

一方、私を含め辺野古に座り込む沖縄の人たちの一体どれだけが、東北・福島の被災地に足を運んだだろうかと思うと、頭が下がります。

昨年、 慰霊の日の平和集会にて

2015年摩文仁・ 慰霊の日の平和集会にて

 

昨年、10月に福島からいらした方が、ゲート前でこんなを紹介して下さいました。来る参議院議員選挙に向けてしっかりと心に止め、行動に移していきたいものです。

 

   関 久雄歌集 第Ⅲ集より
「原発いらない、いのちが大事の歌」

かんた※ 選挙さ 行くべ   (※作者の二男の名前)
オレたちの 一票で
ガツンと 言わせて やんべ

原発いらねぇって いう人に 入れっぺ
経済とか 安定とか 30年かけて止める とか
寝ぼけたこと 言うやつらに だまされんなよ

ヒバクさせて ヒナンさせて
家族をバラバラにさせて
首を 吊らせておいて
また 知らん顔して 原発つくる
そういう やからを 許してはなんね
一揆を 起こすべ
だから 選挙さ 行くべ

でも 父さん
若いやつ 選挙 行かないよ
大して イミ ないんじゃないの

バカタレ そうやってなあ
好きに やらせておくとなあ
憲法いじり おめえたちを 戦争に引っ張って
人殺しを やらされる
徴兵っていうんだぞい
原発の 後始末も やらされんだぞい

え そうなの

わがの 頭で 考えねぇど わがね
みんなで 選挙さ 行くべ
オレたちの 一票で
目 さまさせて やんべ

2016年3月10日リンクURL

1966年の辺野古米軍計画~米担当者インタビュー

友人であり、辺野古新基地建設を止めるため共に戦っている仲間の真喜志好一さんから、拡散を希望する映像資料が届きました。

朝日放送のニュースステーションで取り上げられたものなので
ご覧になった方も多いと思いますが、
貴重な映像なので、拡散にご協力ください。

以下は、真喜志さんからのメールです。

2016年3月4日、辺野古の新基地建設をめぐる訴訟は、
国と沖縄県が和解によって工事が中断しました。
わずか三日後の3月7日、政府は沖縄県に「是正指示」を出し、

和解時にも安倍首相は「普天間飛行場の全面返還のためには、
辺野古移設が唯一の選択肢という考え方に変わりない」と
強弁していました。

さて、辺野古にはベトナム戦争の頃、
1966年に飛行場と軍港を作る計画を米軍がたてていました。
このビデオは1966年当時の米海軍担当者に、
米国で2006年にインタビューした貴重なビデオです。

「辺野古移設が唯一の解決策」と言い募るウラの事実…
全国民必見のビデオだと思います。

「1966年の辺野古米軍計画-米担当者インタビュー」

URLは、https://www.youtube.com/watch?v=511WKPVG9eg

とても貴重で、重要な映像だと思います。
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海上から見た辺野古基地(キャンプシュワブ)~2016年3月

海上から見た辺野古基地(キャンプシュワブ)~2016年3月

2016年3月9日リンクURL