皆さん(沖縄・辺野古)の闘いにいつも励まされている ~ 今日(10月9日)の辺野古

 台風19号の影響が少し感じられる朝、いつものように7:00、バスで那覇を出発。時折り小雨がぱらつき、休憩で入った伊芸サービスエリアは、道路より山寄りの少し高い位置にあるので、木々がかなり揺れていた。

 8:20、辺野古に着くと九州平和フォーラムのメンバー20数名と、大阪からの女性グループ6人がすでに到着、今日もにぎやかになりそうな気配。

 

大阪からの女性たちは、かなり元気で陽気なおばちゃんたち。「沖縄では”おばぁ”というけど、大阪では”オバン”というのよ!と教えてくれた。

 いつもより人数が多かったため、バリロードの内側だけでは足りず、外側にも椅子を並べて坐りこんだ。

 逆に機動隊の方はいつもより人数が少なく、排除に時間がかかっていた。

 排除されても、元気にアピール行動で声を上げる続けるオバンたち。

今日もミキサー車が多い。

 一回目の搬入が終わり、テント下で休息をとりながら集会。千葉から来た三人組は、木更津の自衛隊基地に来年3月オスプレイが配備されることに反対の活動をしているメンバー。千葉では今月12日に”戦争する国造りNO。オスプレイいらない”県民集会を開くという。「いつも皆さんの闘いに励まされている」と。

 私は、午後から別の日程が入っていたため、2回目の搬入が始まる正午前に、友人の車で辺野古を後にした。

2019年10月10日リンクURL

講演会「安田純平 戦地取材を語る」~ 戦争を していないふりをする日本

 内戦下のシリアで、反政府武装勢力に3年4か月にわたって拘束されたジャーナリストの安田純平さんの講演会(主催:沖縄平和サポート)が、5日那覇市の教育福祉会館で行われ、戦地取材の必要性や、拘束されたいきさつ、日本政府の対応などの実情を語った。

 安田さんは「私は人質として拘束されたのではない。取材では入れなかったので、労働者として入国したため、スパイ容疑をかけられ拘束された。しかし、日本のメディアが初めに”人質”と安易に報道したことで、デマがデマを呼びネットで広がって本当に人質にされてしまった。武装勢力からは私の家族にも日本政府にも、お金の要求は一切なかった」

 戦地取材については「大手マスコミ(企業)に所属するジャーナリストは戦闘地域には行けない。空爆下で危険にさらされている人々の暮らしや苦悩など、フリーのジャーナリストたちが命をかけて取材をしているから、戦地の本当の姿(実態)が世界に伝えられている」

 自己責任というバッシングにさらされた安田さん「自己責任という言葉は、政府が自らの免罪のために言いはじめた。自己責任といいながら、じゃ”勝手にしろ”というのかとというとそうではない。解放後パスポートを取り上げられた。つまり、行くな!ということ。私に自己責任で選ぶ権利はない。政府が認める範囲で許すということであり、自己責任の取りようがない」

 また「ネット上で、自己責任で勝手に戦地に行ったのに、政府がお金を払い解放された(国に救われた)とデマが広がった。私の開放に政府は一切関与していない。私の解放のために武装勢力と無償解放の交渉をしてくれた支援団体が、家族への連絡を頼んでも政府は一切無視した。政府が私に接触してきたのは解放後である。

 このように日本政府が私の解放のために身代金を払ったというデマが広がることで、『日本は人質に金を払う国』とされ、日本人が人質にされる危険が大きくなっている。

 講演会は前段で、沖縄タイムスの阿部岳記者が「メディアの現状と沖縄の平和運動」と題して講演、安田さんの講演の後に、山城博治さんも加わってパネルディスカッションが行われた。

 講演会には350人が駆け付けた。用意した席に収まらず、会場の前、後ろ、横にも目いっぱい詰めて座り込み安田さんの話に耳を傾けた

 

 

 

 

 

 

 

上記のほかに印象に残った安田さんのことば>

「テロリストと呼ばれる人たちは、もともとそこに暮らしていた普通の人々。サダム政権に抵抗するレジスタンスだった。イラクの内戦に大量破壊兵器を理由アメリカが介入してイラク戦争が始まったとき、レジスタンスというとアメリカが悪者になるので、テロ戦争と呼んだ。テロリストとは便利な言葉。わかりやすいから」

「イラク戦争には日本も加担した。安保法を成立させてアメリカの”後方支援”と称したが、後方支援は立派な戦争。後方支援がなければ戦争は遂行できないからだ。日本が戦争をしていないふりをしても、国際的には誰も信じない

「警察を信用しているのは日本だけ。一番信用できないのは警察」

「自分が自由であるために、他の人の自由も認める」

 極端に自由を束縛された長期の拘束に、最後のころには「助けると思って殺してくれ!」と懇願するほど精神的にも身体的にも追い詰められた安田さん、「好きなことができるときに、好きなことをやってください!」と、講演を締めくくった。

 

2019年10月7日リンクURL

私たちの闘いが 日本、世界を変える! ~ 県民大行動の日(5日)の辺野古

 秋とは名ばかり、今日(5日)も照り付ける太陽が恨めしいほどのいい天気。月一の県民大行動の日の辺野古。集会は11時からだが、まずはいつものようにゲート前に座り込む。

 県外から参加の人たちも多い。東京から自治労の皆さん13人も参加。  県民大行動の集会は午前11時、稲嶺進オール沖縄会議共同代表のあいさつで始まり、新たに共同代表に加わった照屋義実さんも新任のあいさつ。

「28年前、社長業に就任したとき大先輩に言われた言葉がある。社長とは、みこしの上で踊っているようなもの。そのみこしを担いでいる人たちいちがいるから踊っていられる。担いでいる人の痛みを忘れてはならないと。その言葉になぞらえれば、オール沖縄の共同代表も現場で闘う人たちがいればこそ。思いを一つに共に頑張りたい」。

 ヘリ基地反対協の安次富浩さん。「アメリカが沖縄の基地に核弾頭を搭載できる中距離弾道ミサイルを配備すると発表した。このことに対して日本政府はNOと言わないどころか、一言のコメントもしない。もし、核弾頭を保管するとすれば辺野古か嘉手納の弾薬庫ということになる。いま、辺野古基地の弾薬庫は大掛かりな改築工事が行われている。核も持ち込みが懸念されると指摘してきたが、それが現実となってきた。ミサイルを配備するということは、攻撃の標的にされるということである。腹の底から憤りがわいてくる」

 赤嶺衆議院議員。「衆議院憲法審査会の会長が替えられた。改憲に向けて安倍総理がやっていることは憲法違反である。

 去る参議院選挙では野党共闘に市民との共闘が実を結び、自民党の議席を減らした。次の衆議院選挙では、共闘にとどまらず、沖縄の建白書を実現する政権を勝ち取ることを目指すと確認された。私たちの頑張りが(沖縄の闘いが)日本の政治を変える!」

 県議会議員各会派からもそれぞれ代表が挨拶。渡久地修県議は「被ばく75周年の来年、ニューヨークで原水禁大会開かれる。原爆を使ったアメリカで開催される意義は大きい。私たちの闘いが全国を、世界を動かしている」。

 土木技術の専門家として、辺野古新基地建設の欺瞞を追及している平和市民連絡会の北上田毅さんが、工事の進捗状況を説明。「国は辺野古の工事に関連して、新たに二つの業務委託契約を結んだ。情報公開で入手した資料を見て驚いた。業者に対し、工事の途中で4回にわたって米軍と協議をすること、と書かれている。今までになかったことだ。これは、米軍が、軟弱地盤をめぐって日本政府だけに任せられないと、チェックを要求してきたと思われる。これは、軟弱地盤が深刻で、米軍がいかに軟弱地盤問題を危惧しているかを示している。政府はいま、慌てふためいている。工事はいずれ頓挫する」

 

 集会には850人の人たちが集まった。(主催者発表)

 

 防衛省が私人とは、県民、国民をバカにするにもほどがある!

 

2019年10月6日リンクURL