「高江」座り込み9周年(7月1日)

辺野古新基地と同じく、日米政府のまやかし・大うその一つ。
沖縄の基地負担を軽減するため、「北部訓練場の40%を返還するので、その中にあるヘリパットを、残る60%の訓練場の中に移設する」として
東村高江の集落を囲むようにして、新しいヘリパットが6か所つくられることになっている。

北部訓練場にはすでに22か所のヘリパットがあり、なぜ新たなヘリパットが必要なのか。それは、まぎれもなく、辺野古新基地と連動して、オスプレイが発着するのに耐えられる頑丈で大きな新しいヘリパットが必要だからだ。

今でさえ、爆音に悩まされている。「これ以上爆音被害や墜落の危険が増えたら耐えられない」と、地域住民がゲートに座り込んで工事を止めている。

その座り込みがこの7月1日で9周年、10年目に突入した。
あらたな戦いへの決意を込めて集会が開かれた。

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「ヘリパットいらない住民の会」の共同代表・伊佐真次さん。国から裁判に訴えられるという嫌がらせも受けた。「県内外からの応援を受けて、この9年間24時間体制で監視活動を続けてこれた」と、辺野古新基地との連帯が 闘いの広がりをつくってきたと、9年間を振り返った。DVC00028.JPG

高江の闘いの構築に、この人の存在は大きかった。ミスターゲート前こと山城博治さん。今でこそ辺野古基地のゲート前だが、その前は毎日、高江にある北部訓練場のゲート前で、車の中に寝泊まりして、24時間工夫を凝らした行動で人々をリードしてきた。

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近隣の市町村からもたくさんの人々が応援に駆けつける。隣村・大宜見から毎週必ず一度はやってくるこの方は、「4歳の時からずっと戦争に追われてきた。沖縄ではまだ戦後はやってきていない。いまだに戦争中のような状態だ。この状況のまま故郷を子や孫に受け継がせるわけにはゆかない。死んでも死にきれない」と。高江に座り込みに来る気持ちを語った。

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DVC00009.JPG<この日は200人が、北部訓練場のゲートを埋めた>

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DVC00012.JPG<小さな集会なのに警備が物々しい。米軍が勝手に引いた境界線にロープをはり、「そこから一歩も踏み込むな」と、カメラを構えたメディアと押し問答。市民が抗議してゲートに座り込むと、今度はどこからか数十名の機動隊が出てくる騒ぎとなった。

DVC00048.JPGDVC00044.JPG 東村の高江までは、那覇から3時間。ここに来るまでの道すがら、山原の海も山も青く澄んで美しく輝いていた。この素晴らしい自然をぶち壊して、戦争のための基地を造るなんて、やはり間違っている。なぜ?どうして日本の政治はここまで堕落してしまったのか!

2016年7月2日リンクURL