旧盆は故郷・渡嘉敷島ですごしました~エイサーでお迎え

沖縄のお盆は旧暦で行われます。今年は9月3日が盆の入りで、6日が送り火でした。
何があってもご先祖様のお墓がある故郷へ帰って過ごすのが最優先されます。

我が家の仏壇のお供え。果物セットの他に、パイナップルとスイカはぜひものです。お菓子や飲み物の数々、そして泡盛。左右の端に立てかけてあるサトウキビは「グサンウージ」と呼ばれ、ご先祖様がお帰りになるとき、お土産をつるして担いだり、杖にするのだと祖母から教わりました。

ウンケー(お迎)えの日の夕ご飯はウンケーージユーシー(お迎えの雑炊)。いろいろ具の入った炊き込みご飯です。おかずとしてお魚やエビ、ラッキョウなどの天ぷらを添えました。

村の青年会が主催するエイサーの道じゆねー(行進)が、三線や太鼓、笛などの演奏隊を乗せた車を先頭に村中の道々を練り歩きます。

 このエイサーがご先祖様をおお迎えする儀式となります。沖縄らしくにぎやかですね。

今年はエイサーの追っかけに外国人の観光客が目立ちました。島に渡る船(フェリー)も、里帰りの島の人より観光客でいっぱいでした。

少雨傾向のなか、観光客の増加で水不足が懸念されているようです。防砂無線から「節水」を呼び掛けるアナウンスが流れていました。

2017年9月7日リンクURL

8月30日の辺野古~ 未来に残そう青い海

8月30日、午前6時、平和市民連絡会のバスで那覇を出発。水曜日は集中行動日で南部と北部の市町村の「島ぐるみ」の当番。そして、ゲート前は「平和市民」の女性が指揮を担当する日である。

作業ゲート前での座り込みは8:20頃から集会を開始。何時ものとおり各島ぐるみ会議の取り組み状況の報告・決意など、それぞれのお国なまりを生かした楽しい報告に拍手が起こっていた。

県外、海外からの参加者も。高知県から参加した若者4人は、沖縄出身の一人の女子学生から沖縄・辺野古の話を聞き、夏休みを利用して一緒に辺野古へやってきたという。「一人の力はすごいね」との声が聴かれた。

この日は曇りがちで、比較的風もあって暑さも凌ぎやすいかなと思ったら雨が降り出し、作業車両の動きもないとのことで集会をテントに移した。

               <ゲート前のシンボル・文子おばぁと交流する若者たち>

韓国から来たメンバーは、韓国の米軍基地に反対する活動している韓国沖縄連帯の若者たち。「沖縄にも韓国にも米軍基地はいらない!と叫びに来た。米軍は自分の国に帰れ!」と、いま韓国の基地反対運動の人たちの間ではやっているという歌と踊りを披露してくれた。

 <「傘もどうせさすなら楽しくかつ実用的に!と工夫を凝らして」と、糸満島ぐるみの女性メンバー>

 神奈川県からは、昨年全国各地から高江へ派遣された機動隊の派遣費を巡って「住民監査請求」の裁判を闘っている男性。情報公開で資料の開示を求めたら全面黒塗りで公開されたとのこと。一行の情報公開もない。ノリ弁と揶揄される日本の情報公開の実情だが、これはもはやのり弁でもない(ご飯部分がないから)、ノリそのものだ!と。

11時前、トラックの動きがあるとの情報が入り、急いで昼食を済まして工事用ゲート前で土砂降りの雨の中座り込みを再開。

 天気予報では晴れの情報だったので雨具の用意がない人たちもいて、それでもめげずに座り込んだが、1:45頃から機動隊が導入され「ゴボウ抜き」が始まった。

機動隊がやって来ても、毅然と座り続ける市民たち。全員が「ごぼう抜き」されるのに一時間近くねばり、「檻」に囲われてもなお「違法工事に加担するな!」と声をあげ続ける。

 一回目はダンプカーなどが67台車列をなしてゲートの中に入って行った。この間ゲート前の県道は大渋滞、工事車両優先の県警の在り方に抗議しても、逆に反対運動する側に責任を擦り付けるような状況である。 第2回目の搬入は午後4過ぎてから始まり、この日は合計で133台の工事車両が入った。


平和市民連絡会のバスはその後帰りに名護署により逮捕勾留されている仲間への激励行動を午後5時過ぎから行いその後帰路に就いた。朝6時に出発して、那覇に戻ったのが夕方7時前、さすがに13時間の行動には疲れを隠せない。エネルギーを出し切った、とういう感じの一日だった。

2017年9月1日リンクURL