昨日は昼中は30度近くまで気温が上がり、今日も最高気温が28度の予報。秋の風情も、ちょっぴりおセンチな気分もどこかへ吹き飛んでしまった感じでしたが、さすがに陽が落ちると、涼しい風がほほを撫でてくれるので、ほっとします。
先週末から、パレット久茂地前の交差点は、一気にクリスマスへと衣替えです。本来なら、これからの季節、クリスマス、お正月と続くワクワク待ち遠しい季節なのですが…。
土曜集中行動日、平和市民連絡会のバスで高江へ。
午前5時に那覇を出発。8時少し前に高江に着くと、すでに250名ほどが集まり、抗議行動は始まっていた。
ただ、どうもあたりの風景がいつもと違う。よく見たら、いつもは、片側車線を占拠して10台も20台も停車しているあの暑苦しい県外機動隊の警察車両が一台もない。機動隊員もほとんど姿が見えない。
どういうこと?と思ったら、この土曜、日曜と、恒例の自転車ロードレース「ツールドオキナワ」が行われ、やんばる路を数百台の自転車が疾走するのだという。そんなときに大型の警察車両が、片道一車線しかない県道の半分を埋め尽くし、砂利トラの大名行列がもう一方をノロノロ運転していたらロードレースなんかできないし、事故でも起こったら大変なことになる。一大観光イベントでもある自転車ロードレースが台無しになる。
というわけで、県外機動隊も工事車両も、どうやらお休み、ということらしい。
この日も、国会議員、県議団、県内外からの参加者など、たくさんの人がN1ゲート前を埋めた。それでも10時までは集会を継続、その後はN1前に一部を残し、集会場所を荒川ダムの入り口に移して、さらに監視・抗議行動を続けることになった。
N1ゲート前に残った人たちの中から、希望者を募って、森の中に入って抗議行動を行うというので、私も含め30数人が手を挙げた。
森に入って30分ほどでN1近く、山城博治さんが有刺鉄線を切ったとして逮捕の理由にされた現場に着いた。簡易の金網の壁と有刺鉄線が目に付く。
さらに15分ほど少々きつい雑木林の坂道を登って、N1近くにある砂利のストックヤードに到着。
抗議する市民たちを強制的に排除して、N1ゲートから侵入した砂利トラ(10tトラック)は、ここで一旦砂利を降ろす。ここからは細い山道でも走れる4トントラックに積み替えて、G地区、 H地区へと運ばれる仕組みになっている。
広大なストックヤードを少数の機動隊と防衛局の職員が守っていた。(誰から?何から?)
セメントの材料にもなる砂利はアルカリ性。これが酸性土壌の山原の森の生態系を壊し、ヤンバル固有の貴重な動植物を痛めつける。
<写真を掲げ山城さんの逮捕・拘束に抗議した>
直径が70~80センチもありそうな大木が切り刻まれ、痛々しい。
防衛局員:「ここは米軍提供施設内だ。すぐに出ていけ!」
抗議する市民:「沖縄県民は誰も提供などしていない。この森は沖縄のものだ!」と応酬が続く。
連絡を受けて駆け付けたらしい機動隊の隊長車が、窓を開けて抗議する市民をビデオ撮影していた。これが次の逮捕・拘束の証拠写真になるのか?
森の中およそ2時間の抗議行動だった。
ツールド沖縄の選手たちにも激励の声をかけながら、抗議集会は午後三時まで行われた。
そして、那覇への帰途、山城博治さんはじめ仲間たちの違法な拘留が続いている名護署で、抗議と激励行動を行った。
違法な弾圧で工事が進む「高江」に思いを馳せながら、
今日も辺野古ゲート前でも抗議行動が行われた。
私たちが、なぜここで毎日抗議活動をしているのか、戦後71年間米軍が駐留し続ける中、沖縄でどんなことが起こったのか、殺人、レイプ、航空機事故、自動事故、環境汚染など、米兵に事実をしっかりと英語で語りかける。
フル装備の米軍車両が、機関銃もむき出しにして公道(県道)を我が物顔に走りまわる。こんな光景は他府県では見られない。沖縄だけに押し付けられた安保の理不尽。
米軍車両を止めて15分もしないうちに待機していた県警の機動隊が、米軍を助けにやってくる。午前中は何度もその繰り返し。いまも毎日行っている。
不屈の座り込み859日目の辺野古