百聞は一見にしかず

沖縄の平和運動を知るために、あるいは支援、連帯するために
沖縄の地を訪れる方たちがたくさんいます。

それは日本国内だけでなく外国、特に沖縄と同じように
米軍基地を抱えて苦しんでいる国々や地域、例えば
韓国やグアム、プエル・トリコなどからですが

そういう方に沖縄の現状を伝え、視察の道案内(ガイド)を
あまり得意ではありませんが、お役目だと思って引き受けています。

先日も、渡嘉敷島へあるグループの方々を案内したところ
参加者のおひとりから、以下のようなお便りをいただきました。

このブログを読んでくださる方々にも
沖縄の状況を感じてもらえるいい機会になるかと思いますので
ご紹介します。

北山(ニシヤマ)から慶良間海峡を望む

北山(ニシヤマ)から慶良間海峡を望む

〇〇〇さま

ご挨拶と御礼が遅くなりました。先日は、渡嘉敷島のご案内を有り難うございました。
渡嘉敷の海の美しさが忘れられません。

あんな美しい海が米軍の結集地となり、沖縄本島攻撃の最前線基地となり、その攻  防を巡って、日本軍も結集し、島の人たちを犠牲にしたことを聞き、改めて戦争の狂  気を痛感しました。そこには慰安所跡があり、アリランの碑がありました。韓国の人を  も蹂躙しました。

アリランの碑

アリランの碑

集団自死の原因と理由がよくわかりました。その後遺症にも心が痛みました。戦争の被害者と加害者は一体誰なんでしょうか。
一般の民衆を加害者に仕立て上げるのが戦争ではないでしょうか。どう考えても加害 者は国家であり、一部の権力者なのではないでしょうか。国の支配者は権力欲のために国民を犠牲にします。

現在の政権も、昔来た道を後戻りしつつあります。その政権を選び、「〇〇ミクス」だと  か、「東京五輪」だとかに酔っている国民の情けなさ、それをあおるマスコミです。

そういう中で、「基地、軍隊を許さない行動する女たちの会」を立ち上げ、戦っておられる  ことに敬意を表し、心から声援を送ります。

後ろの海から米軍は上陸した。沖縄線の始まりである。

後ろの海から米軍は上陸した。沖縄線の始まりである。

 

わたしはキリスト教会の牧師をしています。日本の戦争責任などと言うことは  何も教わらないで育ちました。

1965年、日韓条約が批准された夏、韓国に行き  ました。「韓国では汽車の中などで日本語をしゃべるな。危害にあっても責任  を負えない」と言われましたが、なぜそういうことを言われるのか分からない  くらい、日本の戦争責任について無知でした。しかし、行くところ、行くところ、  日本の軍隊の爪痕が残っていて、まともに顔を上げて歩けないような思いを  しました。

沖縄でもショックを受けました。沖縄は日本に復帰したけれども、沖縄に平和  憲法は無く、従って、日本に平和憲法があるというのは嘘だと言うことを思い  知らされました。

いつも親切に迎えて下さったひめゆり壕生き残りの元陸軍病院看護婦だった  具志八重さんは、「わたしたちは日本に騙され続けて来た。わたしは日本人を  信用しない、沖縄を泥足で踏み荒らして欲しくない」と言われたことと、自衛隊  関係者の案内をされたバスガイドさんが、「『沖縄戦は戦争の歴史に残るまれ  に見る成功例だった』と自衛隊関係者がバスの中で話しているのを聞いて、悔  しくてたまらなかった」と言って涙を流されたことを今も忘れることができません。

先般、長野に行き、満蒙開拓団の記念館に行きました。満州では、ソ連が進入  して来た時、軍隊は開拓民を置き去りにして真っ先に逃げたそうです。満州で  も「集団自死」がありました。子どもを川に投げた人もいました。ひとたび戦争が 始まると軍隊は国民を守らないと言うことを知りました。「軍事力で国を守る」と  いうのも嘘だとわたしは思います。

渡嘉敷でも、そのことを教えられました。特に、日本の軍隊は住民を犠牲にし  ました。戦場では、一人一人の兵士は加害者に仕立て上げられます。しかし、  無理矢理戦場に引きづり出された兵士も被害者です。彼らは気が狂わなけれ  戦場で生きていけなかったのだと思います。

戦争の背後には、戦争によって利益を受ける人がいるのではないでしょうか。
国民はその手玉に乗せられるのだと思います。

11月25日の高江ゲート 台風のためテントはたたまれていた

11月25日の高江ゲート
台風のためテントはたたまれていた

 

今回、渡嘉敷に行く前に、東村の髙江に行きました。基地のすべてのゲート  の前に人々はテントを張って座り込みをされていました。「ヤマト」では、そうい  う報道は一切ありません。ショックでした。

わたしも含めて、わたしたち「ヤマト」に生きる者は、戦争は過去のことだと思っ  ているのです。「自分たちは被害者だ」と思っているもです。わたしたちは経済  のことしか頭にありません。

今回、沖縄に行って、平和惚けした自分に少し「お灸」をすえさせていただきま  した。いつかまた、「お灸」をすえるため、そして、「いのち」あふれる沖縄にふれ  るため、お邪魔したいと思います。

ありがとうございました。

2013年11月1日リンクURL

山崎豊子さんと沖縄

作家・山崎豊子さんが亡くなられた。

新聞記者時代に培った取材力を駆使して
社会の闇に切り込み、不正義・不条理を鋭く突いた作品が 持ち味だった。

まだ新聞社に女性の記者が少なかった1944年に毎日新聞入社、
今なお男社会の権化のようなマスコミ界において
男性ならしなくていい苦労をし、いわれのない性差別を受けながら記者時代を過ごし、
後に作家としての立ち位置を築いてこられたのではないかと想像する。

編集者たちから取材の鬼と称されているように
テレビドラマ化された「大地の子」を書いたときは
中国に3年も暮らしながらこの作品を書き上げたという。

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沖縄をテーマにした「運命の人」を書いた時も、長期間沖縄に住み、たくさんの人に会い、さまざまな場所に行き、民族、文化、歴史など徹底的に取材しつくしたという。

大好きな作家だったし、仕事柄、けっこう著名人(芸能・文化人、政治家など)に会う機会に恵まれていたが、山崎さんにはついにお会いする機会がなかった。

聞けば、マスコミ嫌い、というか「作家は原稿用紙の升目を埋めるのが仕事」という 考え方の方で、めったにテレビや雑誌の取材には応じなかったらしい。

「運命の人」は、沖縄返還の際の 日米政府による「沖縄密約事件」を題材にした長編で、         沖縄に関心を持ったのは、 「ひめゆり平和資料館を訪れたのがきっかけだった。
語り部の証言に涙し、今まで知らないでいたことを悔い
沖縄を書かなければという思いが募ってきた」(作家の使命ー私の戦後より)

「運命の人」では、沖縄の犠牲の上に成り立つ日本の繁栄の欺瞞性をついた政治部記者に心を寄せつつ、かつて自らも身を置いた組織ジャーナリズム(新聞)への批判も込めた私たちは沖縄に迷惑をかけたのではない。犠牲を強いたのです」(共同通信記事より)

「沖縄に住んでこそ実感できたこの不条理を、もっと国民が知らなければならない」琉球新報 5日付朝刊・金口木舌より)と語っている。

いま、このような感性を持った人は、マスコミ界だけでなく
この国の行方を牛耳る官僚や政治家の中にはいほとんどない。

ホウオウボク(鳳凰木)

ホウオウボク(鳳凰木)

奇しくも昨日(4日)は、日米の外交・防衛担当閣僚による安全保障協議会(2プラス2)が開かれ、
「辺野古は唯一の解決策」と、沖縄にさらに犠牲を強いることで、日米の安全保障を強化する取り決めをしたという報道が、山崎さんの記事と同じ紙面を埋めた。

山崎豊子さんにはもっと長生きして、
沖縄のことを書き続けてほしかった。

心からご冥福をお祈りします。

2013年10月4日リンクURL

普天間基地ゲート前行動1周年集会

事故を多発している危険な欠陥機・オスプレイ
普天間基地に配備されて、明日10月1日でまる一年になる。

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配備に抗議して、米軍の休日の土曜、日曜を除く毎日
市民たちが普天間基地の二つのゲート前で展開している
直接抗議行動を振り返る「ゲート前行動1年集会」
28日、宜野湾市の中央公民館で開かれた。

 

集会には、ゲート前で抗議行動を続けてきた市民をはじめ
普天間基地の移設先とされる辺野古や
オスプレイ訓練のためのヘリパット建設が強行されている
東村高江で、抗議の座り込みを続ける住民たちも駆けつけ
およそ250人が参加した。

1年集会

普天間で生まれ育った桃原範太郎さんは
基地になる前のふるさと・普天間」の様子をか語り」、
サトウキビといもが実る豊かな農地、のどかなで人情あふれる戦前の人々の暮らしを紹介。
「もう一度、あの故郷の姿を取り戻したい」と訴えた。

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大山ゲートを中心に行動する宮平光一さんは
毎日の抗議行動の様子を写真で振り返り
「去年の9月29日、一時的にせよ市民によって
基地のゲートが市民よって、完全に封鎖された事実は大きい。
オスプレイは配備されてしまったが
昨年の基地封鎖のように、基地機能がマヒすれば飛ばせない。
そのための方法を、いろいろな形で展開し、これからの抗議を続けていく」と 固い決意を述べた。

野嵩住民の赤嶺和伸さんは
「毎日、ゲート前を通って学校に通う自分の孫や、子供たちが
20歳を迎えるまでには基地を撤去させて、
基地の真ん中で成人式を盛大に祝おう」と夢を語った。

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辺野古のヘリ基地反対協の共同代表・安次富浩さんは
「辺野古への新基地建設に闘いは今日で3450日となった。
私は4000日を迎えたくない。
皆さんとともに闘い普天間基地を、移設ではなく撤去させ、
辺野古の新基地建設を止める闘いにする。
平和は与えられるものではない。民衆の力で平和を作り上げよう」と 呼びかけた。

高江・ヘリパットいらない住民の会の伊佐育子さんは
毎日24時間の監視・阻止活動をしても建設が進むヘリパットの状況に危機感をにじませ、        支援を要請するとともに、連動するオスプレイ配備抗議行動への連帯を表明。

野嵩ゲート前の行動を続ける城間勝さんは                                     「日本のどこに、地元の反対を押して、政府が一方的に基地を押し付ける地域があるのか。       県内全41市町村が建白書突きつけても一顧だにしない。                            沖縄県民を虫けら同然に扱う政府は許せない」と怒りをあらわにした。
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宮森小学校の米軍ジェット機墜落事件を語り継ぐ「ハーフセンチュリーい7宮森の川満美幸さんは美しい歌声でゲート前抗議行動への連帯を歌いあげた。

 

集会は抗議決議を採択して
明日からの行動継続への決意を新たにした。

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会場まえのロビーでは、ゲート前行動の写真展も開催され 関心を呼んだ。

 

 

また今日10月1日PM6:00から、県庁前の県民広場で、基地の県内移設に反対する県民会議主催の<オスプレイ撤去させよう!10・1県民集会>が開かれる。

2013年9月30日リンクURL