ベランダは花盛り

なぜか今年は野山も、家庭の花壇も花々が格別美しい
月桃ゴールデンシャワーもきれいだったし、イジュの花も例年になくたくさん咲いたように思う。
街路樹のホウオウボクもいまだに燃え盛っている。

我が家のベランダも花盛りです。

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カミサシランが、たくさん花をつけてくれました。
例年は2~3個ですが、今年はすでに一房はさき終り
現在2房が満開、さらに3個のつぼみが、開くのをまっています。

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こちらはアデニューム。一枝に30個近くの花をつけています。まるでおしくらまんじゅうでもしているみたい。

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つつましやかに咲いているのは茉莉花です。

DVC00001.JPGおなじみのサンピン茶に入っている花は、この茉莉花を乾燥させたものです。とてもいい香りがします。
生の花ももちろんいい香りがします。
私のお気に入りの花(香り)です。

この他、先に紹介したサボテンもそうだし、ハマユウもすでにしぼんでしまいましたが、優雅な姿を見せてくれました。

写真はいずれも2週間ほど前のものです。書かなければならないことが多すぎて、タイミングよく花だよりがアップできていない…。

2016年6月28日リンクURL

米国人の青年「責任を感じる…」~今日(6月24日)の辺野古

DVC00009.JPG 早朝の足(車)が確保できなかったので、今日は久しぶりに島ぐるみのバスで辺野古へ。
島ぐるみバスは、楽ちんでたのしいが、ゲート前が一番厳しい出勤時の米軍車両阻止行動に間に合わないのが残念。

11:20、ゲート前のテント村に着くと、入れ替わるように2台のバスがでていくところだった。関西から9条運動関連の仲間たち90人が、座り込みに参加したそうだ。

島ぐるみバスで、那覇から一緒に一人の米国人青年が来た。

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日本在住14年。現在名古屋に住み、平和運動や原発反対の活動にも参加しているという。
初めて来た沖縄で、「このように広大な米軍基地を、目の前で見たのははじめてだ。アメリカは世界中でたくさんの国に迷惑をかけている。米国人として、恥ずかしい。責任を…感じる…」と、声をつまらせながら、話した。これから数日間リュック一つで沖縄各地を回り、沖縄の人たちと触れ合いたいと、最後には笑顔を見せた。

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この日は、修学旅行の高校生が二組も辺野古を訪れた。
島根県の高校生21人。ステキなハーモニーで歌を歌ってくれた。アンコールの声に応えて、ビギンの「島人ぬ宝」を、みんなで一緒に歌った。この高校は毎年、沖縄へ平和学習にきている学校である。

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大阪の高校生は8人。「ここに来るまで何も知らなかった。テレビや新聞でみていてもよそ事だと思っていた。一時間ここに座っていて、皆さんの話を聞き、自分たちの将来にも関わることだと実感した。帰ったら家族や学校の後輩たちにも伝えたい。そして、自分たちにできることは何かを考え、行動していく。共に頑張りましょう!」と、力強く決意を表明。
頭の柔らかい若者たちは、心に響くものがあり納得すれば、すぐに変われる。頼もしい。

基地の中にも花は咲く。

DVC00017.JPG <アカバナー(沖縄在来のハイビスカス・仏桑華)>

2016年6月25日リンクURL

慰霊の日に改めて平和を誓う

慰霊の日、 県主催の全戦没者慰霊祭に、今年も安倍総理が(100人もの東京警視庁機動隊に守られて)出席した。
どの面下げて沖縄に来れるのかと毎回思うのだが、それ以上に、総理の「あいさつ」の白々しさは、
「県民の心に寄り添い」などと、よくも心にもないことがあそこまで言えるものだと、怒りを通り越して感心する。

人間としての赤い血が通っていない言葉だから、「白々しい」と言うんだね。言葉の意味がよ~く分かったよ。ソーリのおかげで。

DVC00061.JPG           <市民グループは魂魄の塔にお参りして戦没者に手を合わせる>

DVC00007.JPG          <沖縄戦の全戦没者24万人余の氏名が刻まれた平和の礎(いしじ)

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平和の礎に刻まれた家族の名前を、愛しそうに手でなぞりながら、涙する人々。71年も経つのに戦争で亡くなった人たちへの哀惜の思いは少しもうすまらない。
いまだ戦争が終わっていないような基地の島・沖縄の現状が、これでもか!これでもかと県民の心の傷をえぐり返し、深くするばかり。

翁長知事の平和宣言で、やっと心の平衡を保つ。

平和宣言(全文)

太平洋戦争最後の地上戦の行われた沖縄に、71年目の夏が巡ってまいりました。

 沖縄を襲った史上まれにみる熾烈(しれつ)な戦火は、島々の穏やかで緑豊かな風景を一変させ、貴重な文化遺産のほとんどを破壊し、二十数万人余りの尊い命を奪い去りました。

 私たち県民が身をもって体験した想像を絶する戦争の不条理と残酷さは、時を経た今でも忘れられるものではありません。

 この悲惨な戦争の体験こそが、平和を希求する沖縄の心の原点であります。

 戦後、私たちは、この沖縄の心をよりどころに、県民が安心して生活できる経済基盤を作り、復興と発展の道を懸命に歩んでまいりました。

 しかしながら、戦後71年が経過しても、依然として広大な米軍基地が横たわり、国土面積の0・6%にすぎない本県に、米軍専用施設の約74%が集中しています。

 広大な米軍基地があるがゆえに、長年にわたり事件・事故が繰り返されてまいりました。今回の非人間的で凶悪な事件に対し、県民は大きな衝撃を受け、不安と強い憤りを感じています。

 沖縄の米軍基地問題は、我が国の安全保障の問題であり、日米安全保障体制の負担は国民全体で負うべきであります。

 日米安全保障体制と日米地位協定の狭間(はざま)で生活せざるを得ない沖縄県民に、日本国憲法が国民に保障する自由、平等、人権、そして民主主義が等しく保障されているのでしょうか。

 真の意味での平和の礎(いしずえ)を築くためにも、日米両政府に対し、日米地位協定の抜本的な見直しとともに、海兵隊の削減を含む米軍基地の整理縮小など、過重な基地負担の軽減を先送りすることなく、直ちに実現するよう強く求めます。

 特に、普天間飛行場辺野古移設については、県民の理解は得られず、これを唯一の解決策とする考えは、到底許容できるものではありません。

 一方、世界の国々では、貧困、飢餓、差別、抑圧など人命と基本的人権を脅かす、多くの深刻な課題が存在しています。

 このような課題を解決し、恒久平和を実現するためには、世界の国々、そして、そこに暮らす私たち一人一人が一層協調し、平和の創造と維持に取り組んでいくことが重要であります。

 私たちは、万国津梁(しんりょう)の鐘に刻まれているように、かつて、アジアや日本との交易で活躍した先人たちの精神を受け継ぎ、アジア・太平洋地域と日本の架け橋となり、人的、文化的、経済的交流を積極的に行うよう、今後とも一層努めてまいります。

 戦争の経験が息づく沖縄に暮らす私たちは、過去をしっかりと次の世代に継承し、平和の実現に向けて貢献を果たす上で大きな役割を担っているのです。

 本日、慰霊の日に当たり、犠牲になられた全ての方々に心から哀悼の誠を捧げるとともに、平和を希求してやまない沖縄の心を礎として、未来を担う子や孫のために、誇りある豊かさを作り上げ、恒久平和に取り組んでいく決意をここに宣言します。

 平成28年6月23日

  沖縄県知事 翁長雄志(おながたけし)

 

 

2016年6月24日リンクURL