新装 那覇市場に行ってきました!

 「那覇市場」、私が大好きな場所の一つである。庶民の暮らしと文化がそのままあり、私にとっては、なにより女性たちが生き生きと働いている姿が嬉しい場所だからだ。

 その那覇市場の中核をなす「牧志公設市場」が、建物の老朽化による建て替えを終え、仮設市場での営業3年間を経て、去る3月19日、新装オープンした。 

 仮設市場での3年間は、ちょうどコロナ禍とも重なり、移転営業の軽費増や客足激減のなどで、移転を機に閉店した店舗も、少なからずあったようで、広々として近代的な設備などはいいとしても、かつてのような生活臭い市場の印象が薄くなっているのが、私にとっては、少し寂しい気がした。 


でも、市場の女性たちは、いまも変わらず生き生きと働いている。「写真、いいですか?」と、声をかけたら、快くポーズをとってくれた魚屋さん。

「どこから来たねえ」               「なーふぁ(那覇)ん人ですよ~!」      「あい!観光客かと思ったさー」

 

 

こちらの白髪のステキな物腰上品な店主は、「おいくつですか?」との客の質問に                              「いくつと思うねぇ」      「80歳?」           「90余っているよ(笑)」      沖縄独特の香辛料など商品説明も的確に伝えていた。

 少し雰囲気は変わっても、那覇市場に生き生きと働く女性の姿は健在だ。

 市場の二階は食堂・レストラン街。一階で魚などを買い、二階の食堂で調理をしてもらって食べることもできる。

 ここで食堂を営む友人は、10数年ほど年前、両親からこの店を受け継いだ。今年で開業68年の老舗だ。お祝いの花を届けながら、陣中見舞いを兼て自慢の料理を味わった。「19日の新装オープン以来昨日まで、一日の休みもなく、まるで何かのお祭りみたいな混雑だった。今日は少し一息ついた感じ」と教えてくれた。

 彼女たちのように、生き生きと働く女性たちがいる限り、那覇市場は、これからさらに、この場所にふさわしい、新たな歴史を刻んでいくであろうと期待する。私も通い続け、歴史をつくる庶民の一員になりたいと思う。

 

2023年4月11日リンクURL

クービ(グミ)実る頃 ~ 4月5日の辺野古

 いつものように那覇発7:00のバスで辺野古へ向かう。今日は最高気温26度との天気予報。お陽さまさえ顔を出せば、昨日までの寒さはどこへやら、一転真夏日になるのは、亜熱帯沖縄の常、バスのエアコンはクーラーになっていた。

 8:30すぎ、 辺野古へ到着するといきなりの差し入れ。クービ(グミの実)だ。私が子どもの頃、先日行った渡嘉敷島でも、この季節は里山ではクービが実り、祖母や母が、畑仕事から帰ってくるのが待ち遠しかったものだ。お土産にクービやヤマモモ、野イチゴを持って帰ってくるから。辺野古で、思いがけなくそんなことを懐かしく思い出した。

 

 

 

 

 

 慶良間諸島とやんばるは、琉球古生層と呼ばれる同じ地層なのだそうで、山の木々の植生や海の生物がほぼ同じ。やんばるは私にとっては故郷を感じさせてくれる場所でもある。辺野古へ通わずにはいられないわけも、そこらへんが少なからず影響しているのかもしれない、と最近よく思う。

  9時前、1回目の座り込み。まずは歌で元気をつける。歌う歌は「沖縄の未来(みち)は沖縄が決める」他、辺野古抵抗の歌が続く。

 この日の機動隊は、歌が終わるまで、強制排除を待ってくれた。一方で、ゲートの中から防衛局の職員が「ここに座り込むのは違法だ。すぐに立ち退け!」とハンドマイクでうるさく叫ぶ。「あなたたちこそ違法工事だ。直ちに工事を止めろ!」と、こちらも負けずに言い返す。いつもの朝の光景が展開する。


 今日も米軍戦闘車両の出入りが激しい。演習でもしているのだろうか。

 一回目の座り込みを終えてテントに引き上げると、またしても美味しい差し入れが待っていた。

 

 

 

 

 

 

 きなこ、チョコ、小豆あんの三色だんご。その場で、一人ひとりに串で刺して手渡してくれた。つきたてのお餅に三つの味のあんこ入り団子3きょうだい。絶妙な味のハーモニーが実に美味しい。「ほっぺが落ちそう」とはこのことか!みんながお互いに持てる力を出し合い、助け合って辺野古の闘いがある。

 この日は、11時の第4ゲートからの搬入がなかった。

 

 昼食後は、歌のお姉さま・辺野古シスターズよるコーラスが、辺野古ゲート前の時空を潤した。遠く那覇からキーボードを持ってくる水曜日メンバーがいらっしゃるのだ。お得意のジャンルはロシア民謡。みんなで声を揃えて歌えば、自分の声まで美しく聞こえるから、不思議だ。

 

 午後3時前、この日3回目の座り込み。水曜日メンバーは今日も明るく元気に一日の行動を敢行した。

 那覇からの2台のバスは、一台が前日、安和の抗議行動で、逮捕された男性の激励と不当逮捕への抗議のため、名護署へ向かった。

 私は夕方別の予定が入っていたため、もう一人の仲間とともに、心を残しながら、別のバスで那覇へ戻った。

 

 <4月6日 琉球新報>

 

2023年4月6日リンクURL

一杯のコーヒーから ~ 渡嘉敷島で出会った ちょっといい話

 昨日紹介した渡嘉敷島ツアーは、日曜日だったこともあり、いつも利用させてもらっているいくつかのレストランや食堂がお休みで、他に適当な食事処が見つけられず、皆さんにはお弁当を持ってきてもらいました。

 午前中のコースを終えてトカシクビーチの前にある展望台の下で、それぞれ持ってきた弁当を広げ、自己紹介をしあいながらお昼を頂きました。大自然のなかで潮風に吹かれながらいただくお弁当の味は、格別です。

 <トカシクビーチ 2019年7月撮影>

 食事が終わって、皆さんが水泳や砂浜の散策を楽しんでいる間、ガイド役の私は荷物番をしながら、しばしの休息時間。喉を潤そうとリュクを開けたら、白湯を詰めて持ってきたはずの水筒がありません。入れ忘れたようです。

 財布からありったけの小銭をつかみ、自販機を探しましたが、見渡せる範囲にはありません。「まぁ、環境の面からはいいことだ」と納得しながら、それにしても困りました。喉がカラカラです。

 ビーチの駐車場にキッチンカーを見つけたものの、水は売っていないとのこと。仕方なく「コーヒーはおいくらですか?」と問えば、なんと500円という。「高ッ!」那覇の高級喫茶店並みです。手に握っていた小銭を数えたら220円しかありません。「すみません。お金が足りませんので…」と引き返えそうとしたそのとき、「足りない分は僕が出しますから、コーヒー差し上げて下さい」と声がかかりました。キッチンカーの前にしつらえられたテーブル席で、優雅にコーヒーを飲んでいた観光客らしい若い男性です。

 私は驚いて「いえ、とんでもありません」とお断りしたが、「どうぞ、ご遠慮なく!」と何度も勧めるので、「では、220円分だけ下さい」と言うと、今度はキッチンカーのオーナー(女性)が「220円でいいですよ」と笑いつつ、コーヒーを入れてくれました。

 コーヒーができるのを待ちながら「県外からいらしたのですか?」と訊ねると、その若者は、「そうですが、いまは阿波連(隣の集落)でダイビングショップをやっています」と意外な返事。私も、「この島の出身で、那覇に住んでいるが、今日はツアーのガイドで来ている」と自己紹介しました。

 いつの間にかパートナーらしい女性も加わって、「この島にガイドさんがついて案内するような場所があるんですか?」と怪訝そうに聞いてきたので、沖縄戦のときこの島で起った事、たくさんの戦争遺跡があり、平和学習のため多くの人たちが島を訪れていることなどを、ここぞとばかり話したことは、言うまでもありません。そんな私の話を聞いて、彼らは「私たちも行ってみます」と言ってくれた。 

 彼はきっと、私のことを「水が飲めなくて困っている観光客」と思って、助けようとしたのではないしょうか。もともとの島人ではなくても、いまは島の一員としての矜恃を持ち外来者に接する彼に、島に対する愛情を感じて、島人の私は、とても嬉しくなりました。私がもし観光客だったら、きっと「もう一度この島に来たい」と思ったことでしょう。

 思わず胸が熱くなったのは、なみなみと注がれた暖かいコーヒーのせいだけではなかったと思います。

 

2023年4月4日リンクURL