ベトナムの旅 ⑮最終回 想い~“悪魔の島と呼ばれたOKINAWA”から

私が、ベトナム青葉奨学会やアレン・ネルソンさんの活動などベトナムについて関心を持つようになったのは、あることばに出会ったことが根っこにあります。
それは「沖縄のことをベトナムでは“悪魔の島”と呼ばれている」と知ったことです。

ベトナム戦争の最中、報道現場で仕事をしながら、組合活動もしていた20代。基地の島沖縄から飛び立って行く米軍のB52爆撃機が、ベトナムに向かっていることは知っていました。

黒い殺人機と呼ばれたB52爆撃機

黒い殺人機と呼ばれたB52爆撃機

 

しかし、基地からもたらされるさまざまな被害、事件事故、同じ人間とは思えない人権侵害の数々、米軍の圧政に蹂躙される(それはベトナム戦争の余波でもあった)沖縄の私たちには、自分たちのことで精いっぱいで、B52がベトナムでどんなひどいことをしていたのかという具体的なことまでは思いが至りませんでした。

ベトナム戦争も終わりに近いころだったと思います、そのことばを知らされたのは。ベトナムの人たちにとって、街も森も人間も無差別に焼き尽くすB52爆撃機が飛んでくるOKINAWAは“悪魔の島”以外の何ものでもなかったのです。米軍の被害者とばかり思っていた沖縄は、ベトナムの人たちにとっては加害者だったことを思い知らされたのでした。以来、ベトナムに無関心ではいられなくなりました。

明るいベトナムの子供たち

明るいベトナムの子供たち

実は、私にはベトナムに息子がいます。いま小学校4年生です。ベトナム青葉奨学会を通して奨学金を送っている里子です。父親は行方不明、母親は病死して祖母に育てられています。ベトナム青葉奨学会沖縄委員会が出来て今年で23年目、彼は私にとって5人目の子どもになります。

奨学金は、年間日本円で小学生が7.000円、中学生10.000円、高校生12.000円を、さまざまな事情で、学びたくても学校へ行けないベトナム子どもたちを支援します。日本で普通に仕事を持っていれば、そんなに大変な額ではありません。驚くのはこの金額で、一人の生徒が一年間学校に通うためのすべての経費が賄えるということです。小学生の里親になると、その子が高校を卒業するまでずっと継続して責任を持つというシステムになっています。

そんなわけがあって、ベトナムは20年間、ずっと一度は行きたい国でした。それがやっと実現したわけですが、今回は別の目的があったので、里子に会うことはかないませんでした。でも、遠かったベトナムが身近に感じられるようになって、近いうちにすぐまた行けるような予感がしています。そのときはきっと我が息子に会えることでしょう。

こんな小さい島にこれだけの基地が…

こんな小さい島にこれだけの基地が…

ベトナムの旅の報告を締めくくるにあたって、改めて思うのは「辺野古の新基地建設」のことです。
耐用年数100年とも200年ともいわれる辺野古の基地の建設を、もし許してしまうと、
これから先、アメリカが世界中で引き起こす戦争に、米軍だけでなく自衛隊までが一緒になって、「新しい辺野古基地」から戦闘機が、オスプレイが、戦艦が、世界中の戦場に出かけていくことになるのです。

市民の抵抗~ヘリは私たちの上を飛ぶな!

市民の抵抗~私たちの上を飛ぶな!

これまでの70年でも耐えがたいのに、さらに100年、200年も「悪魔の島」と呼ばれ続けるのでしょうか、沖縄は!
それは絶対にイヤ!です。私たちは加害者にも被害者にもなりたくありません。沖縄の人々が望んでいるのは、代々先祖から受け継いだ海と山の豊かな自然の恵みをいただいて、静かに平和に暮らしたい、ただそれだけなのです。

7月1日、ゲート前の座り込みはまる一年を迎えます。その前に普天間のゲート前では、オスプレイの配備に反対してもうすぐ3年、ヘリパット建設に抗議する東村高江では8年、辺野古浜のテントでは、地元のお年寄りが抗議の座り込みを始めてから18年が過ぎました。
こんな理不尽は、もう終わりにしましょう。

2015年6月22日リンクURL