辺野古新基地建設・代執行は憲法違反 ~ 10月9日の辺野古

 前夜の最終便で長野・東京から沖縄に戻り、自宅に辿りついたのが午前零時少し前、何とか起きることはできたものの、乗り物酔いと睡眠不足で足元ふらつきながら午前五時前起床、身支度を整えて、いつもの通り辺野古へ向かう。       

 

 

 

 

 

 

 

 辺野古へ着くと、今日も嬉しい差し入れが待っていた。バナナと箱いっぱいのシークワーサー。枝付もある。いずれも自宅の庭で育ったもの

 辺野古では、毎日の抗議行動はしんどくても、こうしてそれぞれが持てるものを持ち寄り、お互いに思いやる気持ちがあふれていて、28年も続く闘いの原動力となっている。

 いつもの風景で「見飽きた!」という方もいらっしゃるかもしれないが、目をそらさないで見ていただきたい。

 この日は、辺野古新基地に反対する市民グループが訴えた「辺野古住民訴訟」の裁判があり、原告適格が認められた辺野古住民が証言をすることになっている。

 住民の1人、金城武政さんが裁判の意義などを訴えた。

 

 ほぼ毎月沖縄を訪れ、辺野古へ来て下さる内田雅敏弁護士は「県民投票など、民意を無視した辺野古埋め立て・代執行は憲法違反」と断言した。

 

 私たちと共に座り込み、県警に排除される内田弁護士。


 

 

 

 


 先週に続いてダンプ、ミキサー車の五月雨搬入が続き、だらだらと1時間もかかった。

 キャンプ・シュワブの金網の外から見える場所に、ゲート以外に建物は何もなかった。この10年の間に、海側にあった建物がすべて壊され、ゲートの周辺が新築の建物で埋め尽くされた。


 

 

 

 

 

 

 

 10月10日は、沖縄戦米軍上陸の前哨戦・ 那覇大空襲から80年、私の父方の祖父も10・10空襲で亡くなった。

2024年10月10日リンクURL

いくつもの国際機関が注目!~ 今日(10月2日)の辺野古

 台風接近で悪天候を覚悟して辺野古へ向かう。

 車中、先日、急病で亡くなったうるま市島ぐるみ事務局長の葬儀の報告があり、数々の市民運動を牽引して来た素晴らしいリーダーを失い、このところ、活動仲間のケガや病休訃報が相次いていることもあって、しばし暗い気持ちになった。

 辺野古が近づいてくるに従い、雨がちらついてきた。雨具を装着して下車。

 雨がちらつく中、気を取り直して、9時一回目の座り込み。

 座り込みは、まず歌で気持ちを盛り上げて機動隊に対峙する。いつも元気な歌のリーダーが、途中声を詰まらせた。亡くなった仲間への思いが込み上げて、歌えなくなったのだ。素早く別の人がバトンタッチした。そういえば亡くなった方は、バリトンのすばらしい歌声の持ち主だった。



 

 

 

 

 

 

 

 

 

 気のせいか、今日の機動隊は、かなり乱暴だ。

 工事資材を搬入するダンプも、先週以上に五月雨搬入で、だらだらと1時間近く続いた。座り込み開始からすると1時間半。高齢者には、体力的にかなり堪える。

  11時すぎ、メインゲートの中が何やら騒々しい。軍警や銃を構えた兵士が、中に入る車を厳しくチェックしている。何か事件でもあったのか? 

 正午前、2回目の座り込み。

 

 お昼を済ませた後、環境の観点から辺野古の問題に取り組んでいる吉川秀樹さんが最新情報を報告。

 「米連邦議会の会計監査院に対し、グアムの議員が辺野古新基地建設の問題点を取り上げ、ちゃんと調査するよう要請。会計監査院で取り上げられる可能性が出てきた。

 また、国連の環境部会でも辺野古のジュゴンや海洋生物への影響が懸念されるとして、日本政府に問題点を指摘、調査報告をするよう勧告がなされたが、日本政府は無視している。

 さらに国際自然保護連合も辺野古の問題を重視、いくつもの国際機関が、辺野古に注目している。少し時間はかかるが、沖縄の側からも、さらに各国際機関に対し、働きかけを強めていきたい」と、語った。

 3回目の座り込みは、一転して炎天下。雨具が日傘に変わった。台風はどこへ行ったのだろうか?   

 

 

 

 

今日もなかなか厳しい1日だった。いつもより30分以上遅れて那覇に戻ってきた。

 今週末は毎月第一土曜日に行われる県民大行動日。先月は台風で中止になったので2カ月ぶりの開催となるが、私は、長野県に出かける予定があり、参加できない。

 

 

 

 

2024年10月2日リンクURL

平和がいちばん ~ 9月25日(水曜日)の辺野古

 6:25分に自宅を出て、7:00県庁前出発の貸し切りバスに乗って辺野古へ行くのが、毎週水曜日の私のルーティンである。

 小雨の中那覇を出発。高速に入り沖縄市辺りまでは雨が降っていたが、北上するにつれ青い空が覗くようになり、辺野古に着くころ(8時20分過ぎ)にはすっかり雨はあがっていた。

 バスを降りて100㍍ほど先のテントまで歩くが、美しい琉球松の並木が続く。道路の右も左もキャンプ・シュワブである。 

 9:00の第一回目は20人余で座り込んだ。座り込んで間もなく、気が付いたのが、門の左右に人型の看板。はて?人手不足を補うためかな?と思っていると、顔の部分はちゃんと立体になっていて、口の部分から声が聞こえてくる。いつもは防衛局の職員がメガホンでがなり立てているセリフだ。防衛局の職員は、いつも通りちゃんといるというのに、なんで? 予算が余っているのか?辺野古予算は底なし、使い放題。使えば使うほど次から次と追加してくれるから、使わないと損だもんね。(庶民は3食を2食に減らさなければ暮らせないほど困っている人がいっぱいいるというのに…いいはずよ!)

 工事車両の搬入は、毎日9時と正午、15時の一日三回、まとまって一気に入る。しかし、今日は少し様子が違っていた。

 30台ほど入ったかと思えば、3分ほど途切れて10台、また3分途切れて20台とだらだら何度も繰り返し、入り終わるのにいつものは倍近い時間かかった。

 さらに、ゲート前で監視しているスタッフによると。今朝はみんなが来る前の早朝6時に、一回目の搬入があったという。工事の遅れを取り戻そうとする、沖縄防衛局の焦りだろうとのこと。この状況は、先週の金曜日からはじまったそうだ。

 

 

県警「立ち上がって移動してください」                市民「・・・」                           県警「立ち上がれないなら運びましょうか?」             市民「・・・」                           県警「自分で移動して下さい」                    市民「嫌です!」

「それでは」と言うので、4人がかりで舗道まで運んで行った。

 私たちを排除してゲートをくぐっても、さらに不審物は積んでいないかチェックする関門があるため、検査に時間がかかり基地内で渋滞するダンプの列。

 今月に入り、注意していないと気付かないほど少しづつゲート前の様子が変わってきている。何か変だ!

 自民総裁選も、立民代表選も、誰に変わろうと辺野古に関しては期待できることはほとんどない。がっかりする。沖縄自らが頑張らないと…と、決意を新たにした。

 座り込みからテントに戻ると、冷た~い沖縄ぜんざいの差し入れが待っていた。美味しい~!(押し麦が入っていないと正確には沖縄ぜんざいとは言わないそうだが、ま、細かいことはいいんじゃない!)。ゲート前コーヒーの喫茶も開店の準備をしていた。

 

 この後水曜日名物豪華ランチバイキングもあるが、私は午後から別日程があるため、後ろ髪をひかれる思いをしながら、お昼前に辺野古を後にした。

 

  

                                 

2024年9月26日リンクURL