‘23慰霊の日点描⑶ ~ 平和の詩 「今、平和は問いかける」

 ことしの「平和の詩」に選ばれたのは、那覇市にある私立つくば開成国際高校3年生の平安名 秋さんの詩「今、平和は問いかける」

 平和の礎に刻まれた兄の名を、涙しながら愛おしく指でなぞる祖母の姿から「平和」を問う。

「今、平和は問いかける」

夏六月
溶けかけたアイスを手に走り出す
緑萌ゆるこの島の昼下がり

礎に刻まれた「兄」に
まるであの日のように
そっと触れるおばぁの涙は
陽炎が登る摩文仁の丘に
ただ果てしなく広がっていく

その涙は体を包み込み
私を「あの日」へといざなう

限りないこの空は
何を覚えているのだろう
涙に満ちたおばぁの瞳は
何を語りかけているのだろう

七十八年前の
あの日
あの時
かけがえのない
たったひとつの命が
憎しみと悲しみの中で
散っていった

名も無き赤子の
微かな
微かな泣き声は
震える母の手によって
冷たく光の無いガマの中で
儚く消えていった

幾多もの砲弾が
紺碧の海を黒く染める鉄の嵐となって
この島に降り注いだ

戦争が起きる前
そこには日常があった

私達と同じように
原っぱを駆け回り
友達とおしゃべりをする
みんなで暖かいご飯を食べ
時には泣き
時には笑い
時には「ありがとう」を伝える
 
そんな今と変わらない日常が
平和が
そこにはあった

平和は不確かで
脆く崩れやすい
いつもすぐそばにあるのに
いつのまにか消えていく

おばぁの涙は
摩文仁の丘に永遠(とわ)に灯る平和の火は
今、私達に問いかける

平和とは何かを
私達に出来ることは何かを

私は過去から学び
そして未来へと語り継いでいきたい
おばぁの涙を
沖縄の想いを

かけがえのない人達を
決して失いたくはないから

今日も時は過ぎていく
いつもと変わらずに

先人達が紡いできた平和を
次は私達が紡いでいこう

そして世界に届けていきたい
平和を創り
守っていく
この沖縄の「チムグクル」を

 

2023年6月25日リンクURL

‘23慰霊の日点描⑵ 知事平和宣言 ~ 平和への思い・決意新たに

 1945年、今から78年前、ここ沖縄で一般住民を巻き込んだ悲惨な地上戦が繰り広げられました。

90日に及ぶ鉄の暴風は島々の山容を変え、豊かな自然と文化遺産のほとんどを破壊し、20万人余りの尊い命を奪い去りました。

沖縄県民は、地上戦だけではなく、南洋諸島からの引き揚げ船の撃沈や、学童疎開船の犠牲、10・10空襲、学徒の動員、戦争マラリアなど、想像を絶する被害を受けました。

毎年、6月23日を迎えるたびに、戦争体験者が戦争の不条理と残酷さを、後世に語り継いできてくれた実相と教訓を胸に刻み、あらゆる戦争を憎み、二度と沖縄を戦場にしてはならないと、決意を新たにするのです。

戦後27年に及ぶ米国統治を経て、1972年に本土に復帰してから51年となりました。

しかしながら、現在もなお、在日米軍専用施設面積の約70.3%が本県に集中し続け、航空機騒音をはじめ、水質や土壌等の環境汚染、航空機事故、米軍人・軍属等による事件・事故など、県民生活に様々な影響を生じさせています。

このため沖縄県は、在沖米軍基地の更なる整理・縮小、日米地位協定の抜本的な見直し、普天間飛行場の一日も早い危険性の除去と早期閉鎖・返還、辺野古新基地建設の断念等、基地問題の解決を強く求め続けてまいります。

昨年12月に閣議決定された「国家安全保障戦略」、「国家防衛戦略」及び「防衛力整備計画」においては、沖縄における防衛力強化に関連する記述が多数見られることなど、苛烈な地上戦の記憶と相まって、県民の間に大きな不安を生じさせており、対話による平和外交が求められています。

ロシアによるウクライナ侵攻から1年4か月が経過しようとしており、現在も憂慮すべき事態が続いております。

沖縄県民は、国際社会の連帯と協力による一日も早い停戦が実現し、平穏な生活を取り戻せることを切に願っております。

今ある命、今に残る文化、自然環境、これらを未来を担う子や孫達に受け継いでいくことが、人々が共有する願いであるということを確かめ合ってまいりましょう。

アジア太平洋地域における関係国等による平和的な外交と対話による緊張緩和と信頼醸成、そしてそれを支える県民・国民の理解と行動が、これまで以上に必要になってきています。

私たちは、アジア太平洋地域における観光、経済、環境、保健・医療、教育、文化、平和など多分野にわたる国際交流を通じて、沖縄県が築いてきたネットワークを最大限に活用した独自の地域外交を展開し、この地域における平和構築に貢献できるよう努めてまいります。

沖縄県では、ここ平和祈念公園に、「沖縄県平和祈念資料館」と「平和の礎」を建設し、戦争の犠牲になった多くのみ霊を弔い、沖縄戦の歴史的教訓を正しく次世代に伝え、世界の恒久平和を願い続けております。

民間においても、幅広い世代による平和への行動が様々な場面で行われており、平和を願う輪が広がっています。

また、平和につながる身近な社会貢献活動に光を当てた「ちゅらうちなー草の根平和貢献賞」や「沖縄平和賞」を通して、平和を希求する「沖縄のこころ」を世界に発信するとともに、沖縄がアジア太平洋地域の国々との架け橋「万国の津梁」となることを目指しております。

非暴力の信念を貫いたガンジーは「平和への道はない、平和こそが道なのだ」という言葉を残しています。

「平和」とは、戦争や紛争のない状態にとどまらず、貧困、暴力、人権の抑圧、差別、環境破壊等がない、安らかで豊かな状態であり、本県が発信する「沖縄のこころ・チムグクル」には、人間の尊厳を何よりも重く見る「人間の安全保障」も含まれています。

沖縄県は、全ての人への不当な差別は許されないことを宣言するとともに、人々が互いに人格と個性を尊重し合いながら共生する誰一人取り残すことのない優しい社会の実現に全力で取り組んでまいります。

私たち一人一人が平和について考え、沖縄から世界へ平和のバトンをつなぎ、核兵器の廃絶、戦争の放棄、恒久平和の確立に向け絶え間ない努力を続けてまいります。

<うちなぁぐち>                                     沖縄ぬ人々が幾世代かきてぃ生活ぬ指針にっし育てぃてぃちゃる相互ぬ相違ぬ在し尊重じ合いる肝心、生命大切にする心持ち(命どぅ宝)、平和時代求めいる人々同志ぬ連結心。

戦争ぬ悲惨んかい体験てぃちゃる被災者からぬ未来んかい向かてぃぬ教訓、次世代んかい伝承てぃいちゅしが私達ぬ使命やいびーん。

万人が今、あんし未来んかいぬ幸福とぅ安息とぅそーてぃ希望ぬ持参りーる時代共なてぃ築上ちいちゃびらな。

We, the people of Okinawa, have long cherished the spirit that appreciates the diversity in each and everyone of us. We have always known in our souls that it is life, itself, that is more important than any treasure. We are united, as a people, by the longing for peace.

We sincerely believe that it is our noble mission to bear witness to the painful lessons from the countless war experiences and to pass on these messages to future generations.

Let us endeavor to build a society where all people are able to imagine happiness and eternal peace for everyone, for now and forever.

 本日、慰霊の日に当たり、国籍の区別なく犠牲になられた全てのみ霊に心から哀悼の誠を捧げるとともに、先人達から語り継がれてきた平和の尊さを伝え続け、未来を生きる子や孫達のために、よりよい沖縄の未来の創造を目指し、全身全霊で取り組んでいく決意をここに宣言します。


(※沖縄ことば及び英語の訳)

沖縄の人々が培ってきたお互いの違いを認め合う心、命を大切にする心(命どぅ宝)、平和を求める人々とつながる心。

戦争体験者からの未来への教訓を次の世代へ伝えていくことは私たちの使命です。

全ての人々が今、そして未来に幸せと安息を夢描くことができる世の中を共に築いていきましょう。

 

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‘23慰霊の点描⑴ 平和とは程遠い光景 ~ 沖縄全戦没者追悼式

  4年ぶりに一般参加者を受け入れての、県主催「戦没者追悼式」に、県外から来た友人を案内して、レンタカーで摩文仁の平和祈念公園に向かった。

 摩文仁が近づくにつれて、ものものしく目を光らせる警察官が、1メートルおきに立って人々を規制。昨年よりさらに周辺警備が厳しく、許可車両以外は平和祈念公園に近づくことさえもできない。この殺伐とした光景は「平和」とは程遠い。悲しい日本社会の今を見せつけられた。

 平和記念公園から車で5分ほどの臨時駐車場に誘導され、そこからシャトルバスで会場に運ぶシステムになっていた。

 公園入口の十字路で、平和市民連絡会の仲間たちが、岸田総理の参加に抗議してスタンディングを行っている。バスの窓から手を振ると、何人かが応えてくれた。

 後で知ったが、抗議行動が終わって、メンバーの一人がトイレにと向かうと、数名もの警官がぞろぞろとついて来て、途中3度も持ち物検査をされたという。

 そんなこんなで時間がかかり、会場に着いたのは式典が始まる1時間前。今度は会場入り口で、空港の手荷物検査のようなチェックを受けた。見ているとバッグやリュックを開け、中の小さなポーチなどもいちいち開けて見る。ひとり5分もかかった。

 昨年まではコロナ禍で、招待者以外一般県民は参加できなかったが、それでもロープで仕切られただけだったので、外から式典の様子を見ることが出来た。今年はぐるりとテントが張りめぐらされ、外からは一切中が見えない。何のための、誰のための慰霊祭だろうか?これでは県民からも敬遠されるだろう。

 すぐ隣の「平和の礎」周辺は、お参りする県民であふれていたが、大型テントの下、用意された席もかなりの部分がうまらず、空いたイスが何か虚しい。 

 デニー知事と並んで会場入りする岸田総理。私が座った席が演壇からかなり遠く、平和宣言を読み上げるデニー知事や、平和の詩の児童の姿をカメラでとられることはできなかった。(玉知事の平和宣言、児童の平和の詩は、別項で紹介する)

 それらしく官僚が書いたであろう文章をただなぞるだけの、岸田総理の白々しい式辞を聞きながら、私は何度も「うそつけ!」と、心の中で叫んでいた。

 

 この日は摩文仁だけでなく、県内各地に建立されたいくつもの慰霊碑で「追悼式」、「慰霊祭」が行われた。

 愛する家族、親せき、友人、「あの戦(いくさ)さえなかったら…」と、戦争で理不尽にも奪われた命への哀惜は、何年経っても癒えることは、ない。

 

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