シリーズ「9条の碑」② 南風原町の「九条の碑」

今日は憲法記念日。全国各地で憲法講演会など記念行事が開催されている。あなたはどう過ごされただろうか?

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南風原町の9条の碑

 

南風原町の「九条の碑」
南風原町黄金森(クガニムイ)に建っている。黄金森は、日本軍の陸軍病院壕があった場所である。

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病院壕には嘉数高地の戦闘で負傷した兵士が連日トラックに満載されて運び込まれた。負傷兵士を懸命に看護したのが、この地で結成された県立第一高等女学校、師範学校女子部の生徒たち「ひめゆり学徒看護隊」であった。
碑は、『政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないやうに決意した「憲法9条」の改悪を、絶対許さない強いメッセージを表明して重石を載せ』てある。(デザインは新垣安雄氏)<青文字部分は「沖縄9条連ニュースより転載>

 

現在、陸軍病院壕は、平和学習などで訪れる人たちが中に入れるよう一部整備・開放されている。南風原文化センターのなかにある壕のなかの実物大模型(二段ベッドなど)や、資料などを見学した後実在に壕の中に入ると、より当時の状況が理解できる仕組みになっている。

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平和の鐘~両手を合わせて祈る形をデザイン化

 

その壕の入り口近くに広場があって、「9条の碑」は、「平和の鐘」などのモニュメントなどと共にここで訪れる人をまっている。シリーズ①で紹介した「読谷の9条の碑」と同じく「南風原町の9条の碑」も、行政が関わって建立され、現在も行政が管理している。沖縄ならではの特徴といえる。

 

南風原文化センターで、陸軍病院壕の案内を依頼すると、ここを拠点に活動する「南風原平和ガイドの会」の人たちが詳しく説明してくださるので、ぜひ一度は足を運んでほしい場所である。

ひめゆり学徒が詠んだ歌

ひめゆり学徒が詠んだ歌

2015年5月3日リンクURL

5月1日の辺野古

今日は友人の車で 6時前に辺野古へ到着すべく
4時45分那覇を出発。

早朝のゲート前は肌寒く(と言っても20度)、大浦湾の方角から
赤い大きな太陽が昇ってきた。
朝日に向かって「今日も、けが人や拘束者を出すことなく、無事行動が貫徹できますように」と、思わず祈らずにはいられない。

宿泊組の人たちから前夜の状況を聞くなど、軽くミーテイングをして
さっそくゲート前での抗議行動に入った。

海上保安庁や防衛庁の職員が入っていく第二ゲート、
工事車両が入っていく第一ゲートの二手に分かれて
基地の中に入っていく車両に対して監視、抗議行動を行う。

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基地で働く人たち、米兵などの出勤時間である朝7時から8時半が
抗議行動としては一番厳しい時間帯だが、
また一番支援の人たちが少ない時間でもある。
警備や機動隊に囲い込まれて、分断され、結局排除される。
それでも、何度でも何度でも繰り返し繰り返し立ち向かっていくしかない。

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機動隊に守られて、基地内に入っていく工事車両

機動隊に守られて、基地内に入っていく工事車両

 

 

 

 

 

 

 

そのうえ、最近は右翼の街宣カーが、大音量で市民の抗議行動を妨害にやってくるようになった。

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右翼とは、国粋主義者であるはずなのに、

どこでどう間違えたのか、アメリカの国家を流し、
米軍基地の建設を応援する。

 

私などは、週に一度来るのが精いっぱいなのに
この早朝の時間に毎日来る人たちや
何日も泊まり込みで24時間辺野古で過ごす人たちがいることに
頭が下がる。

ゲート前が一番賑やかになるのはお昼前から午後3時過ぎまで。
この日も、那覇と読谷村から島ぐるみ会議の貸し切りバスで
大勢やってきた。

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デモあり、歌あり、踊りあり、ユニークなパフォーマンスありの一日だった。

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座り込みテントの前には、新たな花壇ができ、花が植えられた。

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不屈の座り込みは、今日5月2日300日を迎える。

2015年5月2日リンクURL