平和のメッセージトークも豊かに ~ ゆたかゆたかコンサート

  沖縄を代表するシガーソングライター、「月桃」の海勢頭豊さんと「ドウチュイムニー(ひとりごと)」の佐渡山豊さんのジョイントコンサート(主催:琉球新報)が、昨日(26日)琉球新報ホールで行われた。

 復帰50年、音楽を通して平和を求めてきた二人の歌とトーク炸裂。「ドウチュイムニー」をしみじみと噛みしめ、おなじみの「月桃」を大合唱、観客席と呼応して大盛り上がり。2時間たっぷりの豊かな時間を楽しんだ。

 言ってみれば、二人の唄は「反戦歌」である。こういうコンサートを主催できるところが、沖縄の新聞社のすごいところだ。

 <6月27日 琉球新報>

 

 

 

2022年6月27日リンクURL

平和の祈り いまだ届かず! ~ 戦後77年「慰霊の日」の摩文仁点描

 梅雨が明け、肌を刺すような日差しの中、四姉妹で摩文仁に向かった。

 県主催の全戦没者追悼式は、コロナ禍のため今年も招待者のみ300人に限定され、一般市民は参加できないとわかっていたが、この日はやはり摩文仁で祈りたい。

 11時すぎ、平和の礎のある平和祈念公園に近づくにつれ、交通渋滞がひどくなっていく。やっと公園の入り口までたどり着くと、「許可証がないと入れない」という。公園内、一般車両は駐車不可とのこと。岸田総理が来るというので、抗議行動を警戒してか、警備が強化されたようだ。

 昨年までは、一般駐車場も用意され、式典には参加できなくても、縄張りの外から、中の様子を見ることが出来、声も聞こえたのに、どういうことだろうか!

 式典の様子を伺い知ることが出来ないのは残念だが、仕方がないので、先に魂魄の塔からお参りすることに。

 終戦の翌年、捕虜収容所から解放された人々がこの地で見たのは、いたるところに散乱する戦死者の骨だった。その遺骨を拾い集め建立されたのがこの「魂魄の塔」。

 家族や親せきがとこでどのように亡くなったのかわからず、遺骨も戻ってこないという人たちは、ここにお参りする。 

 「ひもじかっただろう」「水がほしかっただろう」と、当時に思いを馳せ、お花だけでなく水や食べ物のお供えものも多い。

 知り合いの唄者の方が、三線で仲間の方々と共に、歌声を奉納していた。誘われて、最後に「沖縄を返せ」を一緒に歌った。 

 魂魄の塔から国道へ抜ける手前に、女子学徒の慰霊碑の一つ「ずいせんの塔」がある。生き残りの方々や同窓生も高齢化で出席者が少なくなる中で、慰霊祭も自由参拝になっているという。今年、クラウドファンディングで、周辺整備を実現した。 

 「ひめゆりの塔」。ここも、コロナ禍で観光客や修学旅行が激減し、ひめゆり資料館の存続が危ぶまれた。戦争の貴重な証言者でもある戦跡や慰霊碑を、どう維持管理して後世に伝えていくか、どこも課題を抱えている。傍らで、平和ガイドの研修が行われていた。

 追悼式典が終わり、総理が立ち去れば、平和公園内の駐車場も解放されるであろうと想定して、ひめゆりの塔近くで昼食をとりながら時間をつぶしてから、再び「平和の礎」に向かった。

 入り口付近で、ちょうど総理らVIPと表示した車列とすれ違った。それでもまだ駐車場は解放されず、やむなく公園から少し離れたところで、他の人たちたちに交じって路上駐車し、歩いて公園に入った。

 昨年に続いて、ガマフヤーの具志堅隆松さんが、22、23日と、「遺骨の交じった南部の土砂を、辺野古埋め立てに使うのは戦没者への冒涜、二度殺すことになる」と断食座り込みで抗議行動を行なっている。

 式典終了後、玉城デニー知事も激励に立ち寄ったという。

 

 

 

 

  人々に赤いシールで、南部土砂を埋め立てに使うことの賛否を問う具志堅さん。土砂の中から遺骨を見つけることがいかに難しいか、実際に土砂を見せて示す。 

 式典会場となった大型テントは、すでに解体作業が始まっていた。会場周辺への立ち入りを禁じたロープは、二重になって昨年より大幅に拡大されている。

 ロープの中へはまだ入れなかったので、大きく迂回して、平和の礎へ。

 

 刻銘された父方の祖父と、祖母のいとこ、そして、これまでうかつにも確認していなかった叔母(母の妹)の名前を見つけ、お詫びをして手を合わせた。

 「平和の礎」で嬉しかったのは、幼い子どもも含め、若い家族連れが多かったこと。戦争体験の風化が言われるが、この子らへはしっかり伝わっていくことだろうと感じた。

 

 泣きたくなるほど美しい青く澄んだ空と海。沖縄の平和への祈りは、いまだ天に届かない。

 

 

2022年6月24日リンクURL

「こわいをしって、へいわがわかった 」 ~ 22年 平和の詩

 「慰霊の日」の沖縄全戦没者追悼式で朗読される児童・生徒の感性柔らかな「平和の詩」には、毎年とても感動させられる。今年は、沖縄市立山内小学校2年の德元穂菜(ほのな)さん(7)の詩「こわいをしって、へいわがわかった」が選ばれた。

 昨年6月に、家族で宜野湾市の佐喜眞美術館を訪れ、「沖縄戦の図」に衝撃を受け、そのときの気持ちを詩に表現したという。

 穂菜さんは、例年慰霊の日には家族で平和祈念公園を訪れ、平和の礎に刻名された曽祖父に手紙や折り鶴を持参し、手を合わせているとのこと。家族の影響は大きいと感じた。

 23日慰霊の日沖縄全戦没者追悼式は、今年もコロナ禍のため、招待された特定の人たちしか参加できない状況が続き、会場で直接朗読を聞くことはできないのが残念である。全文を紹介する。

 

「こわいをしって、へいわがわかった」

    沖縄市立山内小学校2年 德元穂菜

 びじゅつかんへお出かけ
 おじいちゃんや
 おばあちゃんも
 いっしょに
 みんなでお出かけ
 うれしいな

 こわくてかなしい絵だった
 たくさんの人がしんでいた
 小さな赤ちゃんや、おかあさん

 風ぐるまや
 チョウチョの絵もあったけど
 とてもかなしい絵だった

 おかあさんが、
 七十七年前のおきなわの絵だと言った
 ほんとうにあったことなのだ

 たくさんの人たちがしんでいて
 ガイコツもあった
 わたしとおなじ年の子どもが
 かなしそうに見ている

 こわいよ
 かなしいよ
 かわいそうだよ
 せんそうのはんたいはなに?
 へいわ?
 へいわってなに?

 きゅうにこわくなって
 おかあさんにくっついた
 あたたかくてほっとした
 これがへいわなのかな

 おねえちゃんとけんかした
 おかあさんは、二人の話を聞いてくれた
 そして仲なおり
 これがへいわなのかな

 せんそうがこわいから
 へいわをつかみたい
 ずっとポケットにいれてもっておく
 ぜったいおとさないように
 なくさないように
 わすれないように
 こわいをしって、へいわがわかった

 

2022年 慰霊の日「平和の詩」

2022年6月21日リンクURL