8年(2639日)+ 6429日の闘い続く 浜のテント から ~ 11月24日の辺野古

 昨日(水)の辺野古は平和市民連絡会の担当日で、私も参加した。

  朝7:00、与儀公園前のバス停で、辺野古行きのバスを待っていると、公園の芝生でエサをついばむ鳩の群れに、一羽の白い鳩発見。

 見ているとどうやら、この白い鳩が群れのボスのようだ。群れの全部が、白い鳩に合わせて一斉に同じ方向に動いている。

 鳩は平和の象徴。幸先いい朝の風景に思わずカメラを向けた。今日は何かいいことありそう!!と、元気が出る!

沖縄自動車増道に向かって走っていると、ちょうど日の出の時刻だったようだ。

 昇る朝日も大きく、明るく、ますます元気が出る!!

 8:15 辺野古到着。今日も抵抗の一日が始まる。まず、第一回目の9:00は30数名が座り込む。

 

 一回目の座り込みが終了し、休憩に入ったところで、県外から参加した友人を案内して、久しぶりに浜のテントを訪れた。

 辺野古漁港のたもとにある浜のテント村は、左の写真の看板にある通り、普天間基地の辺野古移設が出はじめたころから、地元のおじぃ・おばぁたちが座り込んで抗議したことに始まる場所である。

 抗議行動の現場がゲート前に移ってからは、県外からはじめて参加する人や、修学旅行やその他の平和学習に来た人たちが、辺野古の闘い全般について学ぶ場所になっている。しかし、この2年近くはコロナ禍で閉鎖状態が続いていた。緊急事態宣言が明けたこの11月から再開されたばかりだ。 

      

 テントの中はまだ閑散としていたが、スタッフ(地元の人)が、ただ一人の訪問者に、丁寧に闘いの経緯と現状を説明してくれた。 

 浜のテントからは、工事が進む西側の堤防の様子を見ることが出来る。テトラポットだらけになって、分断された辺野古の海がすぐそこに見えた。 

 かつては、数本の鉄条網がコロコロと転がされているだけで、またいで向こう側にも行けた基地との境目に、いまは強固なコンクリートの土台にフェンスが取り付けられ、砂浜をも分断している。浜はフェンスで仕切れても、海に境目は作れない。限りなく周辺の海域に汚染・環境破壊が広がっている。

 ゲート前に戻るとテントスタッフが、現在の工事の状況を説明しているところだった。「埋め立ては工事が始まって3年間でまだ9%未満。それから換算するとあと、大浦湾側の難工事を勘定に入れなくても、あと30年余かかる計算になる。こんな公共工事は有り得ない」と。

 今日2度目の座り込みに入ったところで、劇団文化座のメンバーから、来年2月の公演で、瀬永亀次郎さん、阿波根昌鴻さんをテーマにした演劇「命どぅ宝」を上演すると報告が行われた。

 この後私は午後からの別日程のため、辺野古を後にした。

 

<速報>

 玉城デニー知事は、今日(25日)午後5時半から記者会見を行い、国が行った辺野古新基地建設の「設計変更不承認」の方針を発表する。

 

 

2021年11月25日リンクURL

子どもに安全な水、次世代に豊かな自然と島の暮らしを! ~ 有機フッ素化合物・PFOS汚染抗議集会

 23日(火)は、嘉手納町の防衛局前で開催されたPFOS汚染抗議集会に参加した。時間的余裕がないので、集会のアピール文と主に写真を紹介して報告としたい。

 集会は、100人余が参加して海勢頭豊さんのミニコンサートで始まり、今回有害な有機フッ素化合物が高濃度で検出され問題となった北谷浄水場から水道水の供給を受けている那覇市をはじめ中部市町村からの現状と行動計画の報告、環境専門家や国会議員などからの問題提起など、約2時間にわたって行われた。

 

  各地でこの問題に取り組む人たちは、汚染元の基地内へ調査で立ち入る許可を求めていることと、市民の全員の、それが無理ならせめてせめて子供たちの健康調査を実施するようするよう、国や県、市町村に求めているが、まだ何も実現していない。

 集会の最後は、毎週普天間基地野嵩ゲート前でゴスペルを歌って米兵たちに共感を訴えている「ゴスペルを歌う会」の皆さんの歌で締めくくられた。

 会場への行き帰り嘉手納基地の横を通る。延々と続く金網に広大さを改めて思うととともに、基地の周辺は電線・電柱がなく、空が広いことに気づいた。本来「この空は私たち住民のものだ!」と、大きな声で叫びたくなる。

 

 

2021年11月25日リンクURL