がってぃん ならん!

 

がってぃんは<合点>
合点できない、納得できないの意
それだけではなく、そこには、「絶対に許せない」という強い気持ちが込められている。

政府が開催した「4・28主権回復の日記念式典」に抗議して
沖縄県民が開いた集会の合い言葉である。

がってぃんならん 4・28大会

ゴールデンウィークにもかかわらず1万人以上の人々が詰めかけた。
会場に入りきらない人々が、周辺の広場や木立の影で暑さをさけながら、会場からもれてくるマイクの声に耳を傾け、拍手を送っていた。

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壇上に顔をそろえた発言者たちから

次々に、語られる「日本」の「沖縄」に対する理不尽な仕打ち。

辺野古を抱える名護市の稲嶺市長は

「”ならんしぇならん(ならぬことはならぬ!)と声を上げよう。DVC00238.JPG

黙っていることは、認めることなる」

 

女性代表の伊志嶺雅子さんは

「4・28で切り捨てられた沖縄で、

米兵に辱めを受け、傷つけられ、殺された女性・子どもは多数にのぼる。DVC00241.JPG

しかし、米軍の占領下では、加害者の米兵は処罰されることはほとんどなかった。

許せないのは、この情況が今でもほとんど変わらないことだ

 

父親が集団自決の生き残りという座間味村の村議会議長の中村秀克さんは

「復帰後、同級生の母親が米兵の車にひかれて死亡したがDVC00235.JPG

加害者の米兵は無罪になった。

今も差別的な安保条約・地位協定が残っている以上、

日本は主権国家ではない。

 

戦時中、学徒動員され看護隊として日本軍傷病兵の手当に従事した

白梅学徒隊の中山きくさんはDVC00243.JPG

「この同じ時間に政府の式典が行われていることに

不条理と無念さを感じている。

61年間の沖縄の苦悩を全く顧みない歴史認識を欠いた

心ない行為だ。これ以上の沖縄差別は許されない

 

若者代表、中部地区青年団協議会の若者たちは

4・28を知らなかった若者たちも壇上に

4・28を知らなかった若者たちも壇上に

「正直に言うと、4・28が屈辱の日と呼ばれるようになったいきさつを

知らなかった自分たちがいることにショックを受けた。

これを機会に、自分たちのような若者たちに

少しでもこの事実を知って貰いたいと、この壇上に上がることを決めた。

これからみんなで沖縄、日本の未来を考えるきっかけにしたい」

 

大会の模様を地元紙は、以下のように伝えた。(琉球新報)

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地元紙の記事
(29日 琉球新報)

 

 

地元紙の記事 (29日 琉球新報)

地元紙の記事
(29日 琉球新報)

 

 

 

 

 

 

 

2013年4月30日リンクURL

あんまー ②

前に「あんまー」のタイトルで書いたら 東京の友人をはじめ
何人かから かりゆし58が唄う「あんまー」という歌が好きだと
メールや電話を貰いました。

実は「あんまー」を書いたとき
私も かりゆし58の「あんまー」の歌詞を是非紹介しようと
日記を書き始めたのでした。

しかし、余りにも文章が長くなりすぎるので、心残りを振り切ったのです。
あぁ!やっぱりあのとき紹介すべきだった!と
いまさらながら思います。                   DVC00004.JPG

タイミングは少し、いやだいぶずれますが紹介します。

 

 

あんまー          
                          作詞:前川真悟  作曲:前川真悟  歌:かりゆし58

初夏の晴れた昼下がり 私は生まれたと聞きました
母親の喜びようは大変だったと 聞きました
「ただ真っ直ぐ信じる道を歩んでほしい」と願いをこめて
悩みぬいたすえに この名前を私につけたと 聞きました
我が家はあの頃から やはり裕福な方ではなく
友達のオモチャや自転車を羨ましがってばかり
少し困ったような顔で
「ごめんね」と繰り返す母のとなりで
いつまでも いつまでも泣いていたのを覚えています

アンマーよ アナタは私の全てを許し
全てを信じ全てを包み込んで
惜しみもせずに 何もかもを私の上に注ぎ続けてきたのに
アンマーよ 私はそれも気付かずに
思いのままに過ごしてきたのでした

「強さ」さの意味をはき違えて ケンカや悪さばかりをくりかえし
勝手気ままに遊びまわる 本当にロクでもない私が
真夜中の静けさの中 忍び足で家に帰ったときも
狭い食卓の上には 茶碗が並べられていました
自分の弱さに目を背け 言い訳やゴタクを並べ
何もせずにただ毎日を だらだらと過ごし続け
浴びる程に飲んだ私が 明け方眠りに落ちる頃
まだ薄暗い朝の街へ 母は出て行くのでした

アンマーよ 私はアナタに言ってはいけない言葉を
加減もせずに投げつけては アナタを踏みにじったのに
アンマーよ アナタはそれでも変わることなく
私を愛してくれました

木漏れ日のようなぬくもりで 深い海のような優しさで
全部 全部 私の全てを包み込んだ
アナタの背に負われながら眺めた八重瀬岳の夕日は
今日も変わらず 茜色に街を染める

度が過ぎるほどの頑固さも わがままも卑怯な嘘もすべて
すべてを包み込むような愛が そこにはありました
アナタのもとに生まれ落ちたことは こんなにも幸せだった
今頃ようやく気付きました こんな馬鹿なわたしだから

春先の穏やかな朝に新しい命が生まれました
アナタのように良く笑う宝石みたいな女の子
「優しさの中に凛々しさを秘めた人」になりますようにと願い
アナタのいちばん好きな 花の名前を付けました

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聞く者の胸に ひとつや二つは思い当たるような場面が満載、そんな歌詞が受けているようです。特に男の人には!

かりゆし58の唄 「アンマー」はYouTube の動画で聞くことが出来ます

2013年4月10日リンクURL

あんまー (お母さん)

赤ちゃんがいちばん始めに発する言葉は「お母さん」だと言われています。
もちろんそれぞれの国(民族)によって言語は違うわけですが

春ですね!

春ですね!

日本語では お母さん・かあちゃん
韓国では おんまー
中国語では まーま
イタリアでは マンマ
英語では ママ、マミー

うちなーぐちでは、あんまーといいます。(ただし、庶民階級の言葉)

言語は違えど、母を現す言葉の響きがとても似通っているのは不思議です。
言語学的な解釈はできませんが、決して偶然ではないと思います。

私の世代(団塊世代)では、もう母親をうちなぁぐちあんまーと呼んでいる人は
そんなに多くはありません。
ほとんどがお母さんだと思います。

でも、私の父や母は、祖母のことを日常的にあんまーと呼んでいました。

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印象深いのは、父方の祖母が晩年になって痴呆が進み、元気な頃は嫁姑として人並みに確執も少なからずあった二人ですが

毎日介護をしている嫁(私の母)を、あんまーと呼ぶようになっていったことです。

祖母は、97歳で逝きましたが
天寿が近づくにつれて子ども返りして、世話してくれる嫁を母親と思ったようです。
そんな二人の光景を思い出すたび、いまでも胸が熱くなります。

 

また、強烈な驚き、悲しみ、喜び、感動、怒りの場面で思わず声を上げるとき「アンマヨー!」と叫びます。英語ならさしずめ「オー マイ ガット!」というところでしょうか。                   このあんまよー!は「お母さん!」から来ていると思われます。

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赤ちゃんが生まれて初めて発する言葉がお母さん!で、喜怒哀楽の叫びもお母さん!

また、 戦場では、多くの兵士が「お母さん!」と叫んで死んでいったという話はあまりにも有名です。

魂が故郷に帰るとき口にする言葉も、やはりお母さん!だった。

偉大なるかなあんまー(お母さん)です。

2013年3月16日リンクURL